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iris
2016年10月27日 10:50:57

jex-gさん、書き込みありがとうございます。

エホバの証人の方とお話をすると、自分の信仰についても考えを深めることができますね。
せっかく聖書に出会ったのなら、エホバの証人の方にも、ごまかしでない、
信仰の本当の喜びと自由を知っていただきたいですね。

違う教会や違う宗教の方と信仰について真面目に話し合う機会はなかなかありませんから、
本当にこのサイトは貴重です。私もたくさん勉強させていただいています。
よい分かち合いができますように。

jex-g
2016年10月27日 10:02:37

一人のクリスチャンです。
ここはみなさん真面目に考えておられる、良いサイトだと思います。
自分にとっての神とは、天地を創造した「創造主」であり、個人的な「救い主」です。
それは決して観念的な神ではなく、今の時代においても、現実的に生きて働かれる「実存神」です。
自分自身、これまで長く観念的な信仰者でしたが、ようやく突破することができ、今は日々神と共にある喜び、自由を感じています。
昨日家に来たエホバの証人の人と話していて色々考えさせられ、調べているうちにこのサイトにたどり着きました。
聖書について色々分かち合うことができれば嬉しいです。

あかちゃん
2016年10月10日 00:12:10
カレブ さんの発言:

あかちゃんさん

>この点でSKさんカレブさんどうしちゃったんですかね。
>エホバ神的に間違っています。(笑)

SKさんも イザヤも エホバ神的に間違ってないですよ。

当時のユダヤ人が信じていたものを図にすると以下のようになります。

古代ヘブライ人が考えていた宇宙の構図
http://www.jwstudy.com/bbs/img/2/147592 … ration.gif

この図の中で「FIRMAMENT」と書かれている部分は
もともと「固い広げられた面」とも訳すことができる意味の言葉でした。
ユダヤ人はその上にも水が貯められていると考えていました。

創世記 1:7 「そうして神は大空を造り,大空(KJV firmament、LXX stereoma[硬い表面])の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。そしてそのようになった。 」

ギリシャ語でもラテン語でも同じような概念で訳されていて
それは英語の「firmament」という言葉にももともとは表現されていました。

なので日本語で訳している「大空」というのは
「エホバ神的」にはインチキです。

エホバ神的には、わたしたちが「大空」と表現するような
意味あいは全くないからです。


なので SKさんは「エホバ神的に」完全に正解です。

ただし科学的には完全に間違っています。

カレブさん、コメントありがとうございます。
私の理解がたりないのか、説明がへたなのか、何かの誤解かもしれません。
聖書の理解として正しい、という意味で「エホバ神的に」正しいという理解ですよね。
同じ点について、ところがカレブさんご自身で「科学的に間違い」とも述べておられます。
聖書的な正しさと、科学的な間違いが同居する(矛盾する)事を、「エホバ神的に間違い」と表現したのです。
私の読み方もわるいのかもしれませんが、しっくりこない感が大きい文章でしたね。
一方で「エホバ神的に」正解であり、他方で「科学的に間違い」であれば、矛盾として感じ取られませんか。
深い意味なくつこんでも許していただける、寛容さを期待しております。(笑)

カレブ
2016年10月08日 20:49:29

あかちゃんさん

>この点でSKさんカレブさんどうしちゃったんですかね。
>エホバ神的に間違っています。(笑)

SKさんも イザヤも エホバ神的に間違ってないですよ。

当時のユダヤ人が信じていたものを図にすると以下のようになります。

古代ヘブライ人が考えていた宇宙の構図
1475925929_hebrew-cosmology-illustration.gif

この図の中で「FIRMAMENT」と書かれている部分は
もともと「固い広げられた面」とも訳すことができる意味の言葉でした。
ユダヤ人はその上にも水が貯められていると考えていました。

創世記 1:7 「そうして神は大空を造り,大空(KJV firmament、LXX stereoma[硬い表面])の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。そしてそのようになった。 」

ギリシャ語でもラテン語でも同じような概念で訳されていて
それは英語の「firmament」という言葉にももともとは表現されていました。

なので日本語で訳している「大空」というのは
「エホバ神的」にはインチキです。

エホバ神的には、わたしたちが「大空」と表現するような
意味あいは全くないからです。


なので SKさんは「エホバ神的に」完全に正解です。

ただし科学的には完全に間違っています。

ジョエル
2016年10月08日 12:27:30

ある2世の子が、自分できちんと考えられる年齢になって「エホバなどいない」「何を言ってるの創造物が~」「そういうのはもういいから、じゃあここに連れてきて」「そんなことできない」「連れても来れないものをいるとか無責任に教えないで」「(絶句)」

で、離れていったのを思い出しました。しっかりした子です。

しっかりと生きていることでしょう。

ジョエル
2016年10月08日 11:13:50
あかちゃん さんの発言:

その存在の議論は、最終的に神ご自身が決着させます。エゼキエル書に何度も述べられた「あなた方はわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」という言葉のとおりです。


神や信仰は人それぞれでいいと思うのですが、余計なお世話ながら(キリスト教では)旧約は新約とトータルで読む本です。そしてキリスト教では神の存在はイエスで決着済みです。

「わたしを見た者は父を見た、なぜ父を示せと言うのか」

「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(使徒行伝2章36節)

あかちゃん
2016年10月08日 09:27:49
カレブ さんの発言:

SKさんは今 地球は実は平らであるという
壮大な陰謀論の証明にチャレンジしておられます。

http://bible9.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html

唯一わたしが賛同できるのは
SKさんのイザヤ40:22の理解の部分です。

イザヤ 40:22
22 地の円の上に住む方がおられ,[地]に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げ,
https://4.bp.blogspot.com/-jlc9um7s6rE/ … 00/fde.JPG
イザヤは地球が球体であることを想定して「円」と書いたのではなくて
ちょうどモンゴルの円形のテントを大きく広げたような
壮大な天幕を描いていたであろうという点です。

この点でSKさんは正しいと思います。

科学的にはイザヤもSKさんも間違えなのですが
とにかく「聖書の教え」の点では正解だと言えます。

この点でSKさんカレブさんどうしちゃったんですかね。
エホバ神的に間違っています。(笑)

カレブ
2016年10月07日 16:59:57

SKさんは今 地球は実は平らであるという
壮大な陰謀論の証明にチャレンジしておられます。

http://bible9.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html

唯一わたしが賛同できるのは
SKさんのイザヤ40:22の理解の部分です。

イザヤ 40:22
22 地の円の上に住む方がおられ,[地]に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げ,
fde.JPG
イザヤは地球が球体であることを想定して「円」と書いたのではなくて
ちょうどモンゴルの円形のテントを大きく広げたような
壮大な天幕を描いていたであろうという点です。

この点でSKさんは正しいと思います。

科学的にはイザヤもSKさんも間違えなのですが
とにかく「聖書の教え」の点では正解だと言えます。

あかちゃん
2016年10月07日 16:16:15

あなたにとって神とは
お父さんです(笑 お父さんのような、偉大な方)。広大な宇宙の中に住まわせ、永遠の時間を望む者に与えようとしておられ、ご自身と創造物を理解し愛するようにと、すべての人格者を存在させてくださった、愛と知恵と力と公正の神。あなたがとこしえまでも賛美されますように。
その存在の議論は、最終的に神ご自身が決着させます。エゼキエル書に何度も述べられた「あなた方はわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」という言葉のとおりです。
SKさんの明快な論理が、また見れてたのしかったです。

iris
2016年10月02日 17:47:41
shinji さんの発言:

私が神に感じる事、それは傲慢です。JWでは神は愛だと教えていますね。聖書にもそう書いてあります。しかし私にはそうは思えません。
(中略)
私は覚悟を持ってこの先生きていきたいと決断しました。私はその様な傲慢な者に媚へつらって生き残りたいとは思いません。終わりの時が来れば正々堂々と生を全うしたいと思っています。

立派な決断をなさいましたね。
御自分の納得できる生き方をすることが一番大切なことです。

キリスト教徒の多くは、ものみの塔が教えるように(エホバの証人が信じているように)
神を信じているのではありません。本当に愛してくださる神を知っていますよ。

しかし、shinjiさんがキリスト教徒のようになる必要もありません。
shinjiさんの生き方を応援していますよ。

iris
2016年10月02日 17:39:45

さらみさん、書き込みありがとうございます。

さらみ さんの発言:

神とは、唯一まことの神だと考えています。
聖書も、神の言葉です。

エホバの証人としての模範解答のようにも見えますね。

おっしゃるとおり、自分が心から信頼できる神を探してみてください。
結論は、カトリックでもよし、プロテスタントでもよし、
もしかしたら地元のお稲荷さんかもしれません。
神さまでなくて仏さまとか、御先祖様かも?

ものみの塔の組織のことを考えると、嫌な気分になるのではないですか?
嫌な気分になることは考える必要はありませんよ。
それよりも、エホバの証人としての自分ではなく、世界でただ一人の自分にとって
神とはどんな存在であってほしいかを考えてみてくださいね。

shinji
2016年10月02日 09:07:09

私が神に感じる事、それは傲慢です。JWでは神は愛だと教えていますね。聖書にもそう書いてあります。しかし私には
そうは思えません。何故なら神は広大な宇宙に一人(単独)で存在していました。その後、イエスを筆頭に御使いを創造されました。何の為に?自分を賛美させる為にです。そして地球を造り、人間を造りました。誰かに頼まれたのでしょうか?
いいえ、未だ誰も存在していないのに頼める訳がありませんね。神は人間を極めて弱い者として造りました。神の力からしたらゴミみたいなものです。何故?全能である神は造ろうと思えば自分と同等の力、知恵を持つ者として御使いや人間を造れた筈ですよね。その場合最早人間では無いですが。しかしそうはしなかった。自分より遥かに力の弱い者として造った。何の為に?聖書では神は父だ友だと言っているではないですか。父や友だと言うのならその力に於いて対等でなければならないのでは無いですか。子が父の能力を超える事など人間の世界ではしばしば見受けられる事です。だが神はそうはしなかった。栄光は自分だけの物。他の被造物は遥かに力の弱い者として創造された。自分が唯一の存在ではなくなるからなのでしょう。神は臆病者なのでしょうか?自分と対等の力を持つ者が多数いれば制御できなくなると?自分の存在も危くなると。そこまでは結構です、神が創るのだから好きにすれば良いでしょう。だが何故造ったのですかと問いたいですね。そして自分を知らない者、自分をを崇拝しない者は終わりの日、さんざんな天変地異、人間同士の戦いによって殺されるのです。何故そこまでの恐怖や塗炭の苦しみを与えなければならないのでしょう。自分を崇拝しない者が気に入らないのなら即、命を絶てば良いだけの話でしょう。苦しみを覚える間もなく消滅させられる。全能なのだからそれはいとも容易い事でしょう。だがそうはしない、塗炭の苦しみを与えられる。それが愛ですか?自分を知らないと言う者には生き地獄を味合わせてからなぶり殺す。それが愛なのですか?人間と言う者をこんなにも弱い命しか持たない者として勝手に造っておいて、自分を崇拝しない者は老若男女問わず残虐の限りを尽くしてなぶり殺す。私には只の傲慢にしか思えません。私は覚悟を持ってこの先生きていきたいと決断しました。私はその様な傲慢な者に媚へつらって生き残りたいとは思いません。終わりの時が来れば正々堂々と生を全うしたいと思っています。

さらみ
2016年10月02日 00:39:22

irisさん、別トピでは親身になってくださりありがとうございます。

神とは、唯一まことの神だと考えています。
聖書も、神の言葉です。

正直、本当に自分が信じ、信頼できるなら、カトリックでもプロテスタントでも構わないように思います。
自分が打ち込んだものみの塔に固執しているだけかもしれません。
現実には、長老たちは冷淡で懐疑的だし、私自身神が本当に苦境から救ってくださるか懐疑的です。そんな事を考えてばかりいると、自分にとって神とは?などと殆ど考えていません。
考える材料をありがとうございます。

笛田小次郎
2016年09月14日 16:20:27

irisさん
「わたしにとっての神」
いい響きですね、神を否定してもなんにもならないです、自分の良心に従うことです、良い将来をお祈りしています。

iris
2016年09月14日 15:45:55

最近、NHKの番組(クローズアップ現代+)で臨床宗教師が取り上げられていました。

臨床宗教師とは、被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者で、
布教や伝道を行うのではなく、相手の価値観を尊重しながら、宗教者としての経験を生かして
苦悩や悲嘆を抱える人々に寄り添うのだそうです。
日本では東日本大震災を機に養成が始まったようです。

NHKで取り上げられていたのは、病気で死が近く、死の不安を抱えた人に寄り添う臨床宗教師でした。
この番組を見て、以前このトピック(#12)で御紹介したマザー・テレサと同じことをする人が
求められているのだなと思いました。

WHO(世界保健機関)がスピリチュアルケアの必要性を指摘したのは1990年のことでした。
がんの患者が直面する痛みには、身体的な苦痛、精神的な苦痛、社会的な苦痛、
スピリチュアル(霊的)な苦痛の4つがあるといわれていまして、スピリチュアルな痛みとは
死への不安、人生の意味や目的が失われたことによる苦痛などを言います。
そのスピリチュアルな苦痛に対するケアが、スピリチュアルケアです。
私も学生時代にスピリチュアルケアについて発表したことがありますが、それから20年たっても、
医療現場ではスピリチュアルな痛みに対するケアは貧弱なままです。

現代の日本では、宗教や死生観について語ることができる場が非常に少なくなってしまいました。
宗教なんてくだらない、という考えが幅を利かせ、宗教に頼るなんて弱い奴のすること、と
思っている人がたくさんいます。
でも、人間である以上は、宗教を信じていようといまいと、霊的な問題を避けて通ることはできません。
日本人には、外国のコピーではなく、日本人の宗教性に合ったケアが提供される必要があります。
誰もが死を迎えます。そのときになって慌てるのではなく、誰もが「わたしにとっての神」
「わたしにとっての救い」を考えることができるような社会になるといいなと思います。

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