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crecent
2021年04月27日 06:44:29

洗脳されてる方には 何を言っても
無駄だと思いますよ
自分達の全てが 全て正しい導き教えだと
信じ切られていますからね
信じるものは 信じていればよいでしょう
これまで 信じられてきて 数十年
数百年前からの信者兄弟姉妹さんは  すでに
老衰   病気等でお亡くなりなられ
未だに  世界は終末迎えておりません
いつになる話しを信じていらしてなのか
また復活して 生きて行こうなんて
とても思わないですが
人生これっきりでよいですわ
マインドコントロールされた信者さん
永遠に信じて老衰されることてしょ

悪い子
2020年08月10日 06:54:24
Chimera証人 さんの発言:

さて。私はこの掲示板の者共を滅びへと引き渡したわけだが、この掲示板の中に信仰を保っている人はおられますか?


キメラ 証人、仰天さん

祈りは届いたかい?

さやか666
2019年06月14日 11:45:14
さやか666 さんの発言:

「僕の家に都内の小学2年生全員が泊まった」


こういう嘘を咎めない教育者がいたならどう思いますか?


優しく指摘しませんか?


♯225 素晴らしい書き込み、誰かと思ったら私でした


いろいろと思い出してきたぞ

めぐママ
2019年06月01日 07:26:33
KAO さんの発言:

Chimera=元証人さん
もう少しだけお相手しておきましょうかね。
まず最初に誤解を解いておきたいと思います。私は自分がここに投稿する目的をハッキリ表明しており、それは、個が確立していない子どもたちに信仰を強要することに対する反対であって、あなたの言う「自由主義神学」なるものの立場を閲覧者に広めることではありません。協会の学問めかした「嘘」を暴露する必要上、逐語霊感説の空しさをを突くことになるわけですが、Chimera=元証人さんはこの部分が気に入らないのでしょうか?
私はChimera=元証人さんの信仰的立場は尊重しておりますが、それを拠り所として他の方々を勉強不足と断罪し、JWなみの強引さでご自身の「福音的信仰」なるものを押し付けてくる姿勢には感心しません。あたなの投稿を読んでいると「脱搭すれども覚醒せず」という煉獄のような中間状態があることがよく分かります。あなたがどこで夢の続きをみようと勝手ですが、多くの方にはもう必要ございませんので・・・

Chimera=元証人さんの「お勉強」の実態については、先日の処女懐胎問題で、サイト上の垂れ流し情報を、ご自身では批判検討する姿勢も能力も持ち合わせてはおらず、お気に入りサイトへの丸投げリンクのナンセンスさをやんわりとご忠告申し上げたつもりでしたが、指摘の甲斐なく繰り返されているようですので、不本意ですが再度ご忠告申し上げます。偏見に満ちた教説を垂れ流しているのは私や管理人さんの方ではなく、他でもないChimera=元証人さんの方ですので。

【Chimera=元証人さんの発言】
「数あるキリスト教の教派の中で無意識、無存在になると教えているのはキリスト教系新興宗教である異端のエホバの証人に影響を与えたセブンスデーアドベンティストくらいのものでしょう。」(洪水#863)

上の発言の中にChimera=元証人さんが、ご自身がJWに代わって新たに見出された「福音的キリスト教」に心酔するあまり、キリスト教というものの、時代と地域を越えた捉えどころのない広がりについて無知蒙昧に陥っておられる姿がよく表れていると思います。
ご自分が圧倒的多数派だとおっしゃりたいようですが、現実には元証人さんの言う「聖書は死者の魂に意識がある事を述べており」という信条を持つ教派の方が、むしろ福音派のみの特殊な教えであるということは知っておいた方がいいですよ。

閲覧者の方も「えっ!?」と思われるかも知れませんが、厳密な釈義に基づく現代神学の主流は、新約の中には霊魂の不滅というプラトン的思考の萌芽が一部に認められるとはいえ、それは極めて限定的な影響に留まると考えています。旧約にはまだそれが見られないということから、JWがこの点に関してだけは「伝道の書」やら「詩編」の聖句を拠り所としていることは元JWの方ならよくご存知のことです。

少し前「脱搭指南」のトピで、反JWの牧師として知られている中澤啓介牧師が、死後の状態についてはJW的見解に転向しつつある、という書き込みを見かけました。福音派の中澤先生も研究が進まれたようで結構なことですが、実際には新約の中にはどちらとも受け取れる記事が併記してあるというのが実態でしょう。それを「聖書に矛盾はない」というドグマに縛られることからこうした誤解や論争が起きるわけですが、それには、ヘレニズム文化人としてギリシャ的思考を身につけたパウロなどが一役かっているとも言えます。

「いったいどっちなの?」と聞かれれば、「死んだことないから分かりませんよ」というのが私(中澤先生も)の回答ですが、もし聖書学的に答えるとすれば、本来のヘブライ思想の中にはないが、初期ユダヤ教ないしキリスト教時代に入ると、グノーシスやギリシャ思想の影響から死後の状態が描かれるようになった、と答えることになりましょうか。
Chimera=元証人さんがそれをまるで見てきたかのように言うだけではなく、人間の知の限界に謙虚であろうとする我々に対して「不勉強」と断罪することに反発しているのです。まっとうな聖書学者は、人間の頭で理解できる範囲のところを問題にしているに過ぎず、それ以上のところは牧師先生にお任せしているから自分も礼拝に出席できるのです。
説教中に「牧師先生それは違いますよ!」なんて誰も言い出しません。

最後に、死者にも意識がある、というキリスト教界への誤解を解くためにわが国に紹介されている本としては以下のものを参照してください。クルマンやユンゲルは、戦前から戦後にかけて大きな影響力を持ったドイツの新約聖書学者、組織神学者です。
「死後の生命」(T・A・カントネン、聖文舎、1965年)
「霊魂の不滅か死者の復活か」(O・クルマン、聖文舎、1966年)
「死 その謎と秘義」(E・ユンゲル、新教出版社、1972年)
聖文舎というのはもう廃業しましたが、ルター派のかなり保守的な出版社でした。

「数あるキリスト教の教派の中で無意識、無存在になると教えているのはキリスト教系新興宗教である異端のエホバの証人に影響を与えたセブンスデーアドベンティストくらいのものでしょう。」というのは、福音派の教説しか知らないChimera=元証人さんの、それこそ「偏見」と「不勉強」の成果です。

私はイスラム他多様な思想信条を受け入れますが、「福音的信仰」や「日の丸・君が代」を一方的に強要してくる勢力に対しては、「思想・信条の自由」のために抵抗いたします!



#145  で  KAOさん セブンスデーアドベンティスト  派についての 元証人さん=キメラ さんの意見の間違いを指摘されていました。

めぐママ
2019年05月31日 21:39:54
KAO さんの発言:

元証人さん
時間をかけて返答を準備してくださりありがとうございました。元証人さんの思索の遍歴がよく分かりました。私の立場も理解してくださり嬉しく思います。元証人さんがおっしゃってくださったように、信仰の中身は人それぞれであって、聖書の史実性にその土台を置かないクリスチャンも世の中には(少数派とはいえ)存在するのだということです。
もちろん私も最初からそうだったわけではなく、いろいろな経験と思索の結果ですし、若輩者ですので今後もまた変わってゆくことでしょう。

「アブラハムの神の限界」のトピでも激論が続いていますが、私自身の考えを言わせていただくと、福音派の方々がよく口にする「本当のキリスト教」「真のキリスト教」なるものは、結局のところ自身の願望の投影に過ぎず、脱搭された方々の多くはJW時代の「真の宗教・真の崇拝」を経てそのことを自覚し、それを絶対化することの弊害と危険性を学ばれたのだと思います。そもそも絶対的な存在は神だけだというのであれば、その神の前にあって全ては相対化されるはずなので、自分の信じるキリスト教だけが正しいというのは、ものみの搭の主張と何ら変わらないという気がします。
そういう意味では聖書解釈にも「絶対的に正しい理解」などは存在し得ず、自分が受け取ったメッセージで満足すべきでしょう。キリスト教自体が、本来ユダヤ教徒の聖書であったものを、それを生み出したユダヤ民族の意に反し「イエス証言の書」と受け取ることで始まったのですから。

ラスカサスの評価についてのやり取りを見ていると、元証人さんはせっかくJWから抜け出したのに、今度は再び(ご自身が)「正しいキリスト教」とするものの奴隷となり、それを「唯一の経路」と考えておられるような印象さえ受けます。
ラスカサスは、多くの宣教師たちが中南米で広く行われている「人身御供」の風習を、「野蛮人のすることで、これを阻止するためにも彼らのキリスト教への改宗が必要」と考えていたことに対し、いや、彼らが自分たちにとって「最も尊いもの」をこそ神に捧げようとするのは、他でもない聖書にも見られる崇高な精神だ、という意見を本国に書き送っています。
異文化間における価値観の衝突に対して外から論評を加えることは、結局自分が正しいと信じる立場からなされるもので、どのみち客観的に万人が得心できるものにはならないのではないでしょうか。

元証人さんの表明しておられる信仰が、一般的なキリスト教会の示すスタンダードな信仰であることは認めますが、ここに集う人たちの多くは、「もうたくさん!」という人も多いと思いますよ。



#102   での KAOさんのご意見に感動したのを思い出しました。

irisさんの ご意見も  とても自然で 嫌味がないんです。  スッと受け入れられたので  今  友人を脱とうに導いて 福音派 ルーテル派  とゆき巡り 散々傷ついて 答えを得るどころか 心を病んで 落ち着いたのが 今の所は カトリックです。今後どうなるかは わかりませんが  答えが得られたかどうかではなく 静かに 心を休める所 祈れる場所だと 言われていたのです。 良かったと思いました。

めぐママ
2019年05月31日 21:31:30
元証人 さんの発言:
KAO さんの発言:

私は元証人さんの聖書信仰を尊重したい旨すでにお伝えしております。

それよりも私には知りたいことがあります。
元証人さんはその名の通り、かつてエホバの証人の音信に触れて「これこそ真理」と確信し、ここに集う多くの方々同様、一定の期間を熱心なエホバの証人としてストイックな生活をなさっていたことと思います。ところが人生のどこかで、「何かがちがう」と疑念が芽生え、葛藤と自己吟味を経て脱搭に至ったと推察しますが、一連の過程を通してどんなことを学ばれましたか? 「学んだ」というのも学校みたいですが、「悟られましたか?」これも仏教的で不適切でしたら、「教訓を得られましたか?」という感じでしょうか。
何より質問することが私の仕事の重要な部分を占めておりますので、お返事いただけましたら幸いです。


遅くなりました。
私は少年時代から読書が好きで西洋哲学や東洋思想、宗教についてもある程度読んでいました。
もちろん、宗教というものを信じやすいタイプではなく、参考程度の読書でして、どちらかと言えば何か偉大な存在はいるかもしれないと思いながらも宗教や聖書については否定的でした。
どちらかというと、何年経っても変わらない、進歩しない聖書については否定的でしたね。
もちろん、聖書や、他の宗教の中にも素晴らしい教えや参考になる点はあるとは思ってましたが、それぞれの団体が自分の所が正しいと主張するのに、どうして特定の宗教をベストとできるだろうかとは考えていました。
そして、何年経っても前進しない、変わらない聖書は進歩がないのではないかと思っていました。十代の頃です。
しかし、歪んだ形の福音(良いたより)であったとはいえ、エホバの証人の訪問を受けて議論を繰り返すうちに、当時の十代の自分の限られた思考の中とはいえ、色々な質問をエホバの証人にして回答が与えられたように感じた時に、

真理とは変わらないものであり、不変である事に気付きました。(コロコロ変わる組織の教えとは対照的です。)

しかし、組織にこのように来たらこう答えるというマニュアルがある事を知らなかったとはいえ、ある程度回答が得られた事から、聖書の中に真実があるのではないかと考えるようになりました。

そして、胡散臭い点がある事は感じながらも聖書研究を始めたわけです。
この点、マインドコントロールというよりは、途中でおかしいと思ったら辞めればいい、数年取り敢えずやってみようという感じで冷静だったのが良かったのでしょう。
バプテスマを受けて数年経つと、会衆の中での疑問や組織に対する疑問が出てきました。

それでも、自分が目指していた夢や計画全てを捨てて組織に入った手前、おかしいと思いながらもその後も数年間様子を見てきました。
しかし、調べれば調べるほど組織の間違いが明らかになり、神と聖書を愛する以上、エホバの証人の組織に留まる事はできないと思い、3人の長老と友人に間違いについて説明して断絶したわけです。
友人は私の説明に納得してエホバの証人を辞めて結婚して幸せな生活を送っています。

さて、エホバの証人を辞めてもすぐに教会に行く事はせず色々調べました。
エホバという名がYHWHの4つの文字にアドナイの母音符号を混ぜた本来、有り得ない呼び名なのは途中で分かってましたので、まだ個人的に神なるイエスと出会ってなかった私は、満足できる教会がないなら、自分でヤハウェの証人とかの団体を作ろうかとバカな事も考えましたが、信仰宗教にはなりたくありませんでした。

その後、神がおられるならば、2000年もの間、正しい教えを伝える事もできないほど無力であるはずはないと思い、キリストは本当に神ではないのか徹底的に調べて、イエスと個人的に出会い(内面での話ですが)
神であるイエス・キリストを命令通り伝えてきたのはキリスト教会であると確信しました。

その後、様々な教会を見て回りましたが、昔いた会社にクリスチャンの先輩がいましたし、そこの信仰は自分の信仰と合っていると思いましたので、そこで受洗しました。

色々な教会と接し、いろんな牧師さんと話してきたので様々な信仰形態がある事は理解しています。枝葉は違えど根本では一致していると思います。
KAOさんのように奇跡を信じずキリストは単なる人間だったと教える所もあるのは知ってますし、それも尊重したいと思います。

さて、何を学んだかという事ですが、KAOさん同様、個人の意見は尊重しますが、人は自分の信じたい事に関する資料しか集めないという事ですね。
私も以前はそうでしたが、両方の意見を調べるようにしています。
ここの掲示板では全員ではないですが、神が残虐だと思ったら、そういう見方でしか見れない、そのような事が蔓延しているように思います。
しっかり調べたのでしょうか。
もちろん、KAOさんの事ではなく、他のトピックの話ですが。

KAOさんについては、調べた上でその立場でしょうから尊重したいと思いますが、ひとつの意見として言うなら、
聖書を単にテキストとして見るなら、聖書が教えるメッセージや神様の愛を見逃す事になるのではないかと考えたりします。

先生として貢献しておられて素晴らしい働きをしておられると思います。

様々な資料について知っておられもしますし、ご自身なりの信仰を有しておられるでしょう。

しかし、本当に神様と出会っている、救われているという確信は持っておられるのでしょうか?

最終的に神様に委ねたいというお気持ちも尊重したいと思います。


#100

めぐママ
2019年05月31日 21:29:34
元証人 さんの発言:

わたしも忙しい中で書いていますので全ての点について答えたりしていたなら膨大な量になりますので簡潔にしか言えない時もありますが、スルーなどしていませんし、押し付けてもいません。
皆さんは自分の意見を言い、私も自分の意見を書いているだけでしょう。
それを押し付けとみなすなら、お互い様でしょう。

ささらほーさらさんの感じる疑問には間接的に既に答えています。

具体的にも後日数ヶ所なら書こうと思っていました。
ゆっくり進んでもよいではないですか。

私も残業や日曜出勤などの日常に追われながら書いているわけです。



#70  の投稿

良い子556
2017年02月16日 18:56:16
Chimera証人 さんの発言:

さて。私はこの掲示板の者共を滅びへと引き渡したわけだが、この掲示板の中に信仰を保っている人はおられますか?

私がおります。

私をお選び下さい。

ヴィーナス
2017年02月16日 18:28:41

果たして、その祈りが聞かれるかねぇー。

エホバはご自分に従順な者の祈りしか聞かれない。

わたしもそうであってほしいが。
クソ、jwstudy!!!
Die you!   Fuck you!  screw you!!
drop dead!!
go to Gehenna!!

Chimera証人
2017年02月16日 15:16:57

さて。私はこの掲示板の者共を滅びへと引き渡したわけだが、この掲示板の中に信仰を保っている人はおられますか?

ルートへ、と茶々を入れるものへ
2017年02月16日 07:44:04
ルートへ さんの発言:

オマエに他人様に意見する資格なんかない。すっこんでろと言われたばかりだろ。エラソーなことつべこべ言うな。勘違いの出しゃばり女。ヤンマスのために灰でも被って泣いてろ。

いくら引きこもりで、不細工で、
不幸の塊で、
生きる目的がなくて、
友達もいないからといって、
人に当たらないように!

お前の生き方が醜いことは
その下品な書き込みに表れている。

さやか666
2017年02月07日 22:30:33

キメラ証人さん

地球上に存在する不可解な巨石をごり押しするのが最善手だったと思います

ニギヤカシ
2017年02月01日 12:10:57

Chimeraさん、その後どうですか?

パー子
2017年01月28日 13:10:18

こんにちは。

もうこれからはROM専で行こうと思っていたのですが、出てきちゃいました。^^;

ささらほーさら さんの発言:

本当に「愛で体現されるような絶対神」が存在し
人間を含む、この宇宙の延々と続く流転(?)に良い意味での終止符を打ち
苦しみや病気や死が実際になくなる見込みや「根拠」が存在するなら
わたしだって飛びつきたいですよ。

ささらさん、私の気持ちを代弁してくださったかのようです。
ありがとうございます。


私は元二世ですが、JWが「真の宗教などではない」と感じた(気づいた)最初の理由は、組織が聖書の教えに従っていないということでした。
レイ・フランズさんの「良心の危機」を読んで、半泣きしたあの頃が懐かしいです。
親から植え付けられていたとはいえ、聖書の愛の神様はぜえええったいに存在すると信じていましたからね。

JWの教えが真理ではないとなると、「真理はどこにあるのか」・・・と非常に不安になりましたし、曇りのない目で聖書を読み直さなきゃ!と必死でした。

新共同訳の聖書を買って(高かった・・^^;)、夢中になって読みましたよ。どこにいるのか分からない神様にもJW時代以上に沢山祈りました。
教会も尋ねてみようかな~とウェブサイトを調べたり。
リアルでも元JWからクリスチャンになったという方とお話したり。

そうしたらさらに疑問が出て来る。。(◎_◎;)
なのでそこを質問をすると(答えを知りたいという純粋な気持ちからですよ!)
「あなたはクリスチャンを馬鹿にしているんですか!?」と怒られる。。
違うのに。。

信じないのではなくて、信じられないのです。
信じられたらどんなに良いか!と思ったほどでした。

でも、自分の心に嘘をつくことはできない。
そういうことなのです。

真理=全ての人を必ず幸せに導く
この方式が、私の中で崩れた瞬間でもありました。

聖書についての質問
2017年01月28日 09:28:25

#603の「最後」さんは、元証人さんですよね。このスレッドを立て、キリストの戦士として大活躍なさった元証人さんは、刀折れ矢尽きたのか、#603を最後に、ここから別のところに戦いの場を求めに出て行ったようです。

僭越ながら、敬意と感謝を込めて、元証人さんの活躍を振り返ってみましょう。

#1で「何かと聖書の信憑性まで疑うような書き込みも多い中、聖書を信じられる根拠を集めてみるのも楽しいのではないかと思います。よろしくお願いします。」とこのスレッドを立てた目的を明らかにしています。

元証人さんは、その後「聖書を信じられる根拠」として何を教えてくれたのでしょうか。
#6で、「信じる根拠は色々とありますよね。イエスに関する預言は350箇所ほど成就しています。」と書きますが、すぐさま反論されます。話題になったのが、イザヤ書の「処女が妊娠して子供を産む」という部分でした。元証人さんは#20で「マタイは実際に起きている事を見て、処女と表し」た、と書き、いろいろ反論されます。ここで溜まっていたフラストレーションが爆発し、反論をあきらめ、#52で「カレブさん、つまり、あなたは目撃証人がいてもいなくても、聖書に書いてあっても書いてなくても信じたくないという事なのでしょう。仮にパウロがマリアに言及していたとしても聖書は信用できないと言い出すのです。信じたくないのですよ、あなたは。」と、中身のない個人攻撃して、この問題を投げ出す。このパターンは、これ以降、別な方を相手に繰り返される。

#60で、「おすすめなのは、様々な聖書学者の文章が読める『ナザレのイエスは神の子か?』いのちのことば社です。」と、キリスト教プロパガンダ本を勧める。この本はこれ以後数回登場する。聖書が信じられる根拠って、この本のことだったよう。
しかし、この本を支持する人はなく、話題は聖書の不一致のほうへと向かう。それに対して#67で「細部で食い違いがあっても、神が人類のために愛する御子を遣わし、贖いとして死なれ3日目に甦られたという事は完全に一致しています。それ以外の事(些細な違い)は枝葉であって救いとは関係ありません。」と、不一致=枝葉論を展開する。
ここから聖書に不一致があっても信じられるという防衛的な議論が多くなり、信じる根拠はあまり論じられなくなる。同じ#67で「引用の際に人名間違いや数字の間違いもあるかもしれません。」と聖書に間違いがあることを認める。#190で再び『ナザレのイエスは神の子か?』をとりあげ、「そこに書かれている内容と私の意見は一致していますので読んでもらえたら解説を省けますので助かります。」と2016年の書き込みを終える。

年が明けてから、それまでの数々の悪行から出入り禁止処分を受けるが、#212で「アブラハムの神についてと聖書考古学などについて少し伝えるのを忘れていた点があり、管理人さんであるカレブさんと話して2ヶ月頂きましたので、ご了承ください。」と再出発宣言。
話題はソロモンの神殿での大量屠畜問題となる。元証人さんはここでも防戦一方の展開。#216で「象徴数ではないとしたなら単に数字の書き間違え、伝達する際の手違い、ミスも考えられます。」と聖書に手違いやミスのあることを認める。#218で「聖書が伝える主要なメッセージではないという事です。」と再び枝葉論。#236では、「クリスチャンが実数と信じるのも勝手、懐疑論者が誇張と考えるも勝手なのです。」と、正面から論じるのを避ける。そして溜まっていたフラストレーションが爆発し、「ところで、あなたは少しは聖書考古学の本とか読まれてます?他の人の信仰を破壊することしか考えない人間ってのも何だかね。」と個人攻撃で、この問題を投げ出す。
その後、何か主張しないといけないと思ったのか、#259で、それまでの流れを無視して、ある本から長々と引用する。それに反論を加えられると、#267で「無論、無理に信じる必要はありません。お引取りを。」と対話拒否。これは、これ以降何回か繰り返される。

やっと、#296で「考古学的に聖書を裏付けるものは何もないと信じたい否定派の人々は実際の考古学上の最新の見解を理解しておられないようです。聖書が間違いだという考古学上の証拠は何も発見されていません。」と、考古学の問題に取り組む。内容はナショナルジオグラフィックのHPからの引用。しかし、話題は聖書の不一致点の方に。また防戦一方の展開。#342で、「懐疑論者たちは食い違いばかり探して読みますが、重要な点は相違点ではなく一致している点なのです。」と、不一致点を指摘することがあたかも悪であるかのように主張する。ノアの洪水前に古代文明が存在していたという指摘に対しては、#344で、「年代測定に問題があるのでしょう。」と聖書擁護するも根拠は示されず、いわば願望を述べるだけ。さらに、同じ#344で「古代の聖書の系図は主立った人物しか記述されておらず省略されており、寿命に関しても写本によってばらつきがあり、単純に寿命を足して人類の歴史は計算できないのです。」と、創世記の系図や年齢はいい加減なものだと認めてしまう。ノアの洪水があったことにするためには、それに不都合な聖書の他の記述は「嘘」とせざるを得ないということなのでしょう。そして、自分の主張を維持するために、#366では、「基本、聖書のみの立場のプロテスタントであるとはいえ、口伝えによる伝統をも重視します。」と口伝を聖書並みのものと位置付けてしまう。自分に都合がよいものは何でも取り入れるという非常に柔軟な立場を表明。

そのあと話題になったのが、子供の教育問題。聖書を信じる根拠を見つけるというこのスレッドのテーマからはずれていますが、今まで防戦一方だった元証人さんは、批判的な書き込みの言葉尻を捕まえて、激しく攻撃。元証人さんが一番勢いがあったあたりでしょうか。その中で、#385「私の住んでいる県内において進化論を信じてノアの洪水を否定している教会などほとんどありません。(カトリックは除く)。」、#393「福音派のほうが勢力を伸ばしている。」、#399「先に挙げた日本の教団、教派の中では多くの人が若い地球説(6000年以外の見解の人を含めて)を信じていますがね。」と、主張。自分と同じ考えの人は多い、だから正しいと言いたいよう。しかし、そのような人は日本では絶対的少数者であることは思いつかないようです。今まで同様、ここでも批判され、我慢しきれなくなったのか、お決まりの個人攻撃。#415「カレブ氏 アホ、虐待発言によるチェーンソーぶん回し。KAO氏 極端な自由主義神学によるチェーンソーぶん回し。ささらほーさら氏 聖書の神を結婚詐欺師に例えるチェーンソー発言。その他。(以下略)」と、この問題終了。

#417で、「ダビデ、ソロモンは実在し、その栄華も確認されています。『発掘された聖書』は考古学では古いのです。」と考古学テーマに復帰。#420で「福音書筆者問題についても何名か書いておられましたが、それも最新の聖書学の見解ではなく、古いものです。」と、自分は最新の学説に通じていることをアピール。#421では「ラクダについても聖書の記述に間違いはありません。」と自信に満ちた発言。しかし、これらも反論され、些末な問題である、リベカがラクダに飲ませた水の量で議論になり、反論できなくなると、#450で「じゃあ、たっぷり飲ませたんじゃない?まぁ、たっぷり基準もあやふやですが。所詮、枝葉。」とふてくされた態度で、得意の枝葉論。枝葉なら話題にする必要もなかったはず。

#475で「「聖書時代の秘宝」をよく読みましょう。」、「「徹底検証キリスト教 信じる根拠はどこにあるのか」(いのちのことば社)をじっくり読むようにお勧めします。」と推薦図書の紹介。その後、#488では、「こちらの方がずっと新しい聖書学の成果に基づいており、補説や 解釈学的な現代への適用の項もあるものです。ですから、あなた方の引き合いに出すような昔からある使い古された否定的な見解よりは新しいものなのです。少しは読解能力を身に付けましょう。」と、自分のほうが優れていると、論証抜きで主張。しかし、自信のあるテーマだったはずのノアの洪水について、#490で「ノアの洪水の証拠は信じる目で見れば世界中に満ちています。全員ではないですが、科学者であるクリスチャン達も認める事です。結局は信じるか信じないかの問題のようです。」と、自説をあきらめたような弱気な発言。証拠は満ちているが、信じるか信じないかという問題に格下げ。

聖書と考古学の食い違いに対しては、#526で、「食い違いがあるからといって聖書が間違っているという事には必ずしもなりません。むしろ逆になぜあなたは、聖書と違ってダビデやソロモンが偉大な王でないと考える必要があるのでしょうか?」と、枝葉論を超えて、食い違いのどこが悪いんだと開き直り、信じないほうが悪いと言わんばかりの主張。
#558で、「「聖書時代の秘宝」をよく読みましょう。」と呼び掛けてから、長々と引用。聖書を信じる考古学的証拠は、どうも古臭い「聖書時代の秘宝」のようですね。

そして、元証人さんの主要な論敵のひとりであった「ささらほーさら」さんが、愛想が尽きたのか、#563で「収穫がひとつありました。わたしの大切な友人のひとり(JWに疑問を持ちつつも聖書には誤りがないと信じたがっていた)が元証人さんの理屈と態度を閲覧していくうちに「『聖書は真実のみを語っている』ということに固執することがどんなに愚かしいことかわかった」と言っていました。」と告げて、お別れのご挨拶。様々な人が自由に投稿できる掲示板の社会的な意義が思わぬ形で示された感動的な書き込みでした。それに対して、元証人さんは#567で「二度と来ないように。」と、無礼極まる反応。

そして、#568で、このスレッドの目的とは無関係なJW批判とキリスト教護教論を長々と展開。最後にこれが言いたかったのでしょう。#590で「カレブさん、短い間でしたが、お邪魔しました。」と事実上、撤退宣言。
元証人さんをはじめ、関係者の皆様、お疲れさまでした。

私のまとめ、いかがだったでしょうか。ところで、聖書を信じる根拠って、何だったの?信じたい人が信じているだけにしか見えなかったけど。根拠を教えてよ。

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