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ワーゲン
2017年07月14日 23:14:01

本題から少しずれてしまうかもしれませんが、ちょっと独り言。

そもそもエホバの証人が輸血を拒むのは、「血を食べてはならない」という聖書の命令を根拠としています。
なぜ神が血を食べることを禁じたのかというと、それは血が命を象徴するものであり、そのゆえに敬意を表さなければいけないと聖書で説明されています。

では、命の”象徴”である血に敬意を示す(輸血を拒否する)がために、”実際の”命を失ってしまうというのは、本当に命に敬意を示しているのでしょうか。本末転倒の様な気がするのですが…。

非常に基本的なことのように思うのですが、エホバの証人内でこのような疑問の声を聞いたことがなく、今でも不思議に思っています。

ワーゲン
2017年07月14日 22:56:22

キーボードさん

先週から10日ほど出張しており、こちらも返信遅くなりました。

キーボード さんの発言:

組織の方針とは異なる決定を下したその地元長老たちは気骨のある人物ですね。。。

組織の方針に反発したというよりは、突発的な状況で自身の聖書に対する知識と良心に従って決定を下した結果、組織からダメ出しがあったというのが真相に近いと思います。あえて言うなら、聖書というより組織(教団)の方針への理解が不足していたのでしょう…。

キーボード さんの発言:

血漿中の分画であるアルブミンやグロブリンは胎盤を通じて母体胎児間の移動があることが知られていますよね。母体と胎児はそれぞれ独立した循環系であること、そして独立した循環系の間で自然な営みとして血液分画が移動しているという科学的事実を根拠に、教団では、治療目的でその種の血液分画を取り入れることについては輸血禁止教理で規制すべき対象ではないとしているのだと思います(例えば、ものみの塔1990年6月1日号30-31ページ)。

2000年以降のものみの塔でもこの見解は繰り返し引用されていますし、今でも個人の良心に従って決定する分野だという根拠の一つとされていますね。

キーボード さんの発言:

一方、これまで国内の医科大学で、母体中に存在する胎児由来の血液細胞を抽出し出生前診断を可能とする研究開発が行われてきたようです。例えば、赤血球の中でもその内側に核を有しているもの(有核赤血球と呼ばれる)があり、母体の血中に存在している胎児由来の有核赤血球を回収することで胎児の遺伝子診断が可能なのだと(核の中にDNAがあるから)。最初にこの情報に触れたのはかれこれ10年以上前のこと、その後のフォローを怠っていたのですが、最近検索してみるとこの技術は基礎的研究段階から実用段階に進もうとしているようで、本当に実用化されたのかどうかまでは分かりませんが、隔世の感があります。

不勉強で恐縮ですが、この情報は初めて知りました。非常に興味深いですね。またゆっくり時間が取れるときに勉強してみたいと思います。

キーボード さんの発言:

この研究情報をキャッチした当初、血液分画だけでなく赤血球も胎児と母体の間を移動しているのかと驚嘆しました。つまり、先に述べた輸血の論理からすると、
例)血液分画アルブミン=良心上の問題=胎児母体間での移動があるから
という論理が成立している下で、胎児と母体の間で赤血球が移動している事実があるなら、血液の主要成分とされている赤血球の輸血についても良心上の決定の部類に入るのではないかと。有核赤血球は、核を持たない通常赤血球とどの程度異なるのか私は詳しく存じませんが、当の医科大学のサイト上の解説によると、母体血中に出現する胎児有核細胞として白血球も挙げており、これらが事実なら血液の主要成分と言えど輸血の規制対象であるどころか、良心的に選択可能な対象になるのではないかと思うのですが。
(↓古い情報で恐縮です)
http://www.kanazawa-med.ac.jp/~htogkmu/ … lcare.html

上述の通り、教団側のロジックに基づいて推論すると、誰でもそういう結論になりますよね。血液の「主要成分」とは何なのか、という聖書が沈黙している内容にまで独断で規則を作ってしまったのがそもそもの誤りなのでしょう。墓穴を掘るという言葉は、まさにこういうことを言うんでしょうね。

キーボード さんの発言:

私が記憶している限り、母体と胎児の間を移動する血液細胞に関連した物質として教団の出版物に掲載される情報は決まって分画についてだったと思います。上記のように母体と胎児の間で血液の主要成分(白血球・赤血球など)の移動について言及した記事もしくは監督宛ての特別な指示の類はあるのでしょうか?もしこの点についてお心当たりがあれば教えていただきたく思います。

このことに関する情報は、教団側からは一切提供されていません。監督宛ての手紙でも、はたまた医療委員会(HLC)宛ての手紙でも言及されたことはありません。単に知らないのか、はたまた見て見ぬふりなのかは不明です。

いつも深い考察と興味深いご意見を書いてくださるので、キーボードさんの書き込みを楽しみにしています。
お互いリアルの生活もありますので、まったりじっくり意見交換していきましょう。^ ^

MN
2017年07月10日 19:53:53

キーボード さま こんにちは。
情報ありがとうございます。

少し調べてみましたが、母体の血液による親子鑑定は既に始まっているようです。
つまり胎児のDNAを含む有核赤血球が母体に移動していることは確実です。

画像認識技術を用いて有核赤血球を自動的に探索し採取する研究も興味深いです。
http://www.isico.or.jp/isico/i-maga/20657
http://www.hiac.or.jp/cluster/research/06.html

JWICの情報によれば既にエホバの証人は、赤血球から外側の膜を取り去って内部のヘモグロビンのみに加工したポリヘムを「血液分画」として受け入れた前例があります。
赤血球の大部分を占めるヘモグロビンを受け入れたわけですから、未加工の赤血球も同様に受け入れ可能として何ら不思議はありません。

何れにしても、赤血球、白血球、血小板、血漿の4つに分けて避けるよう命じられてきた根拠が揺らぐことになります。

※JWIC保管庫より
http://www.jwic.info/n022904.htm

※20年にも及ぶ研究開発がなされたポリヘム(PolyHeme)ですが、最終的にアメリカ食品医薬品局(FDA)の認可を得られませんでした。
製造元のノースフィールドラボラトリーズ社(Northfield Laboratories Inc.)は2009年に閉鎖しています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Northfield_Laboratories
http://www.fiercebiotech.com/biotech/no … shuts-down

キーボード
2017年07月09日 21:25:42

ワーゲンさま

キーボードです。
いつもお返事が遅くてまことに恐縮です。

組織の方針とは異なる決定を下したその地元長老たちは気骨のある人物ですね。。。


ワーゲンさんは輸血の取り扱いについて精通しておられるようですので、トピックの主テーマから若干逸脱してしまうのですが、教えていただきたいことがあり書き込みいたしました。


血漿中の分画であるアルブミンやグロブリンは胎盤を通じて母体胎児間の移動があることが知られていますよね。母体と胎児はそれぞれ独立した循環系であること、そして独立した循環系の間で自然な営みとして血液分画が移動しているという科学的事実を根拠に、教団では、治療目的でその種の血液分画を取り入れることについては輸血禁止教理で規制すべき対象ではないとしているのだと思います(例えば、ものみの塔1990年6月1日号30-31ページ)。


一方、これまで国内の医科大学で、母体中に存在する胎児由来の血液細胞を抽出し出生前診断を可能とする研究開発が行われてきたようです。例えば、赤血球の中でもその内側に核を有しているもの(有核赤血球と呼ばれる)があり、母体の血中に存在している胎児由来の有核赤血球を回収することで胎児の遺伝子診断が可能なのだと(核の中にDNAがあるから)。最初にこの情報に触れたのはかれこれ10年以上前のこと、その後のフォローを怠っていたのですが、最近検索してみるとこの技術は基礎的研究段階から実用段階に進もうとしているようで、本当に実用化されたのかどうかまでは分かりませんが、隔世の感があります。


この研究情報をキャッチした当初、血液分画だけでなく赤血球も胎児と母体の間を移動しているのかと驚嘆しました。つまり、先に述べた輸血の論理からすると、

例)血液分画アルブミン=良心上の問題=胎児母体間での移動があるから

という論理が成立している下で、胎児と母体の間で赤血球が移動している事実があるなら、血液の主要成分とされている赤血球の輸血についても良心上の決定の部類に入るのではないかと。有核赤血球は、核を持たない通常赤血球とどの程度異なるのか私は詳しく存じませんが、当の医科大学のサイト上の解説によると、母体血中に出現する胎児有核細胞として白血球も挙げており、これらが事実なら血液の主要成分と言えど輸血の規制対象であるどころか、良心的に選択可能な対象になるのではないかと思うのですが。
(↓古い情報で恐縮です)
http://www.kanazawa-med.ac.jp/~htogkmu/ … lcare.html


私が記憶している限り、母体と胎児の間を移動する血液細胞に関連した物質として教団の出版物に掲載される情報は決まって分画についてだったと思います。上記のように母体と胎児の間で血液の主要成分(白血球・赤血球など)の移動について言及した記事もしくは監督宛ての特別な指示の類はあるのでしょうか?もしこの点についてお心当たりがあれば教えていただきたく思います。

ワーゲン
2017年06月28日 09:46:47

キーボードさん

キーボード さんの発言:

出版物に書かれている内容はどうにも一貫性に欠けているように映ります。ときに献血は聖書的に良心上の問題であるかのような余地を見せたり、他の場面では輸血と同列に扱ったり、その一方で審理問題の対象外のようでもあります。執筆グループがどのように組織されているのか存じませんが、いくつものグループが存在していて、見解の相違があるグループ間でお互いに綱引きをしているようにさえ思えてきます。さらに監督宛てに来る通知内容はこれらとはまた趣が異なっているとなると、これでは翻弄されても仕方ないかもしれません。

異なる執筆グループ間でお互いに綱引きというのは面白い指摘ですね。
実際に今の執筆委員会は統治体の成員ではない方々もおられて、統治体は出来上がった文書に目を通して可否を判断するようになっているはずです。ですので、実際の執筆者によって読み手に与える印象が異なる可能性は十分にあり得ます。さすがに黒を白ということはできませんが、どの程度の灰色なのかは文面によってかなり印象が違いますもんね。
長老たちの知り得る情報も実際のところ一般の信者と大差ありません。ただ、長老のマニュアルが1冊、あとは支部から送られてくる手紙がある程度です。献血に関する指針は、私の調べた限りこのどちらにも明確な記載がありません。つまり、断絶になり得る問題なのかどうか長老たちも「はっきりとは分からない」というのが正直なところではないでしょうか。良識ある長老たちであれば、自分たちで判断のつかない問題は支部(もしくは巡回監督)に問い合わせをします。そして、その個別の問い合わせに対して支部から個別の返事が届きます(問い合わせた会衆の長老団にのみ送られます)。ただ、支部の判断は、長老団の問い合わせた内容だけを判断材料とするので(当事者の意見は聞かない)、その文面次第で判断結果が180度異なるということはよくあることです。もちろん、排斥(断絶)となった場合は、当事者に上訴する権利はありますが。

キーボード さんの発言:

長老マニュアルとは大変貴重な情報ありがとうございます。一般信徒が知り得ない基準で既にマニュアル化されているとのこと、なかなかナイーブな問題をはらんでいることがうかがえます。また、審理委員会で極秘裏に処理というくだりは本当であれば薄気味悪い話ですね。「献血は故意に血を取り入れる輸血に加担することだ」とされる可能性、献血が発覚して断絶の扱いにされる可能性があるとのことですが、その可能性の具体的な程度は判りますでしょうか?

上記の通り、長老団と支部(もしくは巡回監督)の判断次第ですので、100%こうだ!と断言することは難しいですね。ただ、どんなに寛容な長老団であっても、誰かが献血をしたということが明るみに出れば、何らかの対処を取らざるを得ないはずです。最終的な判断を誰がするかはさておき、いずれにせよ重要なのは献血をした当事者の態度でしょう。お叱りを受けた後に自分の非を認める(悔い改める)なら、さすがに断絶とはならないはずです。しかし、もし自分は間違っていない的な態度を貫くようであれば、断絶扱いは大いにあり得ると思います。
少し状況は異なりますが、以前にあった一例を紹介。
とある開拓者の姉妹の未信者の夫(聖書研究中)が緊急手術を受けることに。病院で輸血の同意書にサインを求められるものの、姉妹はどうしていいか分からず。現場に駆け付けた地元の長老2人と相談。医師から輸血をしないと非常に危険だと言われ、まだバプテスマを受けたわけではないからと最終的に輸血に同意。結果は、この姉妹と2人の長老は皆、霊的特権を削除されました(開拓者削除、長老削除)。私は審理委員会のメンバーではなかったので事の詳細は知り得ませんが、「輸血に加担した」ということで、少なくとも模範的ではないと判断されたということです。献血の場合も、断絶まで行くかどうかはケースバイケースでしょうが、霊的特権の削除はほぼ間違いないでしょう。

キーボード さんの発言:

信者の多くはワーゲンさんのように様々な出版物を網羅し精通しているわけではないと思います。医療技術の一つとして輸血が広く認知されるようになった現在では、出版物中の具体的記述の存在に気付かず善意の気持ちから自発的に献血している信者も少なからずいらしゃるのではないかと推測しているのですが、いかかでしょうか?古参信者に比べ、とりわけ過去の研究記事に触れる機会も無い最近入信した人たちにとっては組織の献血に関する見解についても不案内なのではと思うのですが。

自分の周りで献血をしたというケースを聞いたことがないので、実際にそういう人がどれくらいいるのかは私には分かりません。ただ、最近入信した人が献血に対する見解を知らない可能性はあり得ますね。しかし、私の身の回りでは(外国ですが…)聖書研究で輸血に関する教理を教える際に、過去の記事などを根拠に「献血もダメ」と教えいてる人が多いです。ですので献血禁止は暗黙の了解事項となっています。
ただ私は日本を離れてもう10年以上経ちますので、現在の日本でどのような状況になっているのかはよく分かりません。その辺りは、別の方に補足していただければと思います。

キーボード
2017年06月27日 22:33:04

MNさま、ワーゲンさま

長老マニュアルとは大変貴重な情報ありがとうございます。一般信徒が知り得ない基準で既にマニュアル化されているとのこと、なかなかナイーブな問題をはらんでいることがうかがえます。また、審理委員会で極秘裏に処理というくだりは本当であれば薄気味悪い話ですね。「献血は故意に血を取り入れる輸血に加担することだ」とされる可能性、献血が発覚して断絶の扱いにされる可能性があるとのことですが、その可能性の具体的な程度は判りますでしょうか?


出版物に書かれている内容はどうにも一貫性に欠けているように映ります。ときに献血は聖書的に良心上の問題であるかのような余地を見せたり、他の場面では輸血と同列に扱ったり、その一方で審理問題の対象外のようでもあります。執筆グループがどのように組織されているのか存じませんが、いくつものグループが存在していて、見解の相違があるグループ間でお互いに綱引きをしているようにさえ思えてきます。さらに監督宛てに来る通知内容はこれらとはまた趣が異なっているとなると、これでは翻弄されても仕方ないかもしれません。


信者の多くはワーゲンさんのように様々な出版物を網羅し精通しているわけではないと思います。医療技術の一つとして輸血が広く認知されるようになった現在では、出版物中の具体的記述の存在に気付かず善意の気持ちから自発的に献血している信者も少なからずいらしゃるのではないかと推測しているのですが、いかかでしょうか?古参信者に比べ、とりわけ過去の研究記事に触れる機会も無い最近入信した人たちにとっては組織の献血に関する見解についても不案内なのではと思うのですが。

ワーゲン
2017年06月23日 12:16:39

キーボードさん

キーボード さんの発言:

輸血の教理について冷静に話し合うことのできる人は少なく、これをテーマにするとヒートアップするケースが後を絶たず私も辟易としていました。論理的に説明することが困難で矛盾点に気付いているからタブーにしているのでしょうか。しかしそういう矛盾を抱えているにも関わらず矛盾など存在しないかのように装う状態が長期間続くのは精神衛生上あまり好ましくないように思いますね。何も考えないようにしたほうが楽なのかもしれませんが。

人は誰でも「自分は正しい」と信じたいものです。そこに悪意はありません。かつてエホバの証人(聖書研究者)は真摯に聖書の研究を行っていたと思います。新世界訳聖書の相互参照聖句(ページの真ん中にあるあれ)などはかつての徹底した研究の痕跡であり、そこに払われた努力には敬服せざるを得ません。そうして得られた研究成果から、カトリックやプロテスタントの教義の矛盾点に気が付き始めるのですが、いつの間にか、他宗教の否定、粗探しが目的になっていきます。そして、「自分は正しい」という信念の下、様々な細かな規則を作っていくことになります。輸血に関する教義もその一つです。しかし、いつしか聖書で明確に語られていない部分にまで踏み込んで規則を作るようになってしまい、それゆえに矛盾点も頻出するようになります。知らないうちに自分たちも他の宗派と変わらない組織になってしまっていたのです。
それでもかつての正しかった時代の亡霊に取りつかれ、「自分は正しい」、「組織は正しい」と信じ込み、問題は見て見ぬふりをする、考えないようにするという自己防衛に入っているのだと思います。人は弱いものです。
統治体に代表される指導者層については、この矛盾を知らない訳はないでしょう。仮に考えたこともなかったというのであれば、逆に指導者としての資質を疑います。しかし、彼らもまた過去の間違いを認めることへの恐れから矛盾に目を瞑っているのでしょう。実際、最近は過去の教えを忘れさせようとしているように感じます。オンラインライブラリーも2000年以前の資料は閲覧できません。データをアップロードするだけなのでそれほど大変な作業が必要とは思えませんが…。臭いものには蓋をするという心理は理解はできますが、その影響力などから彼らは責め負うべきだと思います。
ジョン・アクトンの語った「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」というのは真理でしょう。どんなに「良い組織」であっても時の経過とともに腐敗するのだと思います。

MNさん

MN さんの発言:

長老のマニュアル「神の羊の群れを牧しなさい」
[9章-断絶] 3節(111ページ)
ここに断絶と言える行動について、"故意に血を取り入れて,悔い改めない。"とあります。
確かに自らの意思で輸血を受けるなら、故意に血を取り入れることに該当するでしょう。
しかし、故意に血を"取り出して",悔い改めない。とは書かれていません。
したがって献血は断絶に該当する行動ではないと言えます。
ただし、「献血は故意に血を取り入れる輸血に加担することだ」とされる可能性はあります。
つまり献血が発覚して断絶の扱いにされる可能性も全く無いわけではありません。

興味深い指摘ありがとうございます。確かにこの文面だと献血は処罰の対象外のようにも理解できますね。
しかし、ものみの塔2000年10月15日号30-31ページの「読者からの質問」で以下のような記述があります。

---------------------------------------------------------------------------------------------
モーセの律法を守り行なう責務は,メシアの死と共になくなりました。しかし,血の神聖さに関する神の見方は変わっていません。神の聖霊に動かされた使徒たちは,『血を避ける』ようクリスチャンに指示しました。その命令を軽視してはなりませんでした。性の不道徳や偶像礼拝を避けるのと同じほど道徳的に肝要な事柄だったのです。(使徒 15:28,29; 21:25)20世紀には献血や輸血が一般的になりましたが,エホバの証人は,そうした慣行が神の言葉に反することを理解していました。
医師は,手術の何週間か前に患者の血液を取り出しておき(術前自己血貯血[PAD]),必要な場合に患者自身の貯蔵血液を輸血できるようにしてはどうか,と患者に勧めることがあります。しかし,そのようにして血液を採取し,貯蔵し,輸血することは,レビ記や申命記の言葉に真っ向から反します。血は貯蔵すべきではありません。注ぎ出す,言い換えると,神に返すべきなのです。なるほど,モーセの律法は今では効力を失っています。しかしエホバの証人は,律法に含まれる神の原則を尊重し,『血を避ける』ことを決意しています。ですから,献血することも,『注ぎ出す』べき自分の血を輸血のために貯蔵することもしません。そのような慣行は神の法に反しているのです。
---------------------------------------------------------------------------------------------

この中では「献血することも…神の法に反している」と明言されています。エホバの証人のほとんどが献血にも否定的な立場をとっているのは、こうした過去の教義の影響でしょう。実例を見たことがないので実際に献血者がどのように処分されるのか分かりませんが、このように重大な問題についてはっきりしない立場をとっている統治体は不誠実でしょう。献血者の裁きについては長老団(審理委員会)宛ての非公開の手紙で極秘裏に処置されるのだと思います。

MN
2017年06月22日 23:41:43

長老のマニュアル「神の羊の群れを牧しなさい」
[9章-断絶] 3節(111ページ)

ここに断絶と言える行動について、"故意に血を取り入れて,悔い改めない。"とあります。
確かに自らの意思で輸血を受けるなら、故意に血を取り入れることに該当するでしょう。

しかし、故意に血を"取り出して",悔い改めない。とは書かれていません。
したがって献血は断絶に該当する行動ではないと言えます。
ただし、「献血は故意に血を取り入れる輸血に加担することだ」とされる可能性はあります。
つまり献血が発覚して断絶の扱いにされる可能性も全く無いわけではありません。

ちなみに献血には全血のほか血漿や血小板の成分献血もあります。
特に血小板は有効期間が4日と短いため頻繁にお願いしているようです。

キーボード
2017年06月22日 21:47:02

ワーゲンさま

ワーゲン さんの発言:

ちなみにこの問いの答えはものみの塔2004年9月15日号24-27ページ「申命記の目立った点」の中の26ページ2節で以下のように書かれています。

14:21 ― イスラエル人は,血の抜かれていない死んだ動物を食べませんでしたが,それを外人居留者に与えたり異国の者に売ったりしてもよかったのはなぜですか。聖書で「外人居留者」という語は,改宗者になった非イスラエル人を指す場合もあれば,その地の基本的な律法に従って生活するもののエホバの崇拝者にはなっていない居住者を指す場合もあります。異国の者や,改宗者になっていない外人居留者は,律法のもとにあったわけではないので,血の抜かれていない死んだ動物をさまざまな方法で用いることができました。イスラエル人はそのような動物をそれらの人々に与えたり売ったりすることが許されていました。しかし改宗者は,律法契約に拘束されており,レビ記 17章10節で指示されているように,動物の血を食べることは禁じられていました。

この解釈に基づくと、「血を避ける」ようエホバから求められているのは律法契約下にある者だけということになり、エホバの崇拝者にはなっていない外人居住者は血を避けなくてよい≒彼らに血を進めても罪ではない(良心上の決定)、という理屈になりますよね。


ものみの塔誌の資料を具体的に示していだだきありがとうございます。この資料を読む限り、医療目的での献血は聖書に基づく良心的な判断の範疇だと考えても良さそうなものですよね・・・。


ワーゲン さんの発言:

過去に輸血の問題で命を落とした信者が少なからずいるため今更あれは間違いでしたとはいえない。輸血禁止、献血禁止という結論は変えられない、でも組織を維持するために説明は必要になるので、それらしい理由を考えて微調整しているといったところではないでしょうか。


この点もなかなか難しい問題だと感じています。

昔、同じ会衆にいた元巡回Bに質問したことがありました。
分画の件も含め、輸血に関する見解はこれまで幾度も変更されてきた。今後、血液の主要成分も良心的に決定して良いというふうに変更された場合、これまで輸血拒否のため命を危険にさらした、あるいは命を落とした信者のご遺族に一体どのように釈明するつもりなのかと。


当時は私も若かったので話し合いの最中ボルテージが上がってしまい、対する元巡回Bもまた激昂し、あなたがそんなことを考える必要などないっ!!と、結局ポジティブな話し合いからは程遠い有り様になりました。


輸血の教理について冷静に話し合うことのできる人は少なく、これをテーマにするとヒートアップするケースが後を絶たず私も辟易としていました。論理的に説明することが困難で矛盾点に気付いているからタブーにしているのでしょうか。しかしそういう矛盾を抱えているにも関わらず矛盾など存在しないかのように装う状態が長期間続くのは精神衛生上あまり好ましくないように思いますね。何も考えないようにしたほうが楽なのかもしれませんが。

レイ
2017年06月22日 08:44:44

ほとんどの人は輸血、血液問題に関して詳しいことは理解していないと思います。
組織がダメというならダメ、でも分画を受け入れていいなら、そうします、という単純な思考です。
疑問を提起したらいけないから、それに慣れてしまっているのです。

もらうだけもらって、自分はあげない、というのは年金や生活保護など社会のシステムに関してもそうですから、全く悪いとは思っていないのでしょう。

思考停止していますから。

ワーゲン
2017年06月20日 05:04:33

キーボードさん

こんにちは。コメントありがとうございます。

キーボード さんの発言:

随分前の情報で恐縮ですが、「わたしたちの王国宣教2004年12月号」の「神権宣教学校の復習」11節で、
"11. イスラエル人は、血の抜かれていない死んだ動物を食べませんでしたが、それを外人居留者に与えたり異国の者に売ったりしてもよかったのはなぜですか。(申14:21)"
という討議がなされています。
その王国宣教では無輸血医療に関する記事が隣り合うように大きく扱われており、この記事がリアルタイムで扱われた集会に出席していた当時、これは献血については良心上の決定事項であるということの示唆ではなかろうかと感じさせられたものでした。

非常に興味深い指摘ですね。ちなみにこの問いの答えはものみの塔2004年9月15日号24-27ページ「申命記の目立った点」の中の26ページ2節で以下のように書かれています。

14:21 ― イスラエル人は,血の抜かれていない死んだ動物を食べませんでしたが,それを外人居留者に与えたり異国の者に売ったりしてもよかったのはなぜですか。聖書で「外人居留者」という語は,改宗者になった非イスラエル人を指す場合もあれば,その地の基本的な律法に従って生活するもののエホバの崇拝者にはなっていない居住者を指す場合もあります。異国の者や,改宗者になっていない外人居留者は,律法のもとにあったわけではないので,血の抜かれていない死んだ動物をさまざまな方法で用いることができました。イスラエル人はそのような動物をそれらの人々に与えたり売ったりすることが許されていました。しかし改宗者は,律法契約に拘束されており,レビ記 17章10節で指示されているように,動物の血を食べることは禁じられていました。

この解釈に基づくと、「血を避ける」ようエホバから求められているのは律法契約下にある者だけということになり、エホバの崇拝者にはなっていない外人居住者は血を避けなくてよい≒彼らに血を進めても罪ではない(良心上の決定)、という理屈になりますよね。

キーボード さんの発言:

それで、この記事について同じ会衆の人たちに「献血は良心的に決めて良いということではないか」とあちこちで会話のトピックにしておりましたところ、危険な考えをふれまわっている、などと会衆内で非常に厳しい視線にさらされるところとなりました。私個人としては聖書に関連したまじめな会話の一環として捉えていたものですから、この思いがけない反応に大変戸惑ったことを記憶しています。

ただ、気心の知れた他の会衆の長老に上記の件について相談してみたところ、もらうものはもらっておいて自分たちはなにもあげないという態度は如何なものかという言い分は良く分かるとのお返事で(献血の制約がなくなったとは言っていなかったが)、心の(内面の?)センサーが敏感に働いたという信者は少なからずいたのではないかと推測しています。

私はこれこそエホバの証人の根本的な問題の一つだと思っています。「組織の決定 > 聖書の研究」になっており、教理に対する議論が事実上タブーになってしまっています。組織の決定に疑問を感じれば、それは信仰が弱いと言われてしまう、これは思考の停止です。
長老の方、良い友人ですね。ただ、たとえ長老であっても、むしろ長老であるからこそ尚のこと公にそういう話をすることはできません。これは組織の自浄作用という観点からすると大きな問題です(エホバの証人的には、自分たちで浄化しなくても神が事を正されるということになるのでしょうが)。

キーボード さんの発言:

むしろ上層部もどのように判断したら良いのか分からず混乱しているのではないかとさえ思いました。

上層部は確信犯(故意犯)だと思います。過去に輸血の問題で命を落とした信者が少なからずいるため今更あれは間違いでしたとはいえない。輸血禁止、献血禁止という結論は変えられない、でも組織を維持するために説明は必要になるので、それらしい理由を考えて微調整しているといったところではないでしょうか。ある意味、自衛隊と憲法の矛盾を補うためのあれこれ理由をつけて「憲法解釈」をするのと似ているのかもしれません。

キーボード さんの発言:

針のむしろになることを恐れて口に出す人は少ないけれど、本心としては矛盾していることに気付いている人は意外と多いのではないかと思うのですが、如何でしょうか?

そうかもしれません。実際、医療機関連絡委員会(HLC)として働いておられる方たちの方が矛盾を意識しているのかもしれません。輸血拒否の理由を医師たちに説明する必要がありますが、論理的に説明することは非常に困難ですので。

キーボード
2017年06月19日 22:08:47

ワーゲン様

こんにちは、キーボードと申します。

>4,今のエホバの証人は、「部分輸血だとしても、献血者の血液を使わないといけない」と明らかに認識していますか?

この点について私も興味があり、久しぶりに書き込みをさせていただきました。


随分前の情報で恐縮ですが、「わたしたちの王国宣教2004年12月号」の「神権宣教学校の復習」11節で、
"11. イスラエル人は、血の抜かれていない死んだ動物を食べませんでしたが、それを外人居留者に与えたり異国の者に売ったりしてもよかったのはなぜですか。(申14:21)"
という討議がなされています。
その王国宣教では無輸血医療に関する記事が隣り合うように大きく扱われており、この記事がリアルタイムで扱われた集会に出席していた当時、これは献血については良心上の決定事項であるということの示唆ではなかろうかと感じさせられたものでした。


それで、この記事について同じ会衆の人たちに「献血は良心的に決めて良いということではないか」とあちこちで会話のトピックにしておりましたところ、危険な考えをふれまわっている、などと会衆内で非常に厳しい視線にさらされるところとなりました。私個人としては聖書に関連したまじめな会話の一環として捉えていたものですから、この思いがけない反応に大変戸惑ったことを記憶しています。


ただ、気心の知れた他の会衆の長老に上記の件について相談してみたところ、もらうものはもらっておいて自分たちはなにもあげないという態度は如何なものかという言い分は良く分かるとのお返事で(献血の制約がなくなったとは言っていなかったが)、心の(内面の?)センサーが敏感に働いたという信者は少なからずいたのではないかと推測しています。


もっとも、この記事が発端となりその後何らかの波動が形成されたというようなことは私の近辺では何一つ観察されず、例えば「わたしたちの王国宣教2006年11月号」の折り込み「血液分画、および自己血の関係する医療処置をどのようにみなしますか(保存版)」によると
「今日、医療目的のために提供された血液から多くの血液分画が取り出されています。クリスチャン各自は、これらの物質の医療上の使用を受け入れるかどうかに関して、良心上の決定を下さなければなりません。・・・」
と書いておきながら、その同じ記事で、
「エホバの証人は、輸血のために自分の血を提供したり貯蔵したりすることもしません。・・・」
と主張していて、何とも支離滅裂な論理ではないかと感じたものです。
むしろ上層部もどのように判断したら良いのか分からず混乱しているのではないかとさえ思いました。


針のむしろになることを恐れて口に出す人は少ないけれど、本心としては矛盾していることに気付いている人は意外と多いのではないかと思うのですが、如何でしょうか?


件の記事から10年以上が経過し、構成員の新陳代謝もあったことでしょう。献血の捉え方に関する信者の平均値も多少の変化があるのではないかと思い、お尋ねしてみました。


先ほどウェブサイトを確認したところ、JW.ORGでは2010年より前の王国宣教は閲覧できないようですね。

soukun
2017年05月31日 17:02:40

ありがとございます。

ワーゲン さんの発言:

部分輸血とおっしゃっているのは、血液分画のことでしょうか?

すでにご存知かもしれませんが、エホバの証人の教理では、全血、及び血液の四つの主要成分だとしている赤血球、白血球、血小板、血漿の輸血を受け入れません。
これらをさらに分解した血液分画は、良心に基づき個人的に決定する事柄である、というのが今の教えです。

部分輸血が血液分画を指していると仮定したうえで、それぞれの質問に対する私の主観を書きます。

>1,今のエホバの証人は、もし自分の命がかかっている場合、何割が部分輸血を受け入れると思われますか?

あくまでも私がこれまでに接したことがある範囲での体感ですが、8割方の人が血液分画を受け入れていると思います。

>2,今のエホバの証人は皆、部分輸血についてどう思いますか?しないほうが最善と思われますか?適当にしてもいいと思われますか?

上述の通り、一般的な感覚だと、禁止されていないのなら受け入れるとなるのかと思います。血液分画を拒否すると、実際に治療できない(≒死の危険がある)病気もありますので。

>3,今のエホバの証人は、実際に部分輸血を受け入れた人、また、「そうする」と名言したメンバーに対して、どんな態度を持ちますか?病気で同情されますか?信仰が弱いから嫌われますか?

これも一般論ですが、公式には、個人の良心の決定に他の人が口を出すなら、口を出した方が円熟していない(≒信仰が弱い)となります。とはいえ、ローカルでは変な人や自分の主張を他の人に押し付ける人が少なからずいることは否定しません。

>4,今のエホバの証人は、「部分輸血だとしても、献血者の血液を使わないといけない」と明らかに認識していますか?

エホバの証人の発行した文書の中でそのことに言及されたことはないと記憶しているので、物事を深く考えないタイプの人は認識していないでしょうね。実際、主要成分と血液分画に分けて考える今の教理は医学的にも色々と無理がありますが、そのことに疑問を持たずに輸血拒否を受け入れている人は、それ以上のことをあまり考えていないと思います。

ちなみに、部分輸血が血液の四つの主要成分のいずれかを受け入れる、ということを指しているならばこれらの答えは全て変わってきます。
たとえ全血でなくても主要成分のいずれかを受け入れたならば、それは輸血を受け入れたとみなされ、悔い改めなければ断絶(≒排斥)扱いになります。

ワーゲン
2017年05月20日 06:52:11

部分輸血とおっしゃっているのは、血液分画のことでしょうか?

すでにご存知かもしれませんが、エホバの証人の教理では、全血、及び血液の四つの主要成分だとしている赤血球、白血球、血小板、血漿の輸血を受け入れません。
これらをさらに分解した血液分画は、良心に基づき個人的に決定する事柄である、というのが今の教えです。

部分輸血が血液分画を指していると仮定したうえで、それぞれの質問に対する私の主観を書きます。

>1,今のエホバの証人は、もし自分の命がかかっている場合、何割が部分輸血を受け入れると思われますか?

あくまでも私がこれまでに接したことがある範囲での体感ですが、8割方の人が血液分画を受け入れていると思います。

>2,今のエホバの証人は皆、部分輸血についてどう思いますか?しないほうが最善と思われますか?適当にしてもいいと思われますか?

上述の通り、一般的な感覚だと、禁止されていないのなら受け入れるとなるのかと思います。血液分画を拒否すると、実際に治療できない(≒死の危険がある)病気もありますので。

>3,今のエホバの証人は、実際に部分輸血を受け入れた人、また、「そうする」と名言したメンバーに対して、どんな態度を持ちますか?病気で同情されますか?信仰が弱いから嫌われますか?

これも一般論ですが、公式には、個人の良心の決定に他の人が口を出すなら、口を出した方が円熟していない(≒信仰が弱い)となります。とはいえ、ローカルでは変な人や自分の主張を他の人に押し付ける人が少なからずいることは否定しません。

>4,今のエホバの証人は、「部分輸血だとしても、献血者の血液を使わないといけない」と明らかに認識していますか?

エホバの証人の発行した文書の中でそのことに言及されたことはないと記憶しているので、物事を深く考えないタイプの人は認識していないでしょうね。実際、主要成分と血液分画に分けて考える今の教理は医学的にも色々と無理がありますが、そのことに疑問を持たずに輸血拒否を受け入れている人は、それ以上のことをあまり考えていないと思います。

ちなみに、部分輸血が血液の四つの主要成分のいずれかを受け入れる、ということを指しているならばこれらの答えは全て変わってきます。
たとえ全血でなくても主要成分のいずれかを受け入れたならば、それは輸血を受け入れたとみなされ、悔い改めなければ断絶(≒排斥)扱いになります。

soukun
2017年05月16日 15:34:50

エホバの証人の組織は、血液を加工した製品を使うかどうかが「良心の選択」であると理解しています。しかし、組織にルールがあっても、違う方向に実行(あるいは理解)されるかもしれない。ので、具体的に、今のエホバの証人は実際に部分輸血に対してどんな態度を持つのかを知りたいと思います。皆の意見が聞きたい。

1,今のエホバの証人は、もし自分の命がかかっている場合、何割が部分輸血を受け入れると思われますか?
2,今のエホバの証人は皆、部分輸血についてどう思いますか?しないほうが最善と思われますか?適当にしてもいいと思われますか?
3,今のエホバの証人は、実際に部分輸血を受け入れた人、また、「そうする」と名言したメンバーに対して、どんな態度を持ちますか?病気で同情されますか?信仰が弱いから嫌われますか?
4,今のエホバの証人は、「部分輸血だとしても、献血者の血液を使わないといけない」と明らかに認識していますか?

ありがとございます。

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