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#76 2016年05月31日 07:57:51

カレブ
Administrator

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボードさん

まずわたしたちが理解しなければならないのは
当時のユダヤ人は「七十年」という言葉を慣用句のように使っていたということです。

ですから、彼らが七十年と発言するときに、それがいつでも、何年何月から何年何月まで
という厳密な区分を設けているわけではありません。

ものみの塔も、1914年を出すという特別な動機がない限り
このことを十分理解しているかのように振る舞っています。

例えば「その日には,ティルスは一人の王の日数と同じく,必ず七十年間忘れられる」(イザヤ 23:15前半)という言葉が、その通り成就したとする際には次のように述べています。

*** イ‐1 第19章 254ページ エホバはティルスの誇りを汚される ***
「実際のところ,ティルスの島側の都市は,丸70年の間バビロンに服従するわけではありません。バビロニア帝国は西暦前539年に倒れるからです。この70年は,バビロニア王朝が自らの王座を「神の星」の上にまで上げたと誇る,バビロニアの支配の最盛期を表わしているようです。(イザヤ 14:13)その支配下にそれぞれの国が入った時期はまちまちです。しかし,その支配は70年の終わりに崩れ去ります。その後,ティルスはどうなるのでしょうか。」

なんとここでは70年は丸70年ではというわけではないと認めているのです。
しかし、1914年の「終わりの日の預言」に関連したとたんに、終着点が1914年の秋に設定できるように必死に出発点の年代を調整します。

これは本当に真理に向き合う姿勢でしょうか?


話を戻しますと
当時のユダヤ人が七十年を慣用句的なおおまかな期間として使っていたという点に関しては
ゼカリヤが「この七十年の間断食した」(LXX)と表現するときに、それは厳密に七十年ぴったりという意味とは言えません。たまたま、ほぼ70年に位置していますが、仮に69年でも71年でも、「七十年」と表現するのは当時の習慣では自然なことです。

1世紀にもユダヤ人のヨセフスは、ユダヤ人の大規模な流刑の期間を、ある場面では50年(歴史的な正確さを指摘する際)と表現していますが、別の場面では慣用句の「七十年」という表記もしています。


このような慣用句の使用は英語圏にも影響は残っており、
シェークスピアのマクベスでは次のような句があります。

Threescore and ten I can remember well:
Within the volume of which time I have seen
Hours dreadful and things strange; but this sore night
Hath trifled former knowings.

Shakespeare. In Macbeth, 1605

ここでシェークスピアは「七十年にわたり、わたしは良く覚えている」という表現が用いていますが、70年(365日×7)という意味ではなく、むしろ人のおよその寿命を使う慣用句です。

聖書の中で「この七十年」と表現する場合も、ほぼこれに相当する慣用句と言えます。
たまたまほぼ70年になる場合もありますが、厳密には丸70年ではない場合もあります。

ものみの塔協会がこの点で真理を否定してきた証拠は
数多く存在しています。
ものみの塔の年代を擁護するためにむなしい努力をするよりも
真実を見つめるためのすべてに証拠を見つめる必要があります。

オフライン

#77 2016年05月31日 12:30:37

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

カレブさん、あざーっす lol
ちなみに初期の調査で来られた調整者にこのゼカリヤの聖句についての疑問をぶつけてみたことがあります。
私「聖句を読んでいて分からないことがありまして・・」
長「どこの聖句?(自信ありげ感たっぷり)」
私「この聖句によると607年ではなく588年になります」
長(目が点になる) glasses 3秒くらい経過して「兄弟ね、分からないものは分からないでイイんだよ angel
私「分からないものは分からないでイイんですね angel
何1つ分からんかった cool正確には「分からない」ではなく「組織からの説明がない」ですね cool 統治体が「忠実で思慮深い奴隷」かどうか分からないと言っているようなものですよね kiss

編集者 ガリレオくん (2016年05月31日 13:22:48)

オフライン

#78 2016年06月01日 00:38:35

キーボード
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

ガリレオさま、地雷とニアミスしたエピソードをご紹介いただきありがとうございます。
真理探究の実践が不可解なほど難しい環境であることが伝わってきますね。


カレブさま、コメントありがとうございます。

ゼカリヤ書の「70年」が時間的に厳密な70年を意味しているわけではないという点についてですが、慣用句的用法で使用される「70年」で許容可能な時間スケールは何年程度でしょうか?

ヨセフスのお話の中で、ユダヤ人の大規模な流刑が歴史的には50年だったものを70年と表現することが受け入れられているという事実からすると、20年程度の時間差は標準偏差内(?)として容認できるものと考えてしまいます。

その結果として、ゼカリヤ書で神殿の居石が置かれたとされるBC517年(本トピック#2)から70年さかのぼり、さらに偏差20年を加えることで神殿崩壊年としてBC607年にたどり着くことも可能なのではなかろうかと。


まとめてみますと、
Q: ゼカリヤ1:7と7:1に記述されている70年は過去のある時点から経過中の現在までの年数をカウントしていると仮定すると、実時間でタイムラグがある。

A1: 実際には過去のある特定の70年間を指している。
A2: ゼカリヤ書に記述されている「70年」とは、ある時点(神殿崩壊の年?)から経過中の現在までの年数を表現しているが、慣用句として用いられている。

A1に関しては、BC537年から70年さかのぼってBC607年
A2に関しては、BC517年から70年と偏差20年分をさかのぼってBC607年

このように、捉え方次第ではBC607年に到達できるように思います。
荒唐無稽なコメントになっていると思いますので恐縮ですが、あれこれ思案していると色々と逃げ道があるように感じています。

#79 2016年06月01日 01:42:26

カレブ
Administrator

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボードさん

トータル的に考えると、この問題において ものみの塔の見解には逃げ道はありません。

というのは、歴史的な事実は、ゼカリヤの記述以外にたくさん積まれているからです。

ヨセフすは歴史的に50年だった流刑(ネブカドネザルの18年からの流刑をさす場合)のことはずばり50年だと述べています。

つまり、ずばり50年なのです。

一方 七十年について語る場合、それはダニエル書にも示されているように「ネブカドネザルの第一年」に起きたユダヤ人の流刑も含めて、ユダヤ地方がバビロニアの事実上の属州(強制税徴収も含め)になっていった時代のことを含めています。それはエルサレムだけではなく、ユダヤや周辺諸国も含めてネブカドネザルによって荒廃させられていった時期に相当しています。

ユダヤ地方のバビロニア軍による支配や流刑はネブカドネザルの第18/19年だけに起きたのではありません。歴史的にもその年の流刑がユダヤ人にとっては致命的で大規模であったのは確かです。

しかし、思い出してみてください。
ダニエル書に、ものみの塔が重要視しているネブカドネザル第18年の流刑のことが語られていますか?
それに対する言及は一切なく、むしろダニエル書はその冒頭で示しているように「エホヤキムの王政の第三年」つまりネブカドネザルが王として君臨してユダヤを征服していった、その最初の年に注目しているのです。

その年から数えると、ユダヤの崩壊の始まりや「バビロンのための七十年」は、ほぼ70年になります。70年ぴったりにユダヤ人がこだわらなくても、バビロニアの支配に対して与えられた70年は、ほとんどずれがなく描写になっています。

一方、ネブカドネザルの第18年のユダヤ人流刑の期間は50年であることは、どうやっても変わりません。

ネブカドネザルの第18年は、西暦前607年ではなく、それよりも20年あとの、西暦前587年になるのです。

それに加えて、サイトでは何度も指摘しているように、動かすことができない考古学的な証拠がそろっています。逃げ道はありません。

オフライン

#80 2016年06月01日 08:38:04

さやか666
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

うーん 普通に考えたら逃げ道はないのですが

人間って不思議で自分の信じたいことを発明するんです

その点、脳みそって便利に出来ています


自称油注がれた方なのかな? 別の解釈で逃げ道を用意しておられます

ざっくりとした感じで年代を捉えておられます つかみの一文を載せますね






****************

「西暦前607年バビロニア

帝国によるエルサレムの神殿崩壊説」が、優秀な探究者たちの努力によって、こ

の年代計算に20年のずれがあることが発覚し、それによって、「1914年神の王国

誕生説」や「それに付随する様々な聖書預言の成就説」がすべて焼失したかに見

えますが、果たして本当にそうでしょうか?




************




純粋に607年を擁護するのに疲れた方は参考になるかもしれません

続きが気になる方は
http://ameblo.jp/sirigon/entry-12164290975.html

#81 2016年06月01日 13:04:44

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

エルサレムとユダの諸都市が糾弾され、民が断食を続けたゼカリヤの70年(前587から約70年)

聖書と、歴史証拠とも一致する年代で逃げ道はありません

2年のタイムラグが厳密に365日×70を示す訳ではない慣用句の許容範囲なら、20年とまではいかなくても前527を中間として何とか537年に近い側に起点を置けないか、という発想は新鮮でした

水圧の話で(知らない人はすみません)実験結果と一致する物理説明を提示しても、300%近い誤差が出る自説計算も目に見えて違いが出るほどの有意な差ではない、と言われたのを思い出しました

奇妙な信条でも何とか維持したいという思考から斬新な発想が生まれることも

さやかさん好きですよねそういうの

#82 2016年06月01日 20:01:42

さやか666
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

よくご存じで! 

父がよくNHKのプロジェクトXのビデオを見てました

人は窮地に追いやられた時に

思わぬ名案が浮かんだりしますからね

http://matome.naver.jp/m/odai/2138529196370602801




統治体も祈るだけじゃなくて 長時間、息を止めればいいのに

#83 2016年06月02日 02:19:35

キーボード
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

さやか666さま
子どもの頃に一度金縛りにあった程度で、おっしゃるような神秘体験は経験したことがありません。特に取り柄もないごく普通のいわゆる凡人です。


カレブさま
情報ならびに話題が幾らか散逸的になってまいりましたので、思考の交通整理のため少しお時間をいただきたく存じます。

ただ、コメントを読みながら疑問がよぎりました。聖書中に登場する「70年」の記述が実時間を指すのか慣用句であるのか、この違いを一体どのように判別するのでしょうか?

#84 2016年06月02日 23:22:02

カレブ
Administrator

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボード さんの発言:

ただ、コメントを読みながら疑問がよぎりました。聖書中に登場する「70年」の記述が実時間を指すのか慣用句であるのか、この違いを一体どのように判別するのでしょうか?

キーボードさん こんばんは。
70年が意味するものが何かを知るのは簡単です。
歴史的な証拠あるいは、あるいは出土している考古学的な客観的証拠を見れば良いのです。
ネブカドネザルの第18年をBC607にするのは不可能です。

今回問題になっているのは、その部分なのではないですか?

歴史的証拠、天文学的証拠、考古学的証拠など異なる角度からの証拠がありますが
それらはみなBC607の協会の教えが偽りであることを示しています。

考古学的な証拠だけをとっても実際に調査をした協会の元執筆者は次のように書いています。

良心の危機 – レイモンド・フランズ著 37,38頁

何とか我々の一九一四年を算出するのに決定的であるこの紀元前六〇七年を証明するような、あるいは歴史的に支持するような証拠を見つけようとして、かなりの時間と労力を費やした。協会本部のスタッフ、チャールズ・プレーガーは当時私の秘書を務めてくれていたのだが、ニューヨーク市近辺の図書館を回って、少しでもこの年代を歴史的に裏付けるものがないかと探し回ってくれた。

ところが紀元前六〇七年を裏付けるものはまるで何も見つからなかったのである。歴史家たちは口をそろえてその二十年後の年代を示していた。私は『聖書理解の助け』で「考古学」の項目を書くまでは、メソポタミア付近で発見され、古代バビロンにまでさかのぼる粘土板に記されたくさび型文字の記録が何万という数に及ぶことなど知らなかったが、その何万という記録のどれを見ても、(ネブカドネザルが統治を行なった)新バビロニア帝国の期間は、エルサレム破壊の年が紀元前六〇七年になってくれる長さにならない。どれを見ても、協会が言っているよりも二十年短い期間になる。

これを見て私の心は穏やかでなかったが、反証があろうと我々の年代計算はとにかく正しいのだと信じたかった。そこでこの記事を『聖書理解の助け』に書くに当たっては、紀元前六〇七年を誤りとするような、つまり終わりの年が一九一四年にならないような、考古学・歴史学上の証拠を何とか弱めることに時間と紙幅を費やす結果になった。

チャールズ・プレーガーと私は、ロードアイランド州プロヴィデンスのブラウン大学に行き、古代くさび型文字文献の専門家アブラハム・ザックス教授を訪ねた。紀元前六〇七年という年代を誤りとする膨大な古代資料のどこかに何か間違い、あるいは弱点がないかどうかを知りたかったのである。その結果、もしどうしても我々の年代が正しいとするならば、まったく理由もなく古代文献の著者たちがそろって事実をゆがめて伝えようと申し合わせたことになる、ということが明らかになった。私は、まるで動かぬ証拠を前にしつつも弁護を続ける弁護士のように、新バビロニア帝国に関する歴史資料という証拠の信憑性を何とか弱めようと努力した。

つまり、もし協会の年代が正しいとするためには、何の理由もなく古代の粘土板を残した人々が申し合わせて証拠をねつ造しない限り、あり得ないということです。

しかも、その粘土板は、日々の商取引(銀行業務を含む)の記録を膨大な数で含んでおり、信頼度は格別です。

レイモンド・フランズも認めているように1970年付近に至っても、協会の主な執筆者の間でもそのような「動かぬ証拠」が積まれていることが周知されていませんでした。

ラッセルもラザフォードも、その独特な宗教的傲慢さゆえに自分たちの重要な教理を覆すような証拠から目を背けてきました。

キーボードさんが なんとか協会の教えを守る根拠があるのではないかと探す気持ちはわかりますが
まずは現在の統治体のメンバーがかなりヤバい人たちだということを認識するのが、真理と向き合う近道だと思います。

また思考整理できたら、書き込んでください。

わたしも時間ができたら、またBC607年に関する点は書きたいと思います。

オフライン

#85 2016年06月03日 02:30:41

キーボード
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

カレブさま

率直なご意見に感謝いたします。
確度の高い様々な考古学的資料等によりエルサレム神殿の破壊はBC587年という結論が得られている事実については、私も存じております。

本トピックのタイトルは「聖書のみで607年が覆る」ということなので、そのタイトルの主旨に沿って、BC607年にエルサレム神殿が崩壊したというあらゆる可能性を打ち消すために聖書のみから矛盾なくどこまで論証できるのか、という点に挑戦しているところです。

自分たちのみが聖書の正確な解答を保有していると信じている(あるいは信じたい)という方々に、いくら世間の学者・研究者がこう言ったと説明したところで結局のところ、人間の学説は所詮塗り替えられるものに過ぎない、と簡単に踏み倒されてしまうように思います。
(最近、ジェットコースターのように劇的に評価を落としたSTAP細胞は極端な事例ではありますが)

したがって、聖書のみを土台とすることで、一応まじめな対話の余地がまだ幾ばくか残されているのではないかと。
また、エルサレム神殿崩壊の歴史は聖書にまつわる非常に興味深いテーマの一つだと思いますし、個人的にも歴史は好きな分野でもあります。
なかなか時間が取れない日常ですが、幾らかでも資料に目を通したり思索するだけでも興味は尽きないですね。

ただ最近は、BC607年にエホヤキム王がバビロニア帝国に屈したことで当時のイスラエル人が自立した国家主権を行使できなくなった、それがまさにダニエル書にある天にも届くとほうもない大樹が切り倒されたとする解釈変更により、BC607年→AD1914年説はやはり生き続けるのではないかと感じています。

#86 2016年06月03日 08:52:27

カレブ
Administrator

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボード さんの発言:

自分たちのみが聖書の正確な解答を保有していると信じている(あるいは信じたい)という方々に、いくら世間の学者・研究者がこう言ったと説明したところで結局のところ、人間の学説は所詮塗り替えられるものに過ぎない、と簡単に踏み倒されてしまうように思います。
(最近、ジェットコースターのように劇的に評価を落としたSTAP細胞は極端な事例ではありますが)

キーボード さんの発言:

ただ最近は、BC607年にエホヤキム王がバビロニア帝国に屈したことで当時のイスラエル人が自立した国家主権を行使できなくなった、それがまさにダニエル書にある天にも届くとほうもない大樹が切り倒されたとする解釈変更により、BC607年→AD1914年説はやはり生き続けるのではないかと感じています。

おはようございます。
時間がないので簡単に返信になります。主旨の部分ではないですが、上の最近の「解釈変更」というのは、どこのことでしょうか、キーボードさんの文を見る限り、昔ながらの解釈と変わらないように見えます。

ちなみに
新バビロニアの粘土板と関連した考古学は、あやしい研究者の発表とは全く次元が異なります。

「 聖書のみで607年は覆る」というタイトルの通り、十分聖書だけで、ものみの塔の間違いは指摘できます。しかし、BC607年という年代自体が聖書のみで出しているのではありません。
例えば元になるBC539年という年代は聖書から算出しているわけではありません。

ちなみにサイトでも書いていますが
ものみの塔はかつて
キュロスのバビロン征服がBC539ではなくBC536年に起きたと説明しており、
その征服から70年前のBC606年が1914年(および1984年)の根拠になると述べていました。

それから、単純な算数の計算ミスなどをごまかせなくなると、起点となる年代や解釈を1914年の教理に合わせて、協会は変更してきました。 協会自体が「聖書のみで」事実を求めるという気持ちなどないのです。

ゼカリヤの聖句についてはサイトでも説明しているので、そちらもご覧ください。
時間があれば補足的な説明も加えたいと思います。

オフライン

#87 2016年06月03日 20:53:26

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

ゼカリヤの聖句を別の機会に別の同世代の長老に話したことがあります。彼曰く「落とし所としては(組織の見解が正しいとするために)当時不忠節なイスラエルに対して語られた年数だから考慮に値しない」ということでした。「組織は正しい」「間違っていたらエホバが正されるので組織を信頼する」、こういう方を相手にすると聖書すら全く歯が立ちません cry 結論:聖書から話す時は初期の調査などイヤでも長老と対峙しなければならない時の最終兵器に温存しておいて、それ以外は自分が得心していればそれでイイと思います。どうしても組織を擁護しようと頭が働くのでフェアに物を見ることができません。聖書を唯一の根拠とする漢(おとこ)に1人でも出会いたかったですけど完敗でした angel話す度に危険視されトモダチは減ります tongue

オフライン

#88 2016年06月05日 04:08:15

キーボード
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

カレブさま

それほど深い考えがあるわけはありません。
私が知っている現在の聖書解釈では、
BC607年 エルサレム神殿崩壊=ダニエル書の預言「天に届く巨木の倒壊」
    ↓
[7つの時の経過=2520年の経過]
    ↓
AD1914年 天の王国樹立


単に「巨木の倒壊」をどのタイミングに適用するかの問題です。
従来、この「巨木の倒壊」はエルサレム神殿崩壊に対応すると考えてきたこと、また、神殿崩壊はBC607年に起きたという想定により、「巨木の倒壊」をBC607年に適用してきました。その結果、BC607年から7つの時(2520年)を足すことでAD1914年を割り出したのだと思います。

一方、近年、考古学を始めとする多角的なアプローチにより、神殿崩壊はBC587年であることが明らかとなったわけですが、7つの時(2520年)を足す起点となる「巨木の倒壊」をBC587年に適用すると、当然1914年は算出されず、1934年になります。

そこで、「巨木の倒壊」は神殿崩壊に対応するのではなく、エホヤキム王の権力が剥奪され国家主権の機能が停止したことである、と預言の対応関係を差し替える。この権力剥奪が起きた年がBC607年だとすれば、「巨木の倒壊」はBC607年のまま維持されるので、その年から7つの時(2520年)を足すことにより、結局AD1914年が割り出されるというストーリーです。

もしこのような大胆な聖書解釈の変更がさらりと行われてしまうようであれば、エルサレム神殿崩壊がBC587年であることを証明する懸命な努力も1914年に天の王国が樹立されたという説に対して大した効力も発揮されず、徒労に終わってしまうのではないかと。

列王記第25:8によるとネブカドネザル第19年にエルサレムの神殿を破壊したとあるので、BC587年から19年分さかのぼり、(本トピック#44)によればバビロン王の統治は0年から数えるそうなのでさらに1年さかのぼる。すると概ねBC607年になりませんか?

#89 2016年06月05日 09:08:32

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

組織においしいヒントを出しちゃいましたね cool 見てなきゃイイけど(;^_^Aでもその時は神殿崩壊の年は誤ってました、ゴメンちょ♡と一言・言い添えるようにして欲しいですね。あとウィキペディアも直してもらわないと(笑)

オフライン

#90 2016年06月05日 09:52:58

さやか666
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボードさんナイス!


そのアイデア、協会がパクらないか

目を光らせておきますね

#91 2016年06月05日 13:12:35

カレブ
Administrator

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボード さんの発言:

カレブさま
そこで、「巨木の倒壊」は神殿崩壊に対応するのではなく、エホヤキム王の権力が剥奪され国家主権の機能が停止したことである、と預言の対応関係を差し替える。この権力剥奪が起きた年がBC607年だとすれば、「巨木の倒壊」はBC607年のまま維持されるので、その年から7つの時(2520年)を足すことにより、結局AD1914年が割り出されるというストーリーです。

もしこのような大胆な聖書解釈の変更がさらりと行われてしまうようであれば、エルサレム神殿崩壊がBC587年であることを証明する懸命な努力も1914年に天の王国が樹立されたという説に対して大した効力も発揮されず、徒労に終わってしまうのではないかと。

おはようございます。
キーボードさん
「徒労に終わってしまう」なんてことを心配する必要はありません。
ものみの党が偽りに基づいて年代を算出し続けてきたということが理解できればそれでよいのです。それは「信仰」の問題でも「解釈」の問題でもありません。
あと、誰々が「1914年に天の王国が樹立された」と信じようと、それはその人の勝手であって、嘘を真実のように教えなけれよいのです。ここで言う「嘘」というのはエルサレム神殿崩壊がBC607年であるという嘘のことです。
再臨派が教えていた1844年、CTラッセルが教えた1874年であっても
その年にイエスが再臨されたと誰かが信じ続けたければそれは自由です。

ノアの洪水がメソポタミアのご近所の大洪水の話に基づいていることを信じる自由があるのと同じです。

ただ、わたしたちは嘘を土台に教理を教えるなら、それは「偽りの教え」を教えていることになるのです。



キーボード さんの発言:

列王記第25:8によるとネブカドネザル第19年にエルサレムの神殿を破壊したとあるので、BC587年から19年分さかのぼり、(本トピック#44)によればバビロン王の統治は0年から数えるそうなのでさらに1年さかのぼる。すると概ねBC607年になりませんか?

BC607年にはなりませんが、BC605年にすることはできます。
それをもとに 「ネブカドネザルに対して成就した」と述べられているダニエル書の預言を 自分たちの時代にとって重要な予言であると解釈するのも自由です。

それでもやはり、1914年という数字にはなりません。

あとは、みなさんも述べているように
協会が見解を変えたら、それに合わせて北海道のエホバの証人の信者が
改ざんしたWikipediaをもとに戻すかどうかは注目できます。

ものみの塔は
信じたいことを信じる、そのためには事実も変えてしまう
これを土台にしているということです。

オフライン

#92 2016年06月10日 02:37:42

キーボード
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボードです。

特定の教団が持つイデオロギーに対して勇敢に対決しようという熱意はよく分かりました。

話がやや脱線したので元に戻したいと思います。
ゼカリヤ1:7ならびに7:1の「70年」の件に関連して、ヨセフスがネブカドネザル第18年から始まる大規模な流刑期間(実時間としての)50年を70年と表記している、「70年」は慣用句、等の回答で少々戸惑いを感じています。
時間の捉え方に不定性がつきまとい、正確な時の算定に関する議論をしにくく思います。

例えば、本トピック#4によるとバビロンへの従属期間の70年はBC609~BC539年とありますが、ネブカドネザル第1年がBC609年であればネブカドネザル第19年に起きた神殿崩壊はBC591年となり考古学資料に基づくBC587年に対して4年のタイムギャップが生まれますよね。
こういった時間的不整合についても“だいたい70年”ということで許容し、ズレ無しと見なすのでしょうか?

加えて、慣用句は大抵何らかの由来があり時間をかけて成立するものではないですか?エレミヤ25:11で初めて「70年」への言及がなされた段階で、それを慣用句的に使用していると考えるのはなかなか苦しい説明だと思います。
王の在位年等については年や月単位で精密に表記されているにもかかわらず、「70年」だけ慣用句だという主張はやや唐突で、受け入れられにくいのではないでしょうか。

時間の整合性や捉え方にこういった曖昧さがあると、間違いなくツッコミが入ると思いますし、少なくとも私自身未だ釈然としない心境です。
かといってBC587年を時間的に厳密かつ矛盾無く聖句から論証できるアイデアを持ち合わせているわけでもありませんが。

#93 2016年06月10日 07:30:29

カレブ
Administrator

Re: 聖書のみで607年は覆る

キーボードさん

おはようございます。

「ゼカリヤ1:7ならびに7:1の「70年」の件に関連して、ヨセフスがネブカドネザル第18年から始まる大規模な流刑期間(実時間としての)50年を70年と表記している」

この文章の点は わたしの以前の書き込みをもとにしているのだと思いますが、誤解を与えているので訂正します。ヨセフスが「70年」に言及した際は、「ネブカドネザル第18年」という直接的な言及ではなく「大規模な流刑期間」も含めて、エルサレム、ユダヤ地方がバビロニアに荒廃させられていく期間に言及しています。

聖書によると、その期間の対象には周辺の「諸国」も含まれています。

BC609はバビロニア帝国が台頭する時期に一致していますが、それでもネブカドネザルの第一年ではなく、ネブカドネザルが王の息子として活躍している時期です。

一つ一つの言葉にとらわれてしまうのに、

ものみの塔がイザヤの予言の「七十年」に関して実数ではなく慣用句的にとらえていることは、問題ではないのですか?

その点をお聞かせください。

オフライン

#94 2016年06月10日 08:03:08

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

私の場合、消去法で一番しっくりきた答えがここでのやり取りで得ることができましたが。「荒廃」と「従属」にそれぞれ違うタイミングで70年あったこと、WTの説明だとバビロニア史に空白の20年ができてしまいそれをWTは十分に説明できていないことなど。関係する聖句すべてがうまく噛み合う結論として考えるといいんじゃないでしょうか?ヒゼキヤの件は別ですよ♡逆に「新しい光」として教えて差し上げたらすべて丸く収まりますがね devil それだけのケンソンさがWTにあればの話ですが cool

オフライン

#95 2016年06月10日 13:37:35

ラハム
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

わたしはエルサレムの荒廃期間が
文字通り70年間であるのが聖書の記述から
そうとう無理なのに気づいたことがあります。

まず、詩編の中で人の寿命を70年か80年で
あることに言及しています。
当時の人の寿命がその程度であったこと、
でも、ぴったり70年で死ぬとか80年で死ぬなどと
考える人はいないでしょう。だいたいということですね。

エズラ書の記録では、相当数のイスラエル人が
囚われていたバビロンからエルサレムに戻り、
再建される神殿の基礎がすえられるのを見ました。
これを見た者は荒廃前の壮麗な神殿の
様子を知っていた人が多かったと思われます。
というのは、新しい神殿の基礎がすえられるのを
見て、荒廃前の神殿を直接見た人々の喜びの叫びが
遠くまで響いたと述べられています。

もし、文字通り70年間バビロンで生活していたなら
エルサレムに戻って新しい神殿を見た人たちは
70歳以上で、人の記憶力を考慮すると
80歳か90歳以上だと推定できます。
70歳では記憶に残りません。

1986年ものみの塔読者からの質問では
バビロンからエルサレムまで1,000キロぐらいの
道のりだったことが説明されていました。
エズラ書の記録では危険な交通路で
軍隊の保護を要請しようか検討されていますが、
神の保護を信じて、それをしなかったということです。

現在のような交通手段もなく、馬や徒歩で
80歳以上の多数の高齢者を危険地区を通過して
エルサレムに無事連れ帰るなど
到底無理があると思いました。
日本で言うなら、東京から下関ぐらいです。
現在の健康な高齢者でも日に40キロメートルぐらいで
一か月だとしても歩き続けるのは無理だと思います。

その人々の年齢が50歳程度なら可能性は大きいです。
でも、年齢的に破壊前の神殿は見ていません。

そのようなわけでエルサレムの荒廃期間は
文字通り70年でなく50年ぐらいが妥当だと思いました。

ゼカリヤ書の70年が話題になっているところですが、
1914年を割り出す重要な年数のことですから、
わたしなりの考察を述べさせていただきました。

編集者 ラハム (2016年06月11日 11:32:16)

オフライン

#96 2016年06月15日 10:45:13

yangmask
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

横やり失礼します。

トピックのテーマからすると、要するに、「聖書そのものは、流刑期間(荒廃期間)を70年と述べているかどうか」ということですよね。

私は、はっきりと述べていると思いますよ。よければ、下記リンクをご参照ください。

#97 2016年06月15日 13:04:15

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

ヤングさん詳細は分かりませんがお元気で何よりです。トピを立てたのは白黒はっきりさせたかったのでそうしました。

ヤング さんの発言:

要するに、「聖書そのものは、流刑期間(荒廃期間)を70年と述べているかどうか」ということですよね。

当時知りたかったのは厳密に言うと、聖書は607年を支持しているのか、それとも587年を支持しているのかという点と、どちらの年が関係するすべての聖句と整合性が取れているかという点です。なので「この聖句が~と述べています」というような一点張り・だけではダメですよ。ラッセルがやってたような論題別研究法みたいな感じになるんですかね?

オフライン

#98 2016年06月15日 14:41:20

ラハム
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

ヤングマスクさん紹介のリンク先がわかりません。

わたしは荒廃期間が丸70年を前提にしていました。
でも、BC607年から2520年と数え始めて
AD1914年になることに整合性がないということを
もう、25年以上前に気が付いたのです。
このトピックでは「聖書のみで覆る」ですから
ちょっと違っているのですが、
ものみの塔1968年11月1日号から知りました。

それは「1975年を待ち望むのはなぜか」という記事です。
この記事には一覧表がありました。
それは聖書の年代をさかのぼるためBC539年を
「絶対」年代として証明するため、
バビロンの倒壊がBC539年だということを
世の中の文献から多数引用していました。

これを読んでいたわたしは537年を割り出すべきなのに
539年を躍起になって証明しようとしていることに
矛盾を感じるようになったのです。
当然のことですが、537年から丸70年をさかのぼらないと
607年に行きつきません。539年からでは609年になります。
ここから2520年移行すると1914年でなく
1912年になってしまうのです。
その記事では537年になる理由を説明していません。
どこかで二年間調整して537年を割り出す説明を
聞いたような気がするのですが、どうもはっきりしないのです。

それで、25年以上前からもしかすると607年は
間違っているかもしれないと思い始めていました。
その一方で、協会が説明するのだから、
自分たちが知らない納得できる証拠があるのだろう
という気持ちもあったのです。
また、607年が間違いであったとしても
「この世代」の予言は確実だから自分は生きているうちに
楽園が到来して、すべてが実現するはずだと信じてもいました。

#97で述べた聖書的な理由は日々の聖書通読をしていて
気が付いたことです。絶対的な証拠にはなりえませんが、
荒廃期間が丸70年ではそれらの聖句に示されている、
状況証拠に合致しないと思っています。

わたしはものみの塔の年代計算を信じなくなったので、
その理由として、#97で述べたことは大切にしています。

オフライン

#99 2016年06月15日 16:24:15

カレブ
Administrator

Re: 聖書のみで607年は覆る

ものみの塔の見解を擁護するときに「七十年」の理解を
一つか二つの聖句だけをとって、他の聖句との整合性や意図を無視することが多いので
この例えを考えてみました。

ある人が「聖書は地球が正方形の平らな大地を表現している」と主張します。

その理由を確認すると聖書の中には
「地の四方の果て」(イザ 11:12)がある、
そして地の果ては「地の四隅」(啓 7:1)があると
はっきり書かれているからだと主張します。

確かにその通りです。

しかし、それに対してエホバの証人は
「聖書は地の円という表現がある、だから地球は球体だと述べている」
と主張します。

聖書には「地の四隅」という言葉もあれば「地の円」という表現も
どちらもあります。

では、エホバの証人はなぜ「地の円」という表現を使って
聖書は「地が球体であると科学的な見地で述べている」と
主張するのでしょうか?

それは、現代は万有引力の法則が理解されていて、
「地の円」という表現を、現代的に解釈したほうが
より受け入れられるからです。

逆に地がカーペットのように四角形であることが
現代科学で示されていたら、聖書の「地の四隅」という
表現をとりだしてきて「ほら、聖書は科学的です」と
いうことでしょう。
その場合「地の円」という表現は無視して
「それは見晴らしの良いところから360度見渡せば「円」に見えるから、それを表現しただけだ」
と言い訳するに違いありません。


では聖書の中で使われている「七十年」という言葉はどうでしょうか。
聖書の中では圧倒的に比ゆ的にいろんな場面で使われており、
どれも絶対数ではない方法で使われています。
しかもエレミヤ書に関していうならば
明らかにそこはエルサレムの流刑の期間とは直接は関係がなく
バビロニアの支配に与えられた期間として表現されています。

ただ間接的にダニエル書では「エルサレムの崩壊」と関連づけられています。


なぜ、エホバの証人は、ダニエル書の七十年に関しては
通常の「他の聖句と比較して」総合的に判断するという
方法をとれないのでしょうか?

なぜ、考古学や天文学その他で明らかに証明されている事実と
照らし合わせて現実に即した結論にたどり着けないのでしょうか?

それは1914年の ものみの塔の独自の解釈を守るという動機の
ほかには考えられません。

オフライン

#100 2016年06月15日 16:57:59

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

この件に関し聖書を持ち出すとこぞって長老たちは逃げ出します cry

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