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聖書についての質問
2017年03月01日 17:49:38

聖書に基づいた年代計算は、昔のキリスト教世界では熱心に行われていた。特に終わりの日がいつなのかは、大変な関心があったみたいで、いろんな人がそれで人生を無駄にしてきたの。そのことは、今もJWという人たちがいるからわかると思うけど。彼らの共通点は、聖書の記述は自分たちの時代について述べていると思い込むことね。聖書はその書かれた時代の人を読者に想定して書かれているので、見当違いもはなはだしいけどね。

年代計算が廃れてしまったのは(JWを除く)、いくつかの理由があるんだ。
1つは、聖書本文の問題ね。旧約聖書の多くは、1008年に書かれたレングラード写本に基づいている。もうひとつ権威ある文献として、紀元前3世紀ごろにヘブライ語からギリシア語に翻訳された70人訳聖書がある。それから、早い段階でユダヤ教から分離したサマリア人たちの「モーセの5書」の写本もある。いずれも初期の頃の聖書本文を反映していると考えられているんだけど、一致していない点がたくさんあって、どれが正しいのか、わからない。特に数字は不一致がはなはだしいのね。たとえば、アダムの創造から大洪水までは、1656年とされるけど、70人訳に基づくと2242年で、サマリア人の聖書だと1307年になる。JWは、70人訳などは全く無視して計算しているけど、そうしてよいという根拠なんかないよ。

そして、20世紀の大発見である「死海文書」。紀元前3から1世紀に作られたヘブライ語聖書の写本がたくさん見つかった。これがレニングラード写本とは必ずしも一致しないの。中には相当違うのもあるわけ。つまり、聖書といっても非常に多様で、これが神様の言葉です、この数字は間違いありませんなんて、誰もいえないんだ。そんな訳で、年代計算なんて意味ないよねということになった(JWを除く)。

もう1つは、聖書の記述は「年単位」ということから来る問題。「○○王が20年治めた。」とあるだけで何ヶ月何日間か、書いていない。ぴったり20年なんてあるわけないよね。20年1か月かもしれないし20年11か月かもしれない。かなりの差がある。それが何代も累積すると、数年からそれ以上のずれがどうしても生じちゃう。20年ずつ5人の王様が治めたとすると、100年5か月かもしれないし、100年55か月(104年7か月)かもしれない。

それから、年単位だとしても、具体的な数え方がわからない。20年6か月で王様が死亡した場合、統治期間は20年それとも21年なの?6月に王様になったら、そこから数えるのか、あるいは新年が来たら2年とするのか?数え方は時代によって変化がなかったのか、あったのか?よくわからないから、かってに想定して年代計算をしているだけ。

それから、イスラエル王国とユダ王国が存在していた時代までは、聖書から年代計算ができなくもないけど、それらが滅亡したあとは、聖書に年代を表す表現が少なくなって年代計算をする場合は、聖書以外の資料に頼らざるを得なくなる。特にペルシア帝国以降ね。ペルシアの王様の在位年数なんて聖書に書いてないでしょう。
というわけで、聖書に基づく年代計算なんて誰も信用していない(JWを除く)。

カレブ
2017年03月01日 00:48:48
海外奉仕 さんの発言:

カレブさん、コメントありがとうございます。

私も読んでみたところ、何の理由にもならないと思いました。ただ考古学の話なんで、そこらへんの歴史の
扱い方が素人には良くわからないですよね・・そういった持ち出してごまかそうとしてるだけでしょうかね?

はい。そうでずね。その通りだと思います。
ものみの塔は文脈が繋がらない言い回しとかを巧みに使ってごまかそうとします。
たぶん多くのエホバの証人は考古学の項目とか”協会が何かを書いている”=”協会がきちんと証明している”と
勘違いしてしまいます。

海外奉仕
2017年03月01日 00:32:43

カレブさん、コメントありがとうございます。

私も読んでみたところ、何の理由にもならないと思いました。ただ考古学の話なんで、そこらへんの歴史の
扱い方が素人には良くわからないですよね・・そういった難しい話持ち出してごまかそうとしてるだけでし
ょうかね?

カレブ
2017年03月01日 00:26:27
海外奉仕 さんの発言:

みなさん お久しぶりです。

洞察の本には以下のような説明がありました。

エジプト年代学  エジプトの歴史はイスラエルのそれと様々な点で絡み合っています。当出版物の中では,イスラエルがエジプトに入った年代は西暦前1728年で,エジプト脱出の年代はその215年後の西暦前1513年であることが示されています。ファラオ・シシャクがエルサレムを攻撃したのはレハベアムの第5年の西暦前993年でした。エジプトのソ王はホシェアの治世(西暦前758年ごろ‐740年)と同時代の人で,ヨシヤの死をもたらしたファラオ・ネコの戦いは西暦前629年に起きたようです。(王一 14:25; 王二 17:4; 代二 35:20‐24)上記の年代と現代の歴史家が一般に定めている年代との相違は,エジプト脱出については1世紀かそれ以上の開きがあり,ファラオ・ネコの時代になると20年ほどに狭まります。以下の情報は,聖書を根拠にした算定に基づく年代計算に従うほうがよい理由を示しています。
現代の歴史家はおもにエジプト人の王系表や編年誌に頼っています。その中には,エジプト史の最初の5“王朝”とみなされるものを示した断片状のパレルモ石や,極めて断片的な,「古王国」から「新王国」までの歴代の王とその治世の一覧表を記したトリノ・パピルス,そのほか同様に断片的な,石に刻まれた碑文があります。これら別個の一覧表や他の別々の碑文は,西暦前3世紀のエジプト人の神官マネトーの著書に基づいて年代順に配列されてきました。エジプトの歴史と宗教を扱った,この神官の著わした書には,エジプトの歴代の帝王の治世が30の王朝に分けて記されており,この配列は現代のエジプト学者により今でも用いられています。これらの史料と共に,月の位相やシリウス(ソティス)の昇る時を扱ったエジプト語のテキストに基づく天文学的計算を用いて一つの年代表が作成されました。


このように述べて20年の差を正当化しているように思いますが、皆様どう思われますか?

どこがどのように20年の差を正当化できているのでしょうか?

20年の差を正当化できる確たる証拠が何も書かれてないですよね。

「ヨシヤの死をもたらしたファラオ・ネコの戦いは西暦前629年に起きたようです」って そうしないと「ものみの塔の見解」にとって不都合になるだけという話であって、前後の文脈で何か20年の誤差を証明する根拠が書かれていると普通は期待するでしょうが、実際に読んでみると根拠は一つも書いていないように思います。

海外奉仕さんが どこをどのように読み取ったのか教えていただけると助かります。

海外奉仕
2017年02月28日 23:15:29

みなさん お久しぶりです。

洞察の本には以下のような説明がありました。

エジプト年代学  エジプトの歴史はイスラエルのそれと様々な点で絡み合っています。当出版物の中では,イスラエルがエジプトに入った年代は西暦前1728年で,エジプト脱出の年代はその215年後の西暦前1513年であることが示されています。ファラオ・シシャクがエルサレムを攻撃したのはレハベアムの第5年の西暦前993年でした。エジプトのソ王はホシェアの治世(西暦前758年ごろ‐740年)と同時代の人で,ヨシヤの死をもたらしたファラオ・ネコの戦いは西暦前629年に起きたようです。(王一 14:25; 王二 17:4; 代二 35:20‐24)上記の年代と現代の歴史家が一般に定めている年代との相違は,エジプト脱出については1世紀かそれ以上の開きがあり,ファラオ・ネコの時代になると20年ほどに狭まります。以下の情報は,聖書を根拠にした算定に基づく年代計算に従うほうがよい理由を示しています。
現代の歴史家はおもにエジプト人の王系表や編年誌に頼っています。その中には,エジプト史の最初の5“王朝”とみなされるものを示した断片状のパレルモ石や,極めて断片的な,「古王国」から「新王国」までの歴代の王とその治世の一覧表を記したトリノ・パピルス,そのほか同様に断片的な,石に刻まれた碑文があります。これら別個の一覧表や他の別々の碑文は,西暦前3世紀のエジプト人の神官マネトーの著書に基づいて年代順に配列されてきました。エジプトの歴史と宗教を扱った,この神官の著わした書には,エジプトの歴代の帝王の治世が30の王朝に分けて記されており,この配列は現代のエジプト学者により今でも用いられています。これらの史料と共に,月の位相やシリウス(ソティス)の昇る時を扱ったエジプト語のテキストに基づく天文学的計算を用いて一つの年代表が作成されました。


このように述べて20年の差を正当化しているように思いますが、皆様どう思われますか?

てつてつ
2016年12月16日 20:18:41

カレブさん、ぜひまとめたものを期待しております

いやすでにカレブさんが十分にまとめていると思いますのでぜひ読んでみてください 全部読んで分からなければ多分これ以上カレブさんがまとめても分からないと思います
(ルカ 16:30, 31)すると彼は言いました,『いいえ,そうではありません,父アブラハムよ,だれかが死人の中から行けば,彼らは悔い改めることでしょう』。31しかし[アブラハム]は彼に言いました,『モーセや預言者たちに聴き従わないなら,だれかが死人の中からよみがえっても,やはり説得に応じないであろう』」。

you don`t know
2016年12月16日 20:03:07

みなさま、様々な情報を教えてくださりありがとうございます。

カレブさん、ぜひまとめたものを期待しております。

カレブ
2016年12月16日 13:59:12

しんけんさん てつてつさん
情報ありがとうございます。

you don`t knowさん

100%間違いない点として指摘できるのは
ものみの塔協会が教えている「エルサレムの滅び」はBC607年ではなくBC587年であること。
つまり20年も間違えてエホバの証人は教えられていること。
これは否定できない事実です。

そのうち時間があればQ&Aかとか図にまとめようかと思います。

てつてつ
2016年12月16日 13:39:06

エレミヤの聖句の意味はカレブさんのいうとおり バビロンの世界強国としての期間のことであって捕囚の期間は50年間だと思います ヨセフスがアピオーンの反論の92ページ
ナブーコドノソロス「ネブカドネザル」がその治世の十八年目に、わたしたちの聖所を躁踊したこと、以後五十年間〔聖所はわたしたちに〕欠けていたこと、そしてキュロスの治世の二年目にその基礎がおかれ、ダレイオスの治世の二年目に聖所は再び完成したことが〔ベーローソスによって〕書かれているからである。 とあります

また 洞察の前の聖書理解の助けという本のその記事を書いた当の本人の元統治体の一員であったレイモンド フランズさん自身がエルサレムの滅んだ年が前607年の証拠は一つもなかったが当時の協会の見解に沿った記事を書いたと告白していますのでこれ以上の証拠はないと思います

その他の説明についてはこのサイトの記事 また元長老であったオロフジョンソンさんの異邦人の時再考などが参考になると思います

あと犯罪者には犯罪を行う動機がありますが なぜ協会はこれほどまでに前607年にこだわるのか考える必要があると思います それは前607年から7つの時「2520年」が経過したときに1914年の終わりの時が始まりそれから3年半あとにイエスの検分があり自分たちの組織が神から任命されたということを聖書からのようにみせかけたいという強い動機があると思います
この 607年についてyou don`t knowさんにもしっかり調べてほしいと思いますこれが聖書と違っていて協会はエホバ神に任命されていないということがきちんと理解できない限り協会のマインドコントロールは解けないと思います

一例として アブラハムをはじめ信仰の人たちが天への希望を持っていると聖書に書かれていても
(ヘブライ 11:16) …しかし今,彼らは,さらに勝った[場所],すなわち天に属する[場所]をとらえようとしているのです…
協会は神に任命されていて協会が地的な希望の級だといえば そうだと考えるようになります
協会がエホバ神から任命されていないことが理解できてはじめて 自分で聖書を読んでその言わんとしていることを普通に理解できるようになります you don`t knowさんはアブラハムは天へまたは地的な希望のどちらだと思いますか?

レイモンドフランズさんも、良心の危機の441ページで
人間の作った権力体制によって管理されつくしたものの代わりに、神の言葉そのものを、ありのままに再発見する自由である。聖書を読むとき、ただ文脈に沿って聖書そのものに語らせるのは驚くほどすがすがしいことである
と述べています

しんけん
2016年12月16日 09:11:54

ご免なさい、間違えました。
29章でなくエレミヤ25章でした。

しんけん
2016年12月16日 09:05:53

私はカレブさんの70年が不特定という説に真っ向から反対です。
同じ29章に定めのないときの荒廃が言及されているからです。エホバの証人の説はデタラメで論外ですが、、、

話をもどすと70年と定めのある時-期間と定めのない時は同時に書かれている以上、違うことを意味しています。

そして70年はバビロンにつかえるとあり、定めのない不特定は荒廃、あれ廃れる期間と書いて有ります。
特定と不特定、従属と荒廃。明らかな2つのことを混乱させることからエホバの証人説はなりたっています。
70年はほぼ70年の長い期間を示す説は、エホバの証人デタラメ説の擁護にも成りかねないです。
聖書において、この部分に限っていえば、そのような曖昧さは一切含んでいないと思います。

カレブ
2016年12月15日 23:14:58

えーと どこから始めたら良いのか
たぶんこのスレッドや jwstudy.com のBC607年関連の記事に目を通しておられないかと思います。


第1に

キュロスの第一年は西暦前537年ではなく西暦前539/8年です。

第2に

エレミヤの記述は多くのエホバの証人が考えるもの(思い込まされているもの)とは違います。

以下のようになっています。

(エレミヤ 25:11) そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」』。

この地はとはユダとその周辺民族が含まれます
七十年はバビロンの支配に対して与えられた期間です。
その支配に自ら服するにも強制的に服されるにも幾つかのタイミングがありました。
しかしバビロンの強国としての支配はほぼ70年です。

続いて以下の新世界訳の訳し方には誤りがあります。

(エレミヤ 29:10) 「エホバはこのように言われたからである。『バビロン[のための]七十年が満ちるにつれて,わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して,わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する』。
つまりバビロンに与えられた70年が満ちるときに開放がなされる、という意味になります。
以下の参照してください。
http://www.jwstudy.com/ja/bc607_le_babel/



クリスチャンの中には西暦前609年から西暦前539年の文字通りの期間を当てはめることを好む人もいます。西暦前609年は強国アッシリアがメディアとバビロニアによって倒された頃なので、それに当てはめれば70年ぴったりなのでしっくりくるからです。

わたしは70年という表現そのものが、聖書の中で幾度となく不定の長い期間を表すものとして使われているので、70年ぴったりである必要をユダヤ人たちは感じていなかったと判断しています。

わたしは以下の注解書の見解を好みます。

Pulpit Commentary
「七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」この預言に意味に関しては幅広く異なる意見があります。もっとも考えられる見方は「七十年」は不特定でおおよその年を表すというものです。(イザヤ23:17に示されているように)それは「とても長い期間」に相当します。この見方はエレミヤ27:7で示唆されている点からも支持できます。そこでは捕囚がネブカドネザルの統治と、その息子、そして孫までを含むことが示されています。この宣言は明らかに明確な時を指すものではなく不定の帰還を表現するものです。そして七十年の期間の具体性に言及されることなく再びエレミヤ29:10で「七十年」が出てきます。その節は恐らく11年後に書かれたものです。他の人は七十年は字義通りのものと考えます。それが特に当てはまるのは西暦前606年であるエホヤキムの第四年からバビロンが倒壊した西暦前539年までの67年が経過した期間です。

幾つかの見解にわかれてはいますが
いずれにしても ものみの塔協会の見解はインチキ満載で残念なものです。

どのように協会が間違いをしてきたのか関心がありましたら以下のから幾つか記事にしているので参考にしてください。
http://www.jwstudy.com/ja/

you don`t know
2016年12月15日 21:44:57

基本的な質問かもしれませんが教えてください。

エズラ1:1には、ペルシャのキュロスの第一年にエレミヤの口から出たエホバの言葉が成し遂げられるため
という記述がありますよね。このキュロスの第一年は西暦前537年であり、考古学的にも間違ってないと思います。
エレミヤの記述に関しては70年をやはり意味していると思うので、これを基にすれば、やはりエルサレムの滅びは
西暦前607年になるのではないでしょうか。その点ご説明していただけたら嬉しいです。

カレブ
2016年11月07日 19:14:15

では 新たなスレッドをたてますので
そちらでお願いします。

http://www.jwstudy.com/bbs/viewtopic.php?id=377

akame
2016年11月07日 18:25:20

私的には

進化論が「ある」と言われる方の主張、をまずじっくり検討したいと思います。

私はこれまで何度か言及した通り、進化論の逆としての創造論ではありません。「証明されていない議論中」のものと考え、進化論自体を完全否定はしてません。

それで「無い 」の証明は困難で、先行証明など尚更困難に思います。

他の方たちの立場は分かりませんが、真に公平で自由な議論を、カレブさん宜しくお願いします。

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