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#1 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 今日 10:05:10

元証人さんにお願いです。


残念ながら、元証人さんの挙げられた投稿の中に
聖書の歴史的証拠を証明するだけの証拠がひとつも見当たりません。

それと言うのも、元証人さんが関心を寄せているのは
あなたと同じように「信じたい」がために
憶測=証拠
としてしまう方の書籍ばかりです。


ダビデやソロモンの栄華の証拠が見つかったことは未だかつてありません。
洪水や他の記述の裏付けの証拠もそうです。

ですから、これ以上いろんな史料・資料をUPされるのではなく確たる証拠をUPしてください。

そして、聖書による年代計算を否定されるからには
まず、ノアの日の洪水がいつのことであるのか・・・をお伝えください。
話しはそれからです。

よろしくお願いいたします。

#2 Re: 総合フォーラム » Jobs & JW’s » 今日 09:47:47

y3800 さんの発言:

ささらほーさらさん
豊洲でコンサートですか!自宅からの交通経路を調べたら、40分で着けるそうです。以外と近いな。今日は夜勤明けなんで、朝には仕事が終わって帰るのですが、家には子供たちが待っているので今回は難しそうです。もう少し早くわかっていれば・・
鬼嫁も待機してるので、またの機会に行かさせてください。

それなりにあちらこちらで歌ってます。
そのうち聴いていただく機会もあるでしょう("^ω^)・・・。

#3 Re: 総合フォーラム » Jobs & JW’s » 今日 09:46:23

1,000時間奉仕者 さんの発言:

* 1/21なんて日付が近すぎて休み取れないよ~、なんでもっと早く教えてくれなかったのぉ>ささらさん! いま住んでるところからなら日帰りで行けるのに、東京…(泣)

あら、考慮してくださってありがとうございます。
他のコンサートと違って「手作りコンサート(自分たちで企画)」は、
いろんな趣向を凝らすことが可能なので楽しいです。
彼の声は「癒し効果」のある声で「聴きあきない」と言われます。
そのうち是非。


1,000時間奉仕者 さんの発言:

つくづくキレやすいご一家ですね……いや所属会衆に恵まれなかっただけか(笑)

済みませんね。
長女(AB型)以外全員B型ですので("^ω^)・・・。
正義感強い&芸術家肌・・・扱いにくい人種です。

#4 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 今日 09:39:57

KAO さんの発言:

この本で頻繁に参照されるイガエル・ヤディンという考古学者についてだけ言及しておきます。
この人が考古学者であることは事実ですが、実はもうひとつの顔があって、現代イスラエル国家樹立後のイスラエル国防軍の総司令官として中東戦争を指揮した人物なんです。すなわち、あちこち掘り返してはリアルに「ここはウチらの土地じゃ~!!」「ここもウチらの土地じゃ~!!」「どいつもこいつも出て行け~!!」ってやってた人なんです。
そしてこの人の著書は1970年代に、やはり超保守派の論客であった故山本七平氏の経営する山本書店から邦訳出版(『マサダ』『バル・コホバ』)され、80年代に入ってからではありますが、当時まだ子どもだった私は面白く読んでいました。父の影響で小さい頃から歴史好きだったんです。
今大人になって読み返してみると、とにかく何でもかんでも聖書の記述に結びつけ、「聖書に書いてある通りでした~!」という主張に溢れていることが目につきます。

同時代には、やはり考古学によるイスラエル史解明を目指していた米国のジョン・ホプキンス大学のW・F・オールブライトの著作も次々と邦訳され、遠い地にある私たち日本人クリスチャンは、「パレスチナ難民」のニュースを見ながらも、やっぱり聖地はユダヤ人のものだったのよね~って思っていたのです。
オールブライトの著作は(なにせ英語だし保守的だから)、JWの書籍にもよく参照されます(「あなたの王国がきますように」とか)。

情報ありがとうございます。
なるほど(・_・D フムフム・・・納得ですね。
そんな人々の書いたものを・・・何故そうも簡単に信じてしまうのでしょう???

聖書についての質問さんも言ってらした・・・批判的に読まないとね。
書いた人の背景とか信念とかも、ある程度押さえておく必要があるわけです。
信じたいと「フラットアース」でさえ真実味を帯びてしまう(´;ω;`)ウッ…

#5 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 今日 09:30:27

元証人 さんの発言:

そして最近は言語学者気取りですか。

言語学者は、もっと膨大な史料から調べています。
ヘブライ語が新しい言語だということをお伝えしたに過ぎません。

そんなことを書いている暇がおありでしたら、
山我哲雄さんの「一神教の起源」でもお読みください。

#6 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 今日 09:27:02

元証人 さんの発言:

文章を書いた人物の年齢が関係ない事ぐらいは理解できましたか?

あなた方の聖書の信憑性を落とそうとする試みこそムダな事です。

信じない者の発言に過ぎません。

信じたくない者の希望的発言ですね。

問題は書いた人の年齢ではありませんよ。
内容が新しくないということです。
全然最新ではありませんね。

#7 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 今日 09:25:19

元証人 さんの発言:

ソロモンの治世のものである。

それって、ソロモンの名前や証拠となる碑文が一緒に発掘されているのですか?
紀元前10世紀に、ヘブライ人の間には文字が使用されていません。
それは何語で書かれているのですか?

そうでないなら、それは「学者」の発言とは言えませんし、やはり希望的発言でしかありませんよ。

こと聖書の記述を証明するための考古学史料には、碑文等の文字的証拠があるかないかが重要とされています。


元証人 さんの発言:

つまり、ソロモン時代に中央権力により建てられた事が述べられているのです。
「これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる。
石の碑文が不足している中で,これ以上確かにすることは困難であろう。」

それも勝手な推測に過ぎないものです。

石の碑文が不足(不足ではなく、本当は皆無のはず)と書いてあるのでしたら、何の証拠にもなりません。
紀元前900年に至るまで、それまでの聖書歴史の記述を裏付ける文章は見つかっていません。

聖書考古学の基本です。


元証人 さんの発言:

さらに、私が挙げたその次のページである106ページは故意に読み飛ばしですか。

「シシャクは、勝利後1年くらいで死んだ。彼の息子が捧げた贈物の詳細が記録されている。それは、他のいかなるファラオが記録した金と銀よりも多くの量に達している。重さでは金銀の合計は、約20万kg(200トン)である。
他のエジプト文書の研究から、これらの量が誇張であると考える理由はなにもないことがわかる。これほどの量ではないにしても、他のファラオたちも自分の神々に壮大な贈物をしている。この富がどこからきたのかを明らかにするものは何もない。しかし、その多くは、シシャクがエルサレムにあったソロモンの神殿と宮殿から運び去った金であったと考えるのは妥当なことであろう。」

故意です。
おバカなことを語っているな・・・と思ったものですから。
憶測でしかないもので考慮に値しないからです
当時、衰退ぎみだったとはいえ、エジプトには多くの金が集められていました。

エジプトの新王国時代(BC1589―1150年)までには、
金細工師がエジプト社会でも重要な地位に上り、
墓に埋葬したり神殿で神に捧げたりするための宝飾品の売買は、
この時代に最も繁栄したもののひとつだったのですよ。
エジプトでは、最も繁栄した王の棺には100kgもの金が使われていたとのことです。
前10世紀頃の弱小イスラエルとは比べものになりません。


元証人 さんの発言:

ソロモンの栄華は何も否定されていません。

そりゃ信じたい人は否定しないでしょう。
もっと信仰に中立的な立場の方の資料をご覧ください。


元証人 さんの発言:

少なくとも史実と一致している場合が多いわけですね。

多くないですよ。少ないです。
とりわけ、紀元前800年頃まではほぼ創作or誇張です。

#8 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 今日 08:51:09

元証人 さんの発言:
ささらほーさら さんの発言:

最新の・・・とのことでしたので期待していたのですが

文章を書いておられる私市元宏(きさいちもとひろ)さんは1932年生まれで御年85歳になられる方ですね。
(以前のわたしに対する発言を考えると、とても元証人さんの考慮に値する年齢ではないのでは???)

で、ずっと長くクリスチャンやっておられる方ですから、やはり擁護寄りですよね。
それでも、
「ただし、その弟子が、ゼベダイの子ヨハネであるという確証はありません
伝承は、使徒ヨハネが、ヨハネ福音書の「著者」であったと伝えていますが、現在の学説では、使徒ヨハネがこの福音書の「著者」であることだけでなく、「イエスの愛する弟子」自体が、使徒ヨハネと同一人物であることさえも疑問視するのです。」
って書いてあるから、現在も懐疑的なことは認めてらっしゃいますよ。

今見たら、質問さん同じところ指摘していました。失礼しました。
行き違いね。
元証人さん、読解力身に着けてくださいね。


その文章を書いた人物の年齢など何の関係もない事である。
例えば、比較的若い学者が書いたものでも、従来の古い説を信じ、それを元に書いたのなら年齢など関係ない。


で、私が挙げた文章をよく読むように。

※「2000年以降の最近の傾向としては、それまでの聖書本文への過激な批判に基づく否定説は後退して、逆に古代からの聖書の「外的な」伝承が重視されるようになり、これに伴ってヨハネ福音書とヨハネ書簡とヨハネ黙示録をイエスの愛弟子一人の著作に帰して、しかもそれが使徒ヨハネ、あるいはこれに近い人物だという説が再提起されています。」


と、このように過激な批判に基づく否定説は後退している事を述べている。

で、私が最初書いた文章はこれである。


福音書は当時の共通語であったギリシャ語で書かれたと思いますが、マタイによる福音書はヒエラポリスのパピアスによれば最初ヘブライ語で書かれ後にギリシャ語に訳されたという事です。
その事を疑問視する人もおり、他の著書についても意見を異にする説も踏まえた上で私は、クレイグ博士の意見に同意します。ですから、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが記したという意見に同意します。
※しかし、その教えに立つ教団内の側近が編集した可能性はあるかもしれません。


まず、社長が秘書を使って手紙を書いたとしたなら、書いたのは秘書でも、その手紙は社長の手紙である。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなどが最初に伝えた教え、或いは文章があり、それを側近の者が纏めたとしても著者はあくまでもマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなのである。


それを否定したいだけの者は偽書だとして信用できないものであるかのように考える。実に浅はかな事である。

また、ある者は、筆者が匿名であったとしても何ら価値が落ちるのではないと言いながらも大した信仰も持たない。

さて、弟子たちが無学な普通の人だった事が何か問題になるだろうか。

大工であったイエスは権威ある者のように教えました。弟子たちが普通の人であったとしても、イエス様の弟子となり、直接指導され、訓練されたわけですから、言わば最高レベルの神学校で学んだようなものです。


では、先に挙げた文章の結論を見てみましょう。





「したがってわたしたちは、この福音書の伝承の源となった人物を伝承に従って「ヨハネ」とだけ呼ぶか、あるいは同じヨハネ系文書に出てくる「長老ヨハネ」と区別する意味で、「始祖ヨハネ」と呼ぶのが最も適切でしょう。

※【しかし、主の愛弟子が始祖と同一人物であり、しかも使徒ヨハネであるという古来の伝承は、現代の様々な推定や想定よりも「確実とは言えないまでも、より確かに近い」と言えましょう。 】」


そうです。おたくらの『不確かな推測』よりも古来の伝承どおり(ここでは)使徒ヨハネであるというのが、「より確かに近い」という結論です。


少しは読解力を身に着けて下さいね。



そして、擁護寄りな意見が信用できないというのなら、あなた方のような否定する事しか念頭にない者らの意見こそ何の価値もないでしょうな。

ですからね、それら(「再提起されています」とか「確実とは言えないまでも、より確かに近い」とかいう記述)は、どう考えても信仰故の希望的発言ですよ。
何の根拠にもなっていないと申し上げているのです。
同じ希望を持っている方には、そういった発言は「一縷の望み」でしょうけれど、
証拠にはなっていません。

#9 Re: 総合フォーラム » ノア洪水を示す証拠はありますか? » 昨日 19:45:35

あんまり読みたい人はいないかも知れませんが
先日はシュメール人の文字について簡単に書いてみました。

今日はエジプトでの文字の進展、そしてヘブライ語について見てみましょう。

紀元前3400年には、アビドス(カイロから南へ500kgほど行ったところ)で「判じ絵」式で読める、
十分に発達したヒエログリフが使われていたとのことです。
文字を研究しているスティーブン・ロジャー・ウィッシャーは、シュメール人の考え出した「判じ絵」が
より効果的な統治方法を探していた上エジプトの支配者たちに影響を与えたのだろうと考えているようです。
それは、情報の保管と管理に好都合な伝達手段だと評価された・・・ということを意味しているわけですね。

そして、エジプト人は紀元前3000年紀には、既に子音を表現する方法、
すなわち古代エジプト「子音アルファベット」を作り上げていました。
ところが、このアルファベットは伝統を重んじる国民性やら神官やらの影響で
エジプトではそれ以上の発達をみることはなかったようです。
代わりに、当時エジプトの配下に置かれていたセム系民族に広がり
後にそちらの方でより発達したアルファベットとしての「日の目」を見ることになります。

スティーブンさんはシュメールとエジプトで練り上げられていった文字文化が後々世界中に広まって行ったことについて
完全な文字の概念はシュメールで起こったかも知れないが、われわれの使用している書記方法は
われわれが「文字」と呼んで使う記号のいくつかでさえも、
つきつめれば創始者である古代エジプト文字の子孫なのである」
と書いていました。
なんだか、わかったようなわからないような・・・(#^.^#)。

でも、この2大文化から生まれた「体系化された文字」が
(他の文化や民族も含めた)国の興亡と共に広がったり時には消えたり
(実際に征服した国が被征服国の文字を廃止なんてこともあったようです)・・・
影響し合ってより機能的で効果的な多くの文字体系を形成したようです。


さて、紀元前1050年頃、そういったアルファベット(子音しか持たない)からなるフェニキア文字が
地中海沿岸を中心にフェニキア語の表記のために用いられるようになりました。
フェニキア人は海洋商業民族だったため、
商業のための移動と共に近隣に文化的な影響をも及ぼし
これが後に、アラム文字やカナン文字へと派生してゆくのです。

そして、アラム文字は更にヘブライ文字とアラビア文字の起源となり
もっと後にはインド亜大陸、および遠い地域の何百もの文字の起源ともなったようです。

そうですね。
やっとこの辺でヘブライ文字が誕生するわけです。

紀元前8~7世紀には、アラム語は古代の近東で最も広く使われる言語
すなわちその地域全体の国際語となり、
ペルシャ帝国(紀元前550~330年)の公用語となりました。
それはペルシャ帝国の崩壊後も生き残り、
3世紀までに新しい書記法に変化してアラビア語などに分かれていきました。

ヘブライ文字もまた、アラム文字から生まれた文字ですが
紀元前850年頃に、古ヘブライ文字が宗教において使用され始めたことが確認されています。
(長谷川修一さんの記述と一致しています)
その後、バビロン捕囚によって世俗用には使用されなくなり
その捕囚期間には線形ヘブライ語である「アブジャド」が使われていました。
また、アラム文字の変種としてサマリア文字も生み出されていました。

後に「死海写本」が発見されたことにより
紀元前1世紀までにヘブライ文字が標準化されていたことがわかっています。


そんなわけで「聖書には真実の歴史が書かれている!」と信じている方々には気の毒な限りですが
世界中の文字の多くは(中国語、日本語などは今回「度外視」しています)
シュメールエジプトの文化から生まれ、育ってきたものです。

初めに書いたように
ノアの日の洪水が今から約4400年ほど前である(と計算できる)なら
それよりも100~200年後にバベルの塔の崩壊と共に世界中に言語が散っていった・・・とする記述は
やはり「創作」と言わざるを得ないでしょう。
シュメール人とエジプト人
約5000~5500年前には、ただ絵を描いただけではなく
伝達手段としての文字体系の基礎を作り上げていたのですから。

それは、それよりも遥か古代(まだ文字がない時代)には
口頭による意思表示=言葉が話されていたことをも意味するのではないでしょうか。
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#10 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 昨日 11:27:15

てつてつ さんの発言:

みなさんこんにちは 昨日はまたスキーにいってました ひまな人はまたみてくださいねー kiss

今日は久しぶりに仕事が休みなので見せていただきました。
コロッケカレー、最高ですね。美味しそう!
てつてつさんは笑顔が似合って・・・癒し系ですね(^_-)-☆。
幸福そうな方を見ていると和みます。

いつもほのぼの情報とお気遣い・資料など、ありがとうございます。

#11 Re: 総合フォーラム » Jobs & JW’s » 昨日 09:05:16

ささらほーさら さんの発言:

年子の妹(長女)が兄の犠牲になって進学を諦めたのですが
高卒後、わたしが就職した会社に、やはりデザイナーとして就職して助けてくれました。

長男と長女はバプテスマ受けていましたが

長男は音大付属高校時代から不活発→自然消滅しました。

長女はデザイン部から営業部へ(最初の就職先とは別会社)→残業・他者とのつきあい多数
→集会不活発→口うるさい姉妹たちの「霊性が落ちる&滅びる」コールにブチ切れて自然消滅
その後、働きながら歯科衛生士の学校へ行き、今はその仕事をしています。

次男は伝道者止まりで消滅→高校中退→バイトから入ったアパレル会社で正社員となり、今は店長になっています。

次女は伝道者になる前に司会者姉妹の約束反故にブチ切れて消滅→専門学校を経てパティシエの卵です。

いろいろ困難はありますが、やり方次第という面もあります。
JWのお決まりコース(集会・注解・奉仕・個人研究重視)では、社会でやっていくスキルは身に付きません。

学校なり国家試験なりを経て資格を身に着けるか
修行に励んでスキルで勝負するか・・・
あるいは能力をアピールするか("^ω^)・・・。

日本や韓国は、若い時に学歴のレールから外れると
軌道修正が簡単にはいかない仕組みになっている上に
何かと「資格」重視社会です。
年齢の縛りも大きいです。
年齢的に可能であっても、周囲の認識がそれを許さなかったりします。
わたしが40歳でビジネススクールに行き始めた時も
クラスの講師ですら「無理だと思います」と宣言していました。
20代が何人か脱落してゆく中で生き残り
DTPエキスパートの試験も通ったし就職もできました。

実は、今から新たな方向の学問の計画も持っています。
1000時間さん、今回の就職を足場に、その先も目指されたらいいですよ。

バカ親推薦の息子の手作りコンサート(嫁と友人と)が1/21(土)豊洲のシビックセンターホールで開かれます。
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チラシデザインはささらです。

#12 Re: 総合フォーラム » Jobs & JW’s » 2017年01月18日 21:50:47

1,000時間奉仕者 さんの発言:

以前からささらさんのエピソードを読むたびに「ギリギリの生計だっただろうに何で音大に通わせたの? そもそもできるの、そんなこと?」と思ってました。裏技?(笑) 伝授ください。

息子の音大&留学は、学校からの奨学金と国民金融公庫からの借金ですよ 笑
幸い、彼は国内でも5本の指に入るバリトン(とバカ親は思っている)です。
学生時代から各種のコンクールで何度も優勝して(多い賞金のものでは1位で50~100万)稼いでくれました。
留学は、若手芸術家向きのやはり返金なしの奨学金を毎年300万(5年間はもらっていたみたい)
&海外でのバイト(レストランで歌ってた)&とあるスポンサー会社からの援助です。
あと、年子の妹(長女)が兄の犠牲になって進学を諦めたのですが
高卒後、わたしが就職した会社に、やはりデザイナーとして就職して助けてくれました。

それからね、母子家庭なので公共の扶養手当を利用させていただきました。
これは、長子は数万で二人目からは少額なのですが、月々数万は大変助けになりました。
長女が就職し、わたしも収入が増えた時点で
他の方にその分を回していただこうと「現況届け」を提出せずにいたのですが
数年後(別の市に越していた)に以前住んでいた市の担当者さんからご連絡いただき
「あなたが貰う権利のあるものです。受け取ってください」と
80万余を振り込んでいただいたことがあります。

どうしても大変な時は、両親が貸してくれたこともあります。
(子供の入学が重なって制服や学用品代が大変な時など)

いつも無いのに、いつも何とかなる・・・感じです。
緻密な計算はほぼしたことがありません。

参考にもなりませんね。

#13 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月18日 21:04:37

元証人 さんの発言:
てつてつ さんの発言:

だからこそソロモンの栄華はなかったみたいですね cry


ダビデ、ソロモンは実在し、その栄華も確認されています。

『発掘された聖書』は考古学では古いのです。


これを見るとよいでしょう。



https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4309761127?vs=1




https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/458837 … ref=plSrch


後半の資料、てつてつさんが6000円もかけて購入→データくださったので取り急ぎ眺めてみました。
件の証拠(「ダビデ、ソロモンは実在し、その栄華も確認されています。」)って以下の部分ですかね?
他は、エジプト、アッシリア等々の遺物の話しばかりでしたので・・・。

さて、
ソロモンの時代とされる建造物のうち,最も注目されているのは三つの町を通り抜けている通路である建造者 誰かを明らかにする礎石も文言もないしかし,そこから発見される陶器は,ソロモンの治世のものであるつまりその建造物は,その当時使わ れていたことを示している.その-つは,1902年から 1909年にわたるゲゼルでの発掘,もう一つは,1936 年から37年のメギドでの発掘そして第三は,1955年 から58年にわたるハツォルの発掘で発見された.発掘技術の進歩と陶器類の様式についての知識の向上によって,イガエル.ヤディン は,彼がハツォルで発掘した門をソロモンの時代に属すると判定した彼は,さらに,最初の発掘者たちが全然ソロ モンと関連づけなかったゲゼ ルと特にメギドでの残骸を調 べた.ヤディンは,これらの三つ の門がほとんど同じ平面図と非常によく似た特質を持っていることを立証することができたその門が建造され,使用された時代に属する陶器の 破片は,ソロモンの時代,す なわち10世紀の中期のもの である ハツォルの門が明らかにな った後,ヤディンは‘ゲゼル とメギドに注目したなぜな らソロモン王国の菫要な町で,ソロモンが行なった建築 活動に言及している聖書の箇所を思い起こしたからである第一列王記9=15節はこう記録している「ソロ モン王は,役務者を使って神 殿H一千宮を建て,町の東側を土で満たし,城壁を建てた彼はまたハツォル,メギド, ゲゼルの町々を再建した」 これらの町で見つかった門の平面図が一致していることに加えて,ヤディンは隣接している城壁も同一の平面図を持っていることを発見したそれらは,「ケースメイト」と呼ばれるすなわち,城壁が2列になり,その間に仕 切りとなる壁があり,一連の 細長い部屋が続いているもの である 各遺跡の床面の上に建つ城 壁の石造りは非常に質の高い 物であった城壁の各側面に
おけるブロックは正確に正方形になって積まれ,構造を堅 固なものにしている.
これら三つの門の間にある 類似性と石工術の質の高さとによってわかることは,これらの門が,かなりの資源を自由に駆使できる中央権力による設計に合わせて建てられたということである,その設計は中央権力の間に伝えられていた‘陶器の証拠は‘その建造物が前10世紀であることを示している.これらの諸点存聖書の記録と比較するとき,これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる石の碑文が不足している中で,これ以上確かにすることは困難であろう.メギドには,同時代に属する町の中に‘広大な建物の跡がある残念なことにその石工事は非常に良かったので, 後代の建築者たちがそのブロックを再利用するために破壊してしまった.その結果,王宮,官庁,当時の住居などはほとんど知られていない。」


???聖書の記述による「ソロモンの時代」「ソロモンの統治下」を前提に書かれているだけですよね。
ソロモンの神殿とか栄華の証拠や根拠についてはまったく触れられていませんが("^ω^)・・・。


それに筆者は、前書きの部分で
「もし考古学的発見の結果が,古代のある習慣について述べた古代の作者の記述と一致していても,それによって,書物に述べられたひとつの実例が実際に起きたということが立証されるわけではない.立証のためにはその出来事に関しての,独立した, 記述された証拠が必要であろう.」と述べていますよ。


※現代の聖書学者の多く(わたし自身も)は、聖書の記述のすべてが作り話・神話であるとは考えていません。
とりわけ、バビロン捕囚より少し前(王国分裂時代)からの歴史に関しては
正確とは言い難いにしてもほぼ史実と一致している場合が多いでしょう。
ただ、それを「神」や「予言」「特別の民」として記述している扱い方には誇張や創作が認められ、
そこに至る古代の歴史に関しては、口承を元に作り上げられた「物語性」が大である=神の介入はないと考えているのです。

#14 Re: 総合フォーラム » ノア洪水を示す証拠はありますか? » 2017年01月18日 19:08:27

さて、先日の文字年表で文字の歴史に関する投稿は終わり・・・と思った方が多いと思います。

確かに、年表だけを眺めてみても
ヘブライ文字はかなり新しい文字の部類に入るわけです。
どう考えてみても
「バベルの塔の崩壊と共に多種多様の言語、そして文字が世界中に広がった」という聖書の説はあり得ないわけです。

わたし自身、文字の歴史に足を踏み入れてみて
はじめてその奥の深さを知りました。
いや、まだよくは理解しきれていないのが現実なのですが・・・。

未だに解読できていない文字群や
これから発見されるのを待っている遺構などもあるわけです。
それらに思いを馳せてみただけでも
人類の歴史が数千年~1万年程度のものではないことが窺いしれるのではないでしょうか。

いずれにしても、それら世界中の言語とその歴史については
直接は聖書の内容とか歴史、信憑性とは関係がなさそうなのでこの場で論じることは控えようと思います。
それでも、実は世界中の言語や文字は思いのほか複雑に絡み合い、関係しあっていることもまた確かなようです。


そういった情報の中で、今回から「ヘブライ語」(死海写本に用いられていた古典ヘブライ語と近年復活して使用されている現代ヘブライ語)へのルーツに限定して
その歴史(フェニキア文字からの変化説と、主流とは離れたもう一つの説)についてまとめてみたいと思います。

みなさんもご存じのように、古典ヘブライ語は一部の地域を除いて、第2次ユダヤ戦争(西暦131- 135)の時期にはほとんど使われなくなり、アラム語がそれに替わって使用されていました。ユダヤ人はこの時パレスチナから追放されて世界各地に離散しました。そしてそれは、19世紀末まで続きます。ユダヤ人は移住した先で二つの言語を作ります。一つはスペイン地方に逃れた人々はスペイン語もどきの日常語ラディーノを、ライン川の西に住んだユダヤ人はドイツ語もどきのイディッシュを作りました。その後も、ヘブライ語に関しては様々な逸話があるのですが、ひとまずは、フェニキア文字からヘブライ語になるまでを簡単に追ってみたいと思います。


いくらか前に、絵が文字の役割を果たしていた時代について書きました。
それは、シュメールでもエジプトでも共通だったようです。
最古の粘土板は、バビロンとペルシャ湾の間にあるユーフラテス川下流のウルクから発掘されました。紀元前3300年くらいの物のようです。まだ、単純な数と商品がそれとわかるような絵文字です。それでも、そういった標準化され、様式化された絵文字が使われているということは、それまでにもっと単純な「絵」から試行錯誤の時代があったことを窺い知ることができます。
これらの初期の粘土板には、すでに1500の異なった絵文字と象徴があり、それぞれが1個の具体的な対象を表していたことがわかっているそうです。
紀元前3700年頃、より多くのことを伝えたいとか、曖昧さをなくしたいという願いを実現するため、音と象徴(絵文字含む)を体系的に統合して、1つの文字体系の「記号」が作り上げられたとのことです。結果、シュメール語はほとんど単音節(1つの語根につき1音節)で、非常に多くの同音異義語ができました。(英語ならば、to、two、tooのような感じ)

ところで「判じ絵」ってご存知でしょうか?
日本でも江戸時代を中心にクイズ的に楽しまれたようです。
たとえば、立っている子供の絵=こたつ。ガマ蛙が茶を立てている絵=茶釜。

シュメール人もそのような感じで、誰もが知っている図を組み合わせて文を作ったそうなのです。
(まあ、本当はもう少し「複雑」な接頭辞とか接尾辞とかも関係しているのですが、難しいので割愛して(テヘペロ)・・・)
紀元前4000年紀の初期から3000年紀にかけて、ほとんどが絵文字だった文字事情が、紀元前2600年までには、約800の絵文字と表象と記号だけで著すことができるようになっていったのだそうです。

「文字の歴史」の著者であるスティーブン・ロジャー・フィッシャーは
「メソポタミアのシュメール人は、ひととおりの標準化された絵文字と象徴―ノッチから書字版に至る長年の発展の純化物―から、その後の人類にとって最も用途の広い道具になるものを編み出した。したがって、おそらく他の文字体系と書記法はすべて、6000~5700年前にメソポタミアに誕生したこのひとつの原型―体系的音標綴字法―の派生物なのであろう」と書いています。

また、こうも語っています。
「文字は『意図的に作り上げられ』なければならないものであって、生じた社会的必要によって決まる長い過程を必然的に伴う。」

「絵」からもっと複雑な内容を伝えるための文にしていくため
体系化された「文字」と変化する過程について
わたしの文章より分かり易そうなサイトを見つけました。
参考にしてくださいね。

http://contest.japias.jp/tqj14/140391/j … /birth.htm

(つづく)

#15 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月18日 18:12:15

ダビデ、ソロモンが実在しなかったかのように言う者や、ソロモンの栄華はなかった事が分かりますなど

ああ、それからね。
これは断言できないと思いますよ。

ソロモンの繁栄が事実であったら周辺諸国にまったく記録がないばかりか
あれだけ人の行き来が激しい土地柄なのに
近隣に口頭でさえ(まともな)言い伝えがない・・・
というのは考えられないよね、ということです。
あくまでも予想ですよ。
ほぼなかったよね・・・程度の。

#16 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月18日 15:21:26

元証人 さんの発言:

「旧約聖書の謎−隠されたメッセージ   」長谷川修一

では、

「低年代説論争に関しては、今後さらなるデータを集積・分析してより一層議論を深めていかねばならないが、、1990年代初頭にフィンケルシュタインが提唱した低年代説の一角は今、危機的状況にあると言えよう。」(p155)

と昔のフィンケルシュタインの説は危機的状況にあると述べています。
そして、
「結論として、列王記上十四章の方の記述は史実を反映していると考えてよいようである。」(p159)

と長谷川修一は書いています。

この列王記の記述とは、
I列王記14章
「レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、
主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。」

ですね。
あなたが特に目新しいものはないかのように述べた「聖書時代の秘宝」法政大学出版局
では、

「シシャクは、勝利後1年くらいで死んだ。彼の息子が捧げた贈物の詳細が記録されている。それは、他のいかなるファラオが記録した金と銀よりも多くの量に達している。重さでは金銀の合計は、約20万kg(200トン)である。
他のエジプト文書の研究から、これらの量が誇張であると考える理由はなにもないことがわかる。これほどの量ではないにしても、他のファラオたちも自分の神々に壮大な贈物をしている。この富がどこからきたのかを明らかにするものは何もない。しかし、その多くは、シシャクがエルサレムにあったソロモンの神殿と宮殿から運び去った金であったと考えるのは妥当なことであろう。」

と書いています。

つまり、考古学では、ダビデ、ソロモン等の実在は何ら否定する証拠は挙がっておらず、むしろその存在の可能性が高まっているのであり、ソロモンの栄華も否定されてもいないのです。

ですから、ここの掲示板の中の何名かのように、ダビデ、ソロモンが実在しなかったかのように言う者や、ソロモンの栄華はなかった事が分かりますなどと断言するように書く人は分かっていないという事です。

それくらいは分かりますかね?

わかんないよ。

だからさ、ちゃんと読み取る力を身に着けてねって言ってるでしょ?


あのね、長谷川修一は、フィンケルシュタインが提唱した低年代説のある部分は否定しているとしても
ダビデ、ソロモン等の実在を肯定なんかしていないよ。

メンドクサイけど、彼の文章の続きを書いておくね。

P156後半より
「一見して列王記の記述よりも歴代誌の方がはるかに詳しい記述がなされていることに気づく。果たして、これらの記述は史実を反映しているのだろうか。歴代誌の筆者も、列王記の筆者同と同様、何らかの記録を参照してこうした記述をしたのだろうか。
この中で注目すべきは、シシャクのエルサレム遠征が、罪を犯したレハブアムに対する罰として、神からもたらされたものとされていることである。
「罪と罰」というテーマは歴代誌全体を貫くもので、歴代誌の中では、罪を犯した人物は必ずその存命中に罰を受けている。列王記の中では、神に忠実であったのに不可解な死に方をした王に対し、歴代誌では、実はこの王はこんな罪を犯していたから不幸があったのだ、と罪の記述がつけ加えられている場合すらあるほどである。
歴代誌はこのように、サムエル記と列王記の内容をベースとし、そこにさらに歴代誌筆者の神学的解釈を加えて書かれたものである。
サムエル記・列王記の大要がまとめられたのは紀元前の7世紀終わりから6世紀にかけて、とされているが、歴代誌は紀元前4世紀に書かれたと考えられている。新バビロニアが紀元前6世紀のはじめにエルサレム神殿を破壊してしまったことを考えると、サムエル記・列王記以外に王国時代にさかのぼれる何らかの文献史料が歴代誌筆者の手元にあったとは考えにくい。むしろほとんどの場合、サムエル記・列王記だけをもとに自らの世界観に照らして歴史物語を書いたのではないかと考えられる。そうであるならば、サムエル記や列王記にない詳細な情報は、歴代誌筆者の手による追加、ということになる。もっとも、仮に創作であったとしても、そこには筆者の時代に知られていたエジプトについての情報などが反映されている可能性もある。シシャクが軍勢に率いてきた「リビア人、スキイム人、クシュ人の民」などといった情報が、独立した何らかの資料に基づいている可能性を指摘する研究者もいる。」

で、続くページでは、エジプト側の残した碑文資料を用いながら検討するなら・・・列王記上14章の記録は史実であろうと書いているのです。

ただし「シシャクはおそらく、新しい王朝の創始者としてエジプトの支配を確立した後、自らの支配の正当性を訴えるため、そして経済的な動機からパレスチナに遠征したようである。この時の遠征のルートは、主として平野部が選ばれ、容易に征服することができる都市をターゲットにしていたようで、イスラエルやユダの山地は、シシャクが征服した町のリストには入っていない。そして、エルサレムもこのリストには言及されていないが、これはおそらくレハブアムが自発的に貢物を納めたことにより、シシャクの軍勢がエルサレムを占拠することがなかったことを示しているのだろう。この遠征では必ずしも都市が破壊されたわけではなく、降参して貢物を納めた都市には、戦勝碑などを建てるなどしつつ、スピードと戦利品を重視して先を急いだのだろう。」とも記しており
簡単に言えば
歴代誌に書かれているソロモンの秘宝等を含む詳細は創作
シシャクが周辺諸国に遠征をしかけ、イスラエルも泣く泣く貢物を差し出してエジプトの優勢を認めたことは史実(だろう)。
と書いているのです。

長谷川修一は、聖書考古学のP151でダビデやソロモンの存在とその繁栄について「聖書以外に文献史料がない」状態だ・・・と書いています。
ソロモンの繁栄を認めてなどいませんよ。


「聖書時代の秘宝」の方の資料は、随分前に図書館で見た記憶があるのですが、そのうちちらっと見てみます。
たぶん、KAOさんの評価通りだろうと予想していますが・・・。

#17 Re: 総合フォーラム » Jobs & JW’s » 2017年01月17日 21:55:56

てつてつさん、今の年収、当時の○分の1です。
てつてつさんみたいに、6000円もする本、迷わずポチッとなんて・・・とてもとてもできませんよ   笑

#18 Re: 総合フォーラム » Jobs & JW’s » 2017年01月17日 21:18:01

1,000時間奉仕者さん、こんばんは。

どうされたのかな~?と思っていました。
お疲れさまです。

わたしは、離婚に伴い(まだ覚醒していなかったけど)40歳にしてCGデザインを学び入社当時年収500万弱の職に就きました。
何しろ一人で4人の子育て、長男は高校から音大付属高校ですから・・・
会衆では「誰の世話で就職できたの?」「どこかの兄弟の会社?」とか聞かれたりしましたけど
しっかり就活して、試験と面接受けて就職しました。
子育てが終わりそうな時に、高齢者3人の面倒を看る羽目になり、
その時は「さっさ」と会社を後にして・・・それからはパートで何でもやってきています。

仰る通り、資格や学歴がないとなかなか難しいのが現実です。
長老の息子とか開拓者だったりとかでJW仲間のツテで就職し
大会・集会・奉仕・割り当てのためだったらいつでも堂々と終業前に職場をあとにする・・・そんな若者もたくさん見てきました。
彼らが、何年も何十年も後に泣くことになることを思うと胸が痛みます。

アラフィフなんて若い若い!
がんばってくださいね。

#19 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月17日 16:32:14

さやか666 さんの発言:

頭に乗せる運搬スタイル。

慣れれば、かなり重たい荷物もイケルみたいです


両手を上の鉢に添える乙女

揺れる水面、衣服をずぶ濡れにしながらしもべに近づく乙女

らくだの飲み場へ水を注ぐと、また井戸に向かう乙女

引き締まったおしり、後ろ姿の体のラインも美しい



「あゝ なんと色っぺえ おなごなのだ 」

残念!

ジェームズ王欽定訳だったかな(不確実)、飛ぶように走った・・・的な表現だったよ。

モンローウォークじゃあ無理かも( ´ ▽ ` )

#20 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月17日 14:39:39

元証人 さんの発言:
ささらほーさら さんの発言:
元証人 さんの発言:

一度に飲めるだけ飲ませる必要はありません。

飲めるのと上限まで飲ませたのでは意味が異なります。

リベカは親切、敬虔・・・そんなケチくさいことはしなかったのでは?

それに、40㍑ってと~っても控えめなんですよ。
実は、一度に130㍑以上飲めるそうです。

長旅をしてきた僕とラクダ、控えめ~に一頭につき40㍑にしてあるのです。

では、あなたは一度に500のボトルを飲めます。
一口、二口程度しか飲まない時もあります。


新共同訳
24:19~21
彼が飲み終わると、彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、
すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。
その間、僕は主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた。

新世界訳
24:19~21
彼に飲ませ終えると,彼女は続いてこう言った。「あなたのらくだたちのためにも,全部が飲み終えるまで水をくんでまいりましょう」。そして彼女はかめ[の水]を急いで飲みおけに空け,水をくむため何度も井戸に走り,こうしてすべてのらくだのためにくみ続けた。その間ずっとその人は驚嘆しながら彼女を見つめ,エホバが自分の旅を成功させてくださったのかどうかを知ろうとしてずっと沈黙していた。

#21 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月17日 14:03:55

元証人 さんの発言:

一度に飲めるだけ飲ませる必要はありません。

飲めるのと上限まで飲ませたのでは意味が異なります。

リベカは親切、敬虔・・・そんなケチくさいことはしなかったのでは?

それに、40㍑ってと~っても控えめなんですよ。
実は、一度に130㍑以上飲めるそうです。

長旅をしてきた僕とラクダ、控えめ~に一頭につき40㍑にしてあるのです。

#22 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月17日 13:25:32

聖書についての質問 さんの発言:

「聖書考古学」長谷川修一著の第3章にラクダの話が出てくるよね。

ラクダの話しも「なるほど」だったのですが、読んでいない方のために(;゚Д゚)情報書いておくと・・・

イサクの花嫁探しの旅にでたヤコブの僕は、井戸の近くでリベカに遭遇。
喉がカラカラのラクダに「わたしが水を汲みますわ」とリベカは申し出ましたよね。

ところが、ラクダって40~80㍑くらいの水を飲むんですって!
それで、長谷川氏によれば
一頭「40㍑の水を飲んだと仮定しよう。僕は10頭のラクダを連れていたわけだから全部で400㍑の水、である。
『水をくみに井戸に走って行った』とさらりと書かれているが、全部で400㎏にもなる水を走って運ぶのは大変な労力だ。何往復したのだろう。
一度に10㎏の重さの水を抱えて(JWは頭に載せてたと説明してましたね)井戸から水槽までを走ったとしても40往復である。」とのこと。
しかも水瓶の重さは別。
リベカの献身的な働きぶりが強調されている・・・とも書いていますけど
やっぱり誇張は多いみたいですね。

#23 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2017年01月17日 11:06:06

元証人 さんの発言:

まず、最近の福音書筆者についての見解を書籍から1文字ずつ打ち込むのも手間なのでネット上のページで意見が同じページがありましたので載せておきます。

最新の・・・とのことでしたので期待していたのですが

文章を書いておられる私市元宏(きさいちもとひろ)さんは1932年生まれで御年85歳になられる方ですね。
(以前のわたしに対する発言を考えると、とても元証人さんの考慮に値する年齢ではないのでは???)

で、ずっと長くクリスチャンやっておられる方ですから、やはり擁護寄りですよね。
それでも、
「ただし、その弟子が、ゼベダイの子ヨハネであるという確証はありません
伝承は、使徒ヨハネが、ヨハネ福音書の「著者」であったと伝えていますが、現在の学説では、使徒ヨハネがこの福音書の「著者」であることだけでなく、「イエスの愛する弟子」自体が、使徒ヨハネと同一人物であることさえも疑問視するのです。」
って書いてあるから、現在も懐疑的なことは認めてらっしゃいますよ。

今見たら、質問さん同じところ指摘していました。失礼しました。
行き違いね。
元証人さん、読解力身に着けてくださいね。

#24 Re: 総合フォーラム » ノア洪水を示す証拠はありますか? » 2017年01月16日 20:25:02

さやか666 さんの発言:

十戒の石版の文字はヒエログリフって事でOKなのかしら

ヒエログリフもいいけど、もっと前の純絵文字だったら標語みたいで楽しいよね。

ヒエログリフの日本語仮名対応表貼っておくね。
「なんじ殺すなかれ」とか書いてみてね。

1484565822_hierog1.jpg

#25 Re: 総合フォーラム » ノア洪水を示す証拠はありますか? » 2017年01月16日 18:14:51

こんばんは。

今日は、文字年表という代物を掲載しておきます。
先日もお伝えしたように、何しろ古い古い過去のことですから
学者によって諸説あるようですが、大まかな流れを確認する参考になると思います。

・ルイ=ジャン・カルヴェ版
前30000年頃 [陰画手像]
前4000年頃 スサ(現イラン)で土器に書いた文字が現れる
前3300年頃 メソポタミア南部で絵文字が現れる
前3100年頃 エジプト聖刻文字成立
前2700年頃 シュメールの楔形文字成立
前2500年頃 スサで楔形文字が原エラム文字にとって代る
前2300年頃 インダス川流域で「原インド文字」が現れる
前2200年頃 プズル・インチュチナク王の原エラム文字碑文
前2000年頃 シュメールの首都ウル陥落。以降,メソポタミアではアッカド語が共通語として使用される
前1600年頃 原シナイ文字
  地中海で線文字A成立
前1300年頃 ラス・シャムラ(現シリア)のウガリット文字
  古代中国で甲骨文字成立
前1000年頃 フェニキア文字成立
  同じ頃アラム文字、古ヘブライ文字成立

前8世紀 ギリシア文字、エトルリア文字、イタリア文字成立
前6世紀 ローマ字成立
前3世紀 カロシュティー文字、ブラーフミ文字成立
前2世紀 ヘブライ文字成立
前1--1世紀 中国で漢字が完成
1世紀 最古のルーン文字碑文
3世紀 コプト文字、原マヤ文字成立
4世紀頃 漢字、朝鮮半島に伝来
  グプタ文字成立
  ゴート文字、アラビア文字成立
5世紀頃 漢字、日本に伝来。オガム文字成立
  アルメニア文字、グルジア文字成立
7世紀 チベット文字成立
8世紀 ナーガリー文字成立
9世紀 グラゴール文字成立(その後キリル文字となる)
11世紀 ネパール文字成立

ルイ=ジャン・カルヴェ 著,矢島 文夫 監訳,会津 洋・前島 和也 訳 『文字の世界史』 河出書房,1998年.


・ロビンソン版
氷河時代(紀元前25,000年以降) 「始原文字」の時代。絵文字的コミュニケーション。
紀元前8000年以降 中東で粘土の「トークン」が計算に使われる。
紀元前3300年 イラクのウルクで、シュメール人が粘土板に記号を刻みはじめる。
紀元前3100年 メソポタミアで楔形文字の使用が始まる。
紀元前3100年~3000年 エジプトでヒエログリフの使用が始まる。
紀元前2500年 パキスタン/北西インドにインダス文字が発生。
紀元前18世紀 クレタ島に線文字Aが出現。
紀元前1792年~1750年 バビロン王ハンムラビの治世。ハンムラビ法典が石版に刻まれる。
紀元前17世紀~16世紀 パレスチナで、最古のものとされるアルファベットが誕生する。
紀元前1450年 クレタ島に線文字Bが出現。
紀元前14世紀 シリアのウガリットでアルファベット的な楔形文字が使われる。
紀元前1361年~1352年 エジプト、ツタンカーメン王の治世。
紀元前1285年頃 カデシュの戦い。ラムセス2世とヒッタイト軍の双方が勝利を記す。
紀元前1200 卜骨の甲骨文字から漢字ができはじまる。
紀元前1000年 地中海沿岸地方でフェニキア・アルファベットの使用が始まる。
紀元前8世紀頃 北イタリアにエトルリア・アルファベットが出現。
紀元前650年 エジプトでヒエログリフからデモティックができる。
紀元前600年 中央アメリカでマヤ文字(絵文字)の使用が始まる。
紀元前521年~486年 ペルシア王ダレイオスの治世。ベヒストゥーンの碑文(楔形文字解読のカギとなった)が刻まれる。
紀元前400年 イオニア・アルファベットが標準のギリシア・アルファベットになる。
紀元前270年頃~232年頃 北インドでブラーフミ文字とカローシュティー文字により、アショーカ王の勅令が石柱に刻まれる。
紀元前221年 秦王朝の漢字改革。
紀元前2世紀頃 中国で紙が発明される。
1世紀 死海写本がアラム/ヘブライ文字で記される。
75年 楔形文字の最後の碑文が記される。
2世紀 北ヨーロッパにルーン文字が出現。
394年 エジプトのヒエログリフによる最後の碑文が記される。
615年~683年 メキシコでパカル王が古典期マヤの都市パレンケを支配。
712年 日本最古の歴史文学『古事記』完成(漢字で書かれている)。
800年以前 中国で印刷技術が発明される。
9世紀 ロシアでキリル・アルファベットが考案される。
1418年~1450年 挑戦の王世宗の治世。ハングル・アルファベットが考案される。
15世紀 ヨーロッパで1文字ずつの可動の活字が考案される。
1560年代 ユカタン半島でディエゴ・デ・ランダがマヤの「アルファベット」を記録する
1799年 エジプトでロゼッタ・ストーンが発見される。
1821年 アメリカ先住民セコイヤによりチェロキー族の「アルファベット」が考案される。
1823年 エジプトのヒエログリフがシャンポリオンにより解読される。
1840年以降 ローリンソン、ヒンクスらによるメソポタミア楔形文字の解読。
1867年 タイプライターの発明。
1899年 中国で甲骨文字の刻まれた卜骨が発見される。
1900年 エヴァンスによるクノッソスの発見と線文字A, Bの同定。
1905年 シナイ半島のセラービト・エル・ハーディムでピートリーが原シナイ文字を発見。
1908年 クレタ島で「ファイストスの円盤」が発見される。
1920年代 インダス文明の発見。
1940年代 電子計算機(コンピュータ)の発明。
1948年 ヘブライ語がイスラエルの公用語となる。
1953年 ヴェントリスによる線文字Bの解読。
1950年代以降 マヤ文字の解読。
1958年 中国のピンイン導入。
1980年代 ワードプロセッサの発明。文字が電子化される。
2012年12月23日 マヤ歴で現在の大サイクルが終わる日。

・ ロビンソン,アンドルー(著),片山 陽子(訳) 『文字の起源と歴史 ヒエログリフ,アルファベット,漢字』 創元社,2006年.

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