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野の花
2015年09月01日 22:08:43

たもさんの漫画(アメブロ会員でないとコメント出来なかった)に出てくるマクドナルドハウス。
私の街にもあるのですが世界中にあるんですね。

マックに行った時レジの横の募金箱にお釣りを入れるのですが こちらの方がよほど寄付金の使い方が透明。
統治体よりサタンの世の勝ち。

http://www.dmhcj.or.jp/house/world.html

さやか666
2015年07月09日 11:34:43

文字通りの解釈から卒業して

POSSIBLEさんが現在傾倒しておられる マーフィーの「非常に高度」な解釈を会得するなら

たとえば原理主義者の立場ならば思わず唸ってしまう”聖書の内容に対する厳しい指摘”に対しても どのようにでもたくさんの逃げ道が用意できそうですね。

そもそも そういった議論の土俵に立たなくてもいい自由な立ち位置にいることも可能なのかな~って思います。

それが高度なのかどうかは私は分かりませんが 頑固一徹で不利な証拠を認めない人々よりは精神衛生上マシなのかなって思います。

ちなみに私はネガティブな人と接することも ネガティブな芸術作品を楽しむことも割と好きです

possible
2015年07月08日 16:23:53

柿の木さんへ>

柿の木 さんの発言:

福祉業界におられたんですね。であれば、「痴呆」が「認知症」へ改められた経緯はご存知ですよね?それ自体ご存知ないですか?

ヘルパーの資格を取るときの教科書には書いてあったかもしれませんが、学んだ記憶はありません。
聖書が「らい病」という言葉を使わなくなったとか、そういう流れと同じなのではないでしょうかね。

柿の木 さんの発言:

福祉業界で働いておられて、「認知症」という言葉を言ったことがないというのはちょっと驚きですが。

これは「もう分かりきっている」という意味ですね。
(その人の症状などは、すでにパソコンやファイルに入っていて、その方のお世話をさせていただく人は
その方に認知症の症状があるとすれば、誰でも知っているという意味です。そもそも知っていないと介護の仕事は出来ません。)
あと、特に、ご利用者様に対して言わない、という意味ですよ。

柿の木 さんの発言:

現場で「認知」と略すようになり、それが認知症の人をひとまとめにしてレッテルを貼っている印象を与えてしまうので、略すべきでないというわけです。

私は「現場」では、ほとんど聞いた覚えはありません。
ま、思い返せば、私に「執拗なイジメ」を加えていたおばさん方は、
そういう言葉を言っていたような記憶もありますが・・・。だいぶ忘れてきました。
そういう場合、「認知の症状」とか「認知が入っている」とか言っていたかもしれません。
ただし、私個人は、口に出して言った記憶はありません。ご利用者様が目の前にいない時も。

柿の木 さんの発言:

「ホモ」と呼ばれたくない人がいるということを分かった上で、「ホモ」という言葉をあえて使っているんだとしたら、もうそれはそれで僕にはどうしようも出来ないことなので・・・

では、どんな表現なら大丈夫なのでしょうか。
あなたは、Shemale(女性の姿の男性)ではないのでしょう?
私は、たとえば、タイの可愛いShemaleを「ホモ」とは表現しません。
ホモという言葉には、「男性の格好の男性が、男性を好きだという人」を表現する際の、
それなりの正確な表現方法だと私個人は感じます。
他に、どんな「正確な」表現方法があるのでしょうか?
この機会に、きちんと教えていただければ、以後、気をつけるだろうと思います。

柿の木 さんの発言:

「マーフィー理論は難しくてよく分かりませんでした。
ヨシさんのブログは後で見てみようと思います。

ヨシさんのブログは、マーフィー理論とは関係ありません。
そこを見たところで、「マーフィー理論」は学べません。

マーフィー理論によれば、聖書はことごとく、
人の「内面」の働きについて教えていると教えます。
この理論は、「非常に高度な」聖書の解釈方法であって、
聖書を文字どおりにとらえる解釈から「卒業」しないと理解できません。

私は、LGBTに関するマーフィー博士の解説を読んだことはありませんが、
人の願いは、その人の内で働く「内なる神の表現」なのですから、
柿の木さんの「内なる神」がそれを望んでいる以上、
その願いや思いを否定したりはなさらないだろうと思います。
http://godpresencewithin.web.fc2.com/pa … s0213.html

「汝自身に誠実であれ!」(自分の思いや感情に正直であれ)というのが、
端的に言うところの、マーフィー理論の「心の法則」だと私は思います。
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com … ry-83.html
http://godpresencewithin.blog86.fc2.com … ry-55.html

カレブ
2015年07月07日 00:37:13

>どうにかしてどちらかの側に立たせようとしておられますが

いえ。
どちらかの側に立たせるというよりも
何が論点なのか不明瞭な論議を避けたいと思っているだけです。

通りがかりですが
2015年07月07日 00:17:57

カレブさん

どうにかしてどちらかの側に立たせようとしておられますが
わたしはpossibleさんの書かれたくだりについての「事実」を指摘しているにすぎません。

possbleさんはそのような「圧力」のかけ方が「同じ」と書いておられるのであって
『お互いにIMOでよいではないか』
と書いておられるのだと理解しています。

カレブ
2015年07月06日 23:05:33
通りがかりですが さんの発言:

possibleさんのかかれたそのくだりは、偏見・差別をする自由や人を虐げ蔑む自由について述べているわけではありませんよ。

ということは

Possibleさんも、通りがかりですがさんも
同性愛者に対する偏見を放置するのは好ましくないという認識なわけですね?


つまり u-chan さんのように、同性愛者に対する偏見や差別をなくそうと努力する人に賛同されているということですよね?

通りがかりですが
2015年07月06日 22:18:30

u-chanさん

possibleさんのかかれたそのくだりは、偏見・差別をする自由や人を虐げ蔑む自由について述べているわけではありませんよ。

u-chan
2015年07月06日 20:20:40
possible さんの発言:

自由を認めるのだとすれば、そして、思想と言論の自由を認めるのであれば、
すべての人にどちらかの考えを強制するのは、おかしなことです。

自由とは、自分の差別・偏見に対して意見するなという権利でも、身勝手を許せと要求する権利でもありません。

差別・偏見の被害者や差別・偏見をなくす努力をしている人に向かって、お前の考えを示すなと言う自由があるとお考えですか?

差別・偏見をなくす努力は、差別・偏見の蔓延を防げなかった私たちの義務ではないでしょうか?

私の知人が、自由を振りかざし、ヘイトスピーチを繰り返すならば、私は全力で説得します。

人を虐げ蔑む自由などありえませんし、差別・偏見を正当化する自由もありません。

鬼太郎
2015年07月06日 19:53:38

もともと、、この掲示板に心情を吐露し、さらに性的なマイノリティーに属する書き込みに対して、SK氏が聖句を振りかざして断罪する投稿をされたことが、これが始まりだったと思います。
途中で僕は『今この問題をJWがキャンペーンを張っているのですか?』と疑問を提起しました。
本来JW研究であり、スタンスとしてはJw批判系とみなされるこちらのサイトの目的と、
SK氏の攻撃的かつ断罪する投稿はズレを感じていました。
SK氏の他のトピックスでの投稿でも多いのが聖句の羅列と断罪パターンでした。
それに対して、結果として複数の投稿者が批判的な投稿するのは自然です。
放置すれば、それこそおかしな掲示板になってしまいます。

u-chan
2015年07月06日 17:15:28
possible さんの発言:

ここは、「LGBTの掲示板」ではありません。

用語選択をミスしました。訂正します。

柿の木さんは、JWからも世の中からも十分に傷つけられた経験を語っていらっしゃいました。
その上で、さらにこれからもこのLGBTのトッピクスの中ですら、傷つけられることが必要ですか?
possibleさんは、転職によって「職場での執拗なイジメ」から開放されたのではないのですか?
柿の木さんは、どこに行こうが、誰と会おうが、その差別・偏見と向き合っていかなければいけないのです。

ここは、LGBTを議論するトピックスでした。#31からLGBTに関する議論が残されています。
途中から陰謀論その他が紛れ込んできて、ついに#226で陰謀論をテーマに切り替えることになりました。

possible さんの発言:

寛大でない人のほうが大多数だ(skさんはその一人)と思いますが

possibleさんが使う寛大という意味は分かりかねますが、
ここのトピックス内では、LGBTに理解を示す人が多数派でしたよ。


LGBTの人に対する差別・偏見を無くすためには、
LGBTに関する正確な知識を得ようと努力し、LGBTの方の言葉に耳を傾け、理解しようと努力し、自分のこれまでの知識・感覚で人を差別・偏見で見ることがないよう心がけるといった具合に、人をあるがまま受入れようと努力することが必要だと思います。
これらの努力の程度は人によって様々でしょう。話を聞くだけで、すっと受け入れられる人もいるでしょうし、そうではない人もいるでしょう。
しかし、差別・偏見はなくすべきであり、そのために全ての人が少しずつ努力すべきだと思います。

今現在、世の中から差別・偏見が消えていないとしても、カレブさんが何度もおっしゃるように、何十年もかけて認知・理解され解消していくとは思います。しかし、皆が他人任せで何もしなくてよいわけではありません。自分が正確な知識を得、我が子に語り、身近な人に話し、こういう掲示板で意見を述べ、新聞に投書し、ブログに"いいね"し、という小さな積み重ねが差別・偏見の撲滅のために必要だと思います。
私たち一人一人は、社会を構成する大事な一員です。現状がこうだからしかたないとか、possibleさんは差別は失くせないと言ったとか、ネガティブな発言を肯定して後ろ向きになるのではなく、差別・偏見を失くすことに前向きに取り組みましょうよ。一人一人が変われば全体が変わるのですから。


possible さんの発言:

世の中には、あなたのように、この問題に寛大な人もいて、そのような人と愛し合えばいいのだろうと思います。

隣人のように愛し合うという意味で、私たちはそうしていました。
だから、この場所で会話していたのです。
(愛し合うが、下のように結婚に繋がることを意味するのでしたら、あなたのおっしゃる意図が分かりません)


possible さんの発言:

私の「転職」と対比すれば、いやなら、この掲示板を去って違う掲示板に行けばいいだけです。

理解していただけていないようですね。私は二つを並べて書きましたが、それらは比べられないでしょう、という意味です。
possibleさんの経験とは対比できないと言っているのです。
possibleさんは、転職によっていやなことから開放されたのかもしれませんが、柿の木さんは、どこに行こうが、誰と会おうが、その差別・偏見と向き合っていかなければいけないのです。
いやなら、ここを去って違う掲示板に行けばいいだけではないのです。
どこに行こうが、誰と会おうが、その差別・偏見と向き合っていかなければいけない。という意味を吟味していただけました?



possible さんの発言:

「差別をなくすと、ものみの塔のような世の中になる」
なんて、私は言ってますかね。

possible さんの発言:

1)私は、差別・偏見をこの世からなくせるとは思いません。
2)それをなくすというのは、いわば、「ものみの塔のような世の中になれ」ということだと思います。

ここで、2)のそれは、1)の差別・偏見を指しますよね。つまり、
「差別・偏見」をなくすというのは、いわば「ものみの塔のような世の中になれ」ということだと思います。
と読み取るしかありません。

しかし、possibleさんが言いたいのはそうではなくて(?)

possible さんの発言:

私は、上から押さえつけて、
「こういうことはしてはいけない」と強制するのは、
ものみの塔のやり方と同じだと言ってるだけですよ。

こうなのですね。

これ、論理が飛躍し過ぎでは?

u-chan さんの発言:
possible さんの発言:

ズケズケとものを言う人に接し、「傷つく」という経験も若い時には必要だと思います。
そうやって、やがて、他人への思いやりが身につくのでしょう。

これでは、差別・偏見を受けるマイノリティだけが思いやりを身につけ、傷つけたという認識もないマジョリティは無知・無関心なままです。
それこそが、差別・偏見を消せない要因だと思います。

これをどう読めば「も塔と同じ、上から押さえ付ける強制」となるのですか?
その理屈でいけば、あらゆる意見に「それはものみの塔のやり方と同じことになり許されない」と言えることになります。

それに、私は、possibleさんが柿の木さんへ伝えた「傷つくという経験を受け入れるべき」という考えのほうが、も塔と同じ押さえつけ・強制に感じました。



以下は、理解不能です。

possible さんの発言:

しかし、この問題の複雑さは、この問題に寛大なことと、「愛し合う」こと(あるいは、結婚)は別である、と感じる点です。
あなたは、そのような人と愛し合うこともOKだと感じる人ですか?
もし答えがイエスなら、誰かの助けになれるでしょう。

省略箇所をを以下のように補ってみましたが、合っていますか?

しかし、この問題の複雑さは、ある人がこの問題に寛大なことと、彼が、LGBTの人と「愛し合う」こと(あるいは、結婚)は別である、と私が感じる点です。
あなた(u-chan)は、この問題に寛大な人がそのような(LGBTの)人と愛し合うこともOKだと感じる人ですか?
もしあなた(u-chan)の答えがイエスなら、LGBTである誰かの助けになれるでしょう。

以下は、お手上げです。上文との繋がりが理解できません。教えてください。

possible さんの発言:

それを、イヤだ、そんなのおかしい(同性同士のセックスなんて異常だ)
と感じる人がいるとしても、あなたがその人たちを非難する理由はないのです。

以上。

柿の木
2015年07月06日 14:48:22

こんにちは。

possibleさん、大丈夫です。僕も2、3日見れなかったりするので。
傷つくという経験を通して他人への思いやりが身につくというのは、僕も同感です。

福祉業界におられたんですね。であれば、「痴呆」が「認知症」へ改められた経緯はご存知ですよね?それ自体ご存知ないですか?
福祉業界で働いておられて、「認知症」という言葉を言ったことがないというのはちょっと驚きですが。
「認知症」を「認知」と略すことを問題視するようになったのは比較的最近のことだと思います。「認知症」という言葉が浸透したために、現場で「認知」と略すようになり、それが認知症の人をひとまとめにしてレッテルを貼っている印象を与えてしまうので、略すべきでないというわけです。

possible さんの発言:

ただ、「侮蔑的」云々の話となれば、「その認知症を患ってる人に対して」ということなのでしょうから、
もともと、他人に対して、「あなたは、ぼけてるの(認知症)だから」とは言わないでしょうね。ご利用者様に対して。

もちろんですよ〜当人に対して言うのはかなり失礼でしょうね。
うーん、なかなうまく伝わってないみたいですが、ニュアンスの問題といえばいいでしょうか。
高齢の女性を「おばあさん」と呼ばないくらい言葉を選ぶpossibleさんだったら、わかってもらえるかなーと思うのですが・・・

まあ、僕が一番知って欲しかったのは

柿の木 さんの発言:

現代では「ホモ」と呼ばれるのには抵抗があるLGBTの方が大半だと思います。

ということでして、
「ホモ」と呼ばれたくない人がいるということを分かった上で、「ホモ」という言葉をあえて使っているんだとしたら、もうそれはそれで僕にはどうしようも出来ないことなので・・・

possible さんの発言:

skさん自身は、聖書を神の言葉として受け入れ、それを「文字どおりに」受け取る立場なのでしょうから、
その基準(聖書を文字どおりにとる立場)からすれば、「神の規格外」というのは間違ってはいないとは私は思います。
この点で、skさんが間違ってるとは私は思いませんし、責めるつもりもありません。

個人的には、「神の規格外」と言われてかなり衝撃的だったのですが(笑)
なるほど、聖書を文字どおりにとる人から見れば、それが当たり前だというわけですね。

僕の拙い信仰心では、神の前ではみな平等であり、神のかたちに造られた=人の命の尊さを教えているものだと解釈していました。
なので、神を信じると言いながら自分と同じ人間を「規格外」と言えることが不思議だったのです。
しかも、差別をしていないと言いながらなぜそんなことが言えるのか。
でもきっと聖書を文字どおり解釈する人(jwも含め)からすれば、聖書の基準に従わない人は同じ人間として見ていないということなんでしょうね。だから何を言っても差別だとは思わないんでしょう。
いろいろと考えさせられました。ちょっと納得です。

僕は、「信仰心のある人」は魅力的だと捉えていますが、宗教や聖書を絶対視するあまり人間らしさを失ってしまうのは悲しいですね。

possible さんの発言:

ま、仕方ないですよね。「そういうふうに言う人も、世の中にはいる」ということです。
ある時点で、「受け入れる」ようにならなければならないでしょうね。

たしかに仕方ないですね。まあ、それは分かりきっていることなんですが・・・
「受け入れるようにならなければいけない。」というのには、疑問を感じます。
今以上に、自分が少数派であることを意識して生きなければいけない。ということでしょうか?

マーフィー理論は難しくてよく分かりませんでした。
ヨシさんのブログは後で見てみようと思います。

ささらほーさら
2015年07月06日 14:10:37

こんにちは。

今、自分の投稿を読み返してみて、もしかすると....と思ったので訂正いたします。


ささらほーさら さんの発言:

例えば、80歳くらいの姉妹を「おばあちゃん姉妹」と呼びますよ。

これは、直接その方に向かって、そう呼ぶという意味ではありません。
会話の中で「母ももうおばあちゃんだから、長くは歩けないのよ」などと使うという意味です。

それで

ささらほーさら さんの発言:

うちの母も現役の姉妹ですが(近々わたし共々脱塔の予定)、
「うちの母はおばあちゃん姉妹だから」....と普通に会話で使いますが....。
生活圏にもよるかもしれませんが、失礼な言い方とは思いません。

と書いたつもりなのですが、誤解された方がいらしたようですので、訂正いたします。


でも実際には

ROCK さんの発言:

うちの会衆は、~ちゃんとか、~のおばあちゃんとか、~のじいちゃんとか、相手にもよりますが普通にKH内や野外奉仕等の場面で使っていますよ、咎められる事もありません。もちろんプログラム中の注解などでそれはありませんが。

会衆ごとに雰囲気はいろいろなんですね~。

こんな会衆もあるのですね。
きっと家族的な雰囲気の和気あいあいとした会衆なのでしょうね。


わたしが銀次さんに指摘された「おじいちゃんの調整者」も
小さくてコジンマリしていて、ちょっと「床の間に飾って置きたいような感じ」の長老なのです。
母やわたしとも仲が良く、ご自分の手料理を作った時は母に....と持って来てくださいます。
ただ、何にでも生姜を入れるので、母はちょっと....。



こういう方々との交友が途絶えることを考えると、「脱塔」にも辛い面があります。

さやか 666
2015年07月06日 11:52:45

ディベートのような カチッとしたスタイルで

肯定側 否定側もランダムに同数割りをして、其々が決められた役割を果たし

第三者がジャッジする……掲示板では無理か(笑) 
 
聖書を不謬な物とされるかた 
聖書を象徴的な物として解釈されるかた
聖書を悪書とされるかた
聖書は良いところも悪いところもあるとされるかた
判断を先伸ばしにしておられるかた

それぞれの主義主張があって うまくまとまらないのも無理はないと思います

ただ、怪しげな陰謀論をひたすら垂れ流される→信憑性に欠ける怪しげなサイトになる。こうした流れを回避出来たのは悪くなかったと思います

カレブ
2015年07月06日 09:46:49
ゆめ さんの発言:

具体的なルールは

管理人さん対投稿者、つまり1対複数で

論議して、1の方が対等になるルールが

いいと思います。

ゆめさん
提案ありがとうございます。

ブログのコメントシステムのように
主(単数) 対 閲覧者(複数)のやり取りという
ことですよね。

それもシステムとしては良いものだと思います。

ただ「掲示板」だと、なかなかそのルールを
作るのは難しいかなと思います。

特にスレッドが長くなると、みんな
弁護・反論・援護・反論が広がっていってしまいますね。

そのうちわたしも個別のトピックを作ろうと思いますので
そうすれば、このスレッドは縮小方向になると思います。

ゆめ
2015年07月06日 09:24:01

具体的なルールは

管理人さん対投稿者、つまり1対複数で

論議して、1の方が対等になるルールが

いいと思います。

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