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#1 Re: 総合フォーラム » ご感想ご批評お願い致します。私が運営するJW関連の2つのブログについて » 2024年03月21日 08:14:14

「油注がれてます」NGの項ですが、「洞察」のメシアにもはっきり書いてあるんですね。

クリストスという語は時に,メシアつまり油そそがれた者,あるいはそのような者であると主張する者に関して,単独で用いられることがあります。(マタ 2:4; 22:42; マル 13:21)ー(洞察2 P.944)

またその時,『見なさい,ここにキリストがいる』とか,『見なさい,そこにいる』とか言う人がいても,信じてはなりません。ー(マル13:21)

洞察にここまではっきり書いてあることに気づかなかったです。
気づきを与えてくださり、ありがとうございます。

#2 Re: 総合フォーラム » ご感想ご批評お願い致します。私が運営するJW関連の2つのブログについて » 2024年03月18日 11:07:32

はじめまして。
「JW完全論破ブログ」を読ませていただいている途中ですが、ここまでの感想をお伝えしたいと思いました。

まず内容についてはとても深い考察で、「なるほど」と考えさせられるよく練られたものだと思い、興味深く読み進めております。
JWはまず統治体ありきなので、その情報源にしか注目していないと気付かないことは無数にありますよね。

個人的に一点だけ少し気になったのは、表現の仕方や言い回しです。
せっかく「現役JW」も対象にしておられるご様子ですので、そうした方々へのリスペクトや敬意がもう少しあってもよいのかな?とは感じます。
お気持ちはわかるのですが、たとえばベテルを指して「コンクリートと鉄クズ」と表現なさったり、文末に「笑」など入っていたり、小バカにされているような表現がありますと、せっかくの内容が台無しになるような気がします。

私も現役のJWに対して「もっと聖書読めよ!」と言いたくなることは多々あるのですが、ある程度敬意をもって書かれたほうが、現役の方々もyooさんの投稿を敬意をもって最後まで目を通す気持ちになり、自分の信仰を素直に見つめ直すきっかけになるのではないかと思います。(現役の方々がそもそも読もうとなさるのか、という難しい課題はありますが)

あくまでも私個人の意見ですので、参考程度にしていただけたら幸いです。
yooさんのご尽力に感謝いたします。

#3 Re: 総合フォーラム » 霊感と統治体 » 2024年01月20日 09:51:14

大阪女子好きさんの投稿で、「霊感を受けている」ことと「聖霊によって導かれている」こととの違い?は何となくイメージできた気がします。
ただ調べれば調べるほど、「統治体は霊感を受けているわけではない」という説明はおかしいとしか思えなくなりました。

統治体って皆「油そそがれた者たち」の一人なんですよね?
油そそがれた者について考察してみたのですが、



内面的証拠からすればモーセの著作が神の霊感を受けたということには疑問の余地がありません。イスラエル人の指導者になるというのはモーセの考えではありません。彼は最初その勧めにしりごみしました。(出エジプト 3:10,11; 4:10-14)むしろ,神がモーセを立てて,彼に奇跡的な力を与えられたのです。(塔71 7/15 p. 420)



まず聖書の一部を書いたモーセは当然霊感を受けたとみなされていて、霊感を受けている状態を説明するものとして上記の記事では「モーセの考えではない」考えを与えられたことが示されています。
油そそがれて天への召しを受けたことを示す証拠については、このように定義されています。



ある人が油そそがれて天への召しを受けていることを示す主要な証拠は,子としての霊,つまり支配的な意識です。(ガラテア 4:6,7)そのような人は,自分が天の王国の共同の相続人となる14万4,000人の一人として,神によって生み出された霊的な子となったことを全く確信しています。そのような人は,自分の天的な希望が自ら培った願いや想像ではなく,むしろ自分に対する神の霊の働きの結果としてエホバから与えられたものであることを証言できます。(塔91 3/15 p. 19-20)



上述の記事が示すように、そもそも油そそがれた者というのは「支配的な意識」「自ら培った願いや想像ではない」希望を神から与えられていると述べており、これはつまりモーセの場合と同じです。その聖霊に動かされるままに聖書を書いたかどうかの違いはありますが、それは神による人間の用い方の違いであって、彼らも「霊感を受けている」と結論できると思います。

統治体は霊的食物を与える「奴隷」として、油そそがれた者を含む「召使いたち」を世話するという特別な役割をイエスから与えられていると主張しているわけで、そもそも「霊感を受けている」はずの人たちがそんな重要な仕事を果たすときには「霊感を受けていない」というのは、論理的にもおかしいと思います。
神は霊感を与えて「真理」である聖書を人間に書かせたのですから、その真理を教える役割をもし人間の代表者の一団に委ねるのであれば、同じように霊感を与えて間違いのない導きを与えると思うんです。

ですから、「イエスはご自分の奴隷が完全な霊的食物を与えるとは述べませんでした」とか「霊感を受けているわけではない」と書いている時点で、「真理の経路」としてはアウトなんじゃないかと考えています。

#4 Re: 総合フォーラム » 霊感と統治体 » 2024年01月19日 17:34:49

個人的に聖書を読んでいて、「エルサレムにいる使徒や長老たち」が統治体の根拠であるとするのが間違いであることを示す聖句を見つけたような気がします。
それはガラテア2章です。

「エルサレムにいる使徒や長老たち」が1世紀の統治体だったことを説明する際に、エホバの証人は必ずと言っていいほど使徒15章の記述を引用します。
ここで起きた「割礼」を巡る問題は、西暦49年頃のこととされています。
ところで、ガラテア2章でもパウロは「エルサレムに上った」ことについて言及しており、この部分も西暦49年頃の出来事とされています。
ですから、ここでパウロが述べていることも使徒15章で扱われている問題に関連した内容であることが分かります。

ガラテア2章を読み進めますと、6-9節でパウロは「エルサレムにいる使徒や長老たち」について興味深い表現を用いています。

重要と見なされている人たちに関してですが(その人たちが以前どんな人だったか,私は気にしません。神はうわべで人を判断したりはしないからです),私はその主立った人たちから新しいことは何も告げられませんでした。」
柱と見なされていたヤコブとケファとヨハネ」

このパウロの書き方からしますと、恐らく当時「キリストの使徒たち」として持ち上げられていた、いわゆる「重要な人たち」について、パウロは冷ややかに見ていたのではないでしょうか?
パウロ自身が元々当時のエリートのような生い立ちだったものを、キリストによって考えを根底から覆され、まるで逆を向いて歩んでいた自分に過分の親切を示してくださったキリストに対する深い感謝を抱いた人生を歩んでおり、また何度も「律法を守る」ことよりも「信仰の実践」の方が重要であると説いていることからも、肩書やステータスで判断する風潮を毛嫌いしていたように思います。だからこそ「その人たちが以前どんな人だったか,私は気にしません。神はうわべで人を判断したりはしないからです」という言葉が出てくるのかと。

パウロはこの問題に関連して、「その主立った人たちから新しいことは何も告げられませんでした」と結論付けています。
このことから、もし「エルサレムにいる使徒や長老たち」が当時の統治体だったとしたら、なぜパウロが「見なされている」という表現を繰り返したり、「新しいことは告げられなかった」と述べているのか、つじつまが合わないように思います。神が当時の統治体を認めておられたとするなら、不敬ともとれるこんな記述を聖書に残すはずもありません。
この部分は急所なのか、索引やリサーチガイドを調べてもガラテア2章のこの部分に関する考察はほとんどありません。

霊感についてもそうですが、聖書的にも根拠不足だと思いました。

#5 Re: 総合フォーラム » 霊感と統治体 » 2024年01月11日 11:38:56

皆さんのご指摘のように、統治体の指導が生み出してきた結果に目を向けて判断する、というのは確かにそうかなとは思います。

高齢化した人たちの生活が立ち行かなくなり、じゃあ子どもたちが面倒みれるかというと、その子どもたち自身もJWで低収入だったりして、結局生活保護などの行政サービスに頼らざるを得なくなっている現実は日本でも実際増えてきていますね。

鞭打ちの件は、確かに自分が子どもだった時代に、トイレから鞭打ちの音と子供の泣き声が聞こえたり、王国会館に鞭が飾られていたり、どの鞭が一番効くか母親たちが談義していたりした事実は目にしてきています。
でも組織がそこまで体罰を推奨してきたかと問われると、資料を調べると「体罰も必要な場合がある」ことは教えていても、「推奨」と言えるほどではないとも思います。
神の組織が時代背景に左右されるというのもどうかとは思いますが、自分の学生時代を振り返ると、当時は一般的な風潮として、子どもたちの教育にある程度の体罰も容認されていたとも感じています。
ですから鞭打ちについては、今受け入れられている世間的な常識からすると問題ありとは思いますが、それをもって組織の教え云々を問題にするのは少し弱いかな、というのが個人的な見解です。

輸血については、「漸進的な真理の理解」ではなく、時代のニーズに合わせて教理を調整してきていると感じています。
「血を取り入れてはいけない」ので輸血はしないというのであれば、現在のように、分画や血液の関係する特定の治療法に関しては自分の良心において判断しなさい、というのは一貫していないと思っています。
じゃあなぜ献血を禁止するのかとか、母乳に白血球が含まれている事実をどう説明するのかとか、複雑化する教理が別の疑問を生み出していますね。

霊感愛子 さんの発言:

霊感を受けているとか、霊の助けを得ているとか、そういうことを証明することは誰にもできません。ただそう主張しているだけです。そして、だまされやすい人たちがそれを信じているのです。

それで、こんなQ&Aになります。

Q1 統治体が過去に誤った主張をし、それを信じた人たちが悲惨な人生を歩んでいることについてはどう思いますか?
A1 統治体は霊感を受けていませんし不完全なので間違えることもあります。どのような人生を歩むかは個人の選択です。統治体は謝罪する必要はありません。

Q2 そんな統治体なのに絶対服従すべきなのですか?
A2 はい。統治体の決定は霊の助けを得ているものだからです。従わない人はエホバに逆らうことになります。サタンの側に立つ人となります。排斥され、滅ぼされるのです。

私の今の結論も、これに近いです。

#6 Re: 総合フォーラム » 霊感と統治体 » 2024年01月10日 10:19:54

大阪女子好き さんの発言:

霊感を受けるって、よく言う憑依した状態?みたいな感じなんじゃないでしょうか。
だから人間が書いた聖書もあたかも神が書いたかのように、神の考えが反映されているってな感じなんじゃないっすか。

聖霊を受ける、最近は聖なる力の影響ってな言い方しよるねぇー。
簡単に言えば、何かの影響を受けてピコンってなる感じなんじゃないのかな。
聖なる力の影響だからねー。
夏に蛾が電灯に向かって飛んで行くけど、真っ直ぐにズバーって飛ぶのではなくクルクル回りながら街灯にめがけて飛ぶのと同じなんだと思う。
飛ぶ先は光の影響でわかっているんだけど、憑依されてるわけではないのでww、間違うことがある。それはちょうどクルクル回ってる蛾のようなもんじゃないの?

うーん、何となくわかるようなわからないような・・・そんな感じです。

そもそも、霊感を受けていないのに聖霊に導かれているって、どうしてわかるのでしょうか?
「1919年以降,聖書の理解がこれほど早く進んだのは,聖霊の働きによるとしか考えられません。」と書いていますが、その聖書理解が正しいとはどのようにして判断するのでしょうか?単なる主観でしかないように思います。

出していただいた例でたとえるなら、「蛾が向かっている電灯」が真の神で、「電灯が発している光」が聖霊だと言える根拠は何なのでしょうか・・・
「じゃあ憑依している(霊感を受けている)」という前提であれば信じられるのかというと、それを証明するのも難しい気がするので、結局統治体が真に神に導かれていることは証明できないようにも思えます。
神が奇跡でも見せてくれたら一番簡単な気がするのですが・・・

#7 総合フォーラム » 霊感と統治体 » 2024年01月10日 00:56:09

ゆずポン
返信: 16

ものみの塔の説明がいまいちピンとこないので、教えてください。

ものみの塔2017年2月 P.26 12,13節
統治体は霊感を受けているわけでも,完全であるわけでもありません。 教理上の説明や組織上の指示の点で間違いをすることがあります。・・・イエスはご自分の奴隷が完全な霊的食物を与えるとは述べませんでした。・・・統治体は聖霊によって,かつては理解していなかった聖書の真理を理解するよう助けられてきました。・・・統治体は,次のように述べたパウロと同じように感じています。「わたしたちはそれらの事も,人間の知恵に教えられた言葉ではなく,霊に教えられた言葉で話します」。(コリ一 2:13)・・・ですから,1919年以降,聖書の理解がこれほど早く進んだのは,聖霊の働きによるとしか考えられません。

上記の通り、統治体は「霊感を受けていない」とはっきり述べていますが、続く節で、「聖霊によって真理を理解するよう助けられている」と述べています。
「洞察」の「霊感」の項を見ると、次のように定義されています。

洞2 P.1213-1217 霊感
超人間の源から発する霊によって動かされている,もしくはその霊の指示のもとに生み出されている特質や状態。その源がエホバである場合,その結果は,真に神の言葉である宣言や書物となります。・・・「聖書全体」に霊感を与える手段もしくは媒体となったのは,神の聖霊,つまり神の活動する力でした。(「霊」を参照。)その聖霊は人間に対して,または人間の上に働き,神の音信を書き記す人を動かし,導きました。・・・証拠が示すところによると,神の霊はすべての聖書筆者の思いと心に働きかけ,彼らを神の意図される目標に導きました。・・・最終的に出来上がるものが正確かつ真実なものとなると同時に,エホバの目的にかなったものともなるよう,筆者たちを常に十分制御し,導かれ

聖霊の働きについては、次のように書かれています。

洞2 P.1209-1210 霊
割礼を巡る疑問に関してエルサレムの使徒や年長者たちの一団もしくは評議会が決定をしたように,疑問が生じた場合,聖霊は決定を下す際の助け手でした。・・・こうして,神の聖霊の動き,または流れは唯一の方向を指し示していたので,このことを認めたその長老団もしくは評議会は,自分たちの決定を知らせる手紙を書き,「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです」と述べました。

また、天的な希望を抱くようになった人については、以下のように説明されています。

ものみの塔1991年 3/15 p. 19-20
ある人が油そそがれて天への召しを受けていることを示す主要な証拠は,子としての霊,つまり支配的な意識です。(ガラテア 4:6,7)・・・自分に対する神の霊の働きの結果としてエホバから与えられたものであることを証言できます。

私の理解では、

  • 「霊感を受ける」からこそエホバの目的にかなったものとして導かれる

  • 聖書は「霊感を受けた人が書いている」ので信頼できる

そして、

  • 霊感を受けている=聖霊が働いている状態

という解釈になります。

そうしますと、一世紀の統治体(そう呼べるものがあるとして)は、決定を下す際に「聖霊が助け」となったこと、天への召しを受けている人には「神の霊が支配的な意識として働く」ことから、これらはいずれも「霊感を受けている」状態だということになると思います。
そうであれば、冒頭の説明である、「今日統治体は霊感を受けていない」ということと、「聖霊によって真理を理解している」という主張はどう見ても矛盾しているようにしか思えません。「天への召しを受けている」者として霊感を受けている人たちの集合体であり、神の組織の意思決定機関である統治体が、「霊感を受けていない」というのは不自然に思えます。

これは今日の統治体を、神が用いる奴隷級として、また真理の経路として受け入れるかどうかを大きく左右しそうなのですが、私の理解の方に間違いがあるのかはっきりわかりません。
そもそもイエスが、わざわざ「不完全な霊的食物」を奴隷級に与えたり、明快な真理のことばとしての聖書を書くよう導かれたエホバが、今日真理を漸進的にしか明らかにされないとはどうしても思えません。

ご意見があればご教示ください。

#8 Re: 総合フォーラム » 献血と血液分画について » 2023年11月23日 20:21:02

性的虐待 さんの発言:

目撃証人が2人必要というシステムが、まずは問題点だと思います。
今はどうか知りませんが、仲間を訴えてはならない的な聖句の適用で警察に通報されないこと。
問題を起こした特権持ちが、再び特権を持てること。

これ、私の理解に間違いなければ今も変わっていないと思います。
そもそも目撃証人が2人以上いるような場所で、普通は性的虐待を加えるはずもありませんよね・・・明るみに出ていない犯行もたくさんありそうです。

警察に通報せず組織内で隠ぺいするかのようなスタイルが、明るみに出て攻められているようですね。
私が見た動画では、ある長老が聴聞に際して、「子どもに性的虐待を加えた人を排斥した場合、組織のにいる子どもたちをその人の再犯から守るために何の策も講じないのですか?」と尋ねられた際に、「私は会衆の牧者なので会衆のことを心配する」「会衆外の子どもたちすべてを守ることなんて不可能だ」というようなニュアンスのことを証言していました。
一長老としてはそう証言するしかないでしょうね。
確かにエホバの証人のこのシステムは、会衆の中の人を守ることに重点を置くあまり、会衆外の人のことはほとんど気にかけていないことの一例ですね。

#9 Re: 総合フォーラム » 献血と血液分画について » 2023年11月23日 17:21:47

匿名 さんの発言:

ユーチューブで JW Governing body Anthony Morris と検索してみて下さい。

4年前モリスが日曜朝の集会の時間に酒屋で大量のウイスキーボトルを買って車に積み込む動画がありました。

ありがとうございます。こんな動画もあるんですね、知りませんでした。

この動画から「日曜朝の集会の時間」というのはわかりませんでしたし、「大量のウィスキー」(しかしかなりの量ですね;)を買っていたとしても、それをすべて自分で飲むためなのか、それとも仲間と一緒に楽しむためなのかなどは判断がつきませんでした。

背景情報がわかりませんので、この動画だけをもって何かを判断するのも難しい気はするのですが、いずれにしても普段見られない姿が見れたのはよかったです。
お酒が原因で統治体からはずされた、という可能性はあるのかもしれませんね。

調べてみると、オーストラリアの聴聞会で証言しているジャクソン兄弟の動画などもありますね。
児童に対する性的虐待は、残念ながら組織内で思ったよりも横行しているようで、わりとショックです。

#10 Re: 総合フォーラム » 献血と血液分画について » 2023年11月23日 09:52:22

匿名 さんの発言:

世界中で起こっているJによる児童性虐待や統治体のこと

これですが、「統治体のこと」というのは具体的に何のことを指すのか、教えていただけますか?

#11 Re: 総合フォーラム » 献血と血液分画について » 2023年11月22日 14:26:44

揺れ動く心さん、オブザーバーXさん、ご意見ありがとうございます。

若ければ若いほど早ければ早いほど・・・本当にそうですね。
実は私は献身してからもう35年になるアラフィフです。もうだいぶ遅いですね。

「いいかげんに組織に疑念をもちながらも、、他には行けない状態」まさしくそんな状態なのかなと思っています。
信者の妻も3人の子どもも(上の2人はJWをお休みしていますが)おりますので、父親としてどう決断するのが良いのか、正直悩んでいます。

長年信者だったこともあり、年代計算の間違いや児童虐待の実態などを目にしても、まだどこかで「組織が間違っているはずがない」と信じたい気持ちも捨てきれず、これが真理じゃなかったらどうしたら良いのか途方に暮れているところもあります。

妻に「JWを辞める」と言ったらどうなるか・・・頑張ろうとしている娘はどう感じるのか。
でも見なかったふりをして、JWとして何となくでも活動を続けていく自信もありません。悩ましいです。

トピックの趣旨と少しずれてしまいました。申し訳ありません。

#12 Re: 総合フォーラム » 献血と血液分画について » 2023年11月22日 11:06:42

>モトシモベさん

ご意見ありがとうございます。

面白いたとえですね。
その場合は私も腹立ちますね(笑)

#13 総合フォーラム » 献血と血液分画について » 2023年11月22日 00:00:38

ゆずポン
返信: 26

はじめまして。
今のところ現役の二世ですが、JWの矛盾に気付くようになり揺れ動いている日々です。
輸血拒否にまつわる長年の疑問についてご意見をお聞かせください。

JWは「全血」および血液の主要成分である「赤血球、白血球、血小板、血漿」を受け入れることについては、明らかに神の指示に反するとしています。
一方「血液分画」については、クリスチャン各自が自分で決定すべきこととしています。

長年JWとして生きてきたこともあり、輸血そのものに対する忌避感があるのも事実なのですが、「血液分画」については個人で決定するよう方針が示された時から疑問を感じるようになっています。
と言うのも、「血液分画」というのは元々誰かの血液を精製して作られているのではないでしょうか?

血液がなければ分画を作り出すことができないのであれば、当然ながら元となる血液の提供者が必要になるわけで、普通それは「献血」で賄われているのではないかと思います。
ですが私の知る限り、JWで積極的に献血に協力しようとする人はいません。
「献血」=「輸血」と考えるのが自然であり、輸血を拒否しているのに献血するのは矛盾するように思うからです。

私はここに疑問を感じました。
「血液分画」を受け入れる決定をしている人は、献血があってはじめてその恩恵にあずかれるのではないのか、ということです。
自らは献血に協力しないのに、血液分画を受け入れるのは論理的におかしくないでしょうか?

皆さんのご意見をお聞かせください。

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