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ガリレオくん
2015年05月09日 12:24:24

sk兄弟ありがとうございます、機会を見つけてはゼカリヤ7章の爆弾投下を試みようと思ってます。来て下さった長老も聖句を見るまでは教えてやろう感アリアリでしたが実際見ると目が点 glasses になってましたよ。博学そうに見えても知らないものなんですね。

silentlambs
2015年05月09日 11:34:28
ヨベルの角笛 さんの発言:

「あなた方は戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。(「慌てないようにしなさい」新改訳) これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです。 …荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,・・聖なる場所に立っているのを見かけるなら・・その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。(マタイ 24:15,16)

ヨベル先生、こんにちは。
この有名なマタイ24:16の「山に逃げはじめなさい」の「山」について、私たちはずっと誤魔化されてきました。中学英語程度の知識で大丈夫です。みなさん、英文を読んでみてください。

then let those in Ju·de′a begin fleeing to the mountains. (マタイ24:16)
http://m.wol.jw.org/en/wol/b/r1/lp-e/nw … #dcv_24_16

マタイ24:16は《the mountains》で、定冠詞the+複数普通名詞のmountainsです。結論を言うと、マタイ24:16の「山」は、「エホバの山」ではありません。

例えば、詩篇15:1、詩編24:3、イザヤ2:2, 3、ミカ4:1, 2などの「エホバの山」(the mountain of Jehovah)は「mountain」で単数普通名詞です。

your holy mountain (詩篇15:1)
http://m.wol.jw.org/en/wol/b/r1/lp-e/nwt/E/2013/19/15

the mountain of Jehovah (詩編24:3)
http://m.wol.jw.org/en/wol/b/r1/lp-e/nwt/E/2013/19/24

The mountain of the house of Jehovah
“Come, let us go up to the mountain of Jehovah, (イザヤ2:2, 3)

http://m.wol.jw.org/en/wol/b/r1/lp-e/nwt/E/2013/23/2

The mountain of the house of Jehovah (ミカ4:1,2)
http://m.wol.jw.org/en/wol/b/r1/lp-e/nwt/E/2013/33/4

唯一真の神エホバという表現と同じように、エホバの山は単数形の「The mountain」です。
それならば、大患難のスタートのとき、逃げ込むべき避難所は「the mountain of Jehovah」となります。
ところが、聖書にはそう書かれていません。

日本語訳では、マタイ24:16の「山」はエホバの組織のような錯誤を与えますが、
then let those in Ju·de′a begin fleeing to the mountains.
「the+複数普通名詞」の形で、特定のものの全体(総和)を示しています。


ルカ21:21も、やはり同じように「the mountains」。
http://m.wol.jw.org/en/wol/b/r1/lp-e/nw … 22-188:525

『ものみの塔』2012年4/15号22–26ページ、マタイ24:16の「山」も調べてください。定冠詞the+複数形「mountains」です。

さてさて、マタイ 24:15,16の時、私たちはどうすればよいのでしょうか?
どのような「山に逃げはじめ」ればよいのでしょうか?
この事実を公開すると、1000%背教者認定!


《参照》
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200003125
(洞察,第2巻 1035–1037ページ「山」-引用)
「イザヤ 2章2,3節とミカ 4章1,2節の預言は,「エホバの家の山」が「もろもろの山の頂より上に堅く据えられ」,「もろもろの丘より上に……高められ」て,多くの国の民が流れのようにそこに向かう時のことに言及しています。「エホバの家の山」が山々や丘より高くなるということは,真の崇拝の高められた地位に言及しているようです。―申 12:2; エレ 3:6; エゼ 18:6,11,15; ホセ 4:13。」


イザヤ2:2, 3の「エホバの山-the mountain of Jehovah」と、マタイ24:16の「山- fleeing to the mountains」とは、全く別の意味ということです。
ですから、「『出る』とは具体的にどういう行動が含まれるのか、どんな態度を示すことが『出た』とみなされるのかも理解する」ことを希望します。

それでは、ヨベル先生、exodus (彼女から出なさい) へご案内ください。

ないぞう
2015年05月09日 10:12:12

SKさん、奉仕報告に関する良いエピソードを紹介してくださり、ありがとうございました。

ちょうど私も奉仕報告の件で調整者からメールがあったところです。メールには他の用件も書いてあったので、数字の報告はスルーしてしまいましたが、心のモヤモヤ感があったところです。

非常に力になりました。簡単ですがお礼まで。

sk
2015年05月09日 07:49:34

おはようございます。


ガリレオ兄弟


私たちみんなは、物理的にサタンの世に住んでますが世のものでないですよね。
バビロンの中にいながら偽りに拘束されていない人はたくさんいると思います。

まず、「も塔」の力は兄弟がいわゆる「背教者」と意見を交わすことをとどめることができていません。
なぜでしょうね。兄弟の思いが解放されているからではないですかね。

ひとたびインチキから思いが解放されたら、再びインチキに騙されることはまずないでしょう。
あとは、インチキの中で賢くふるまえばいいですよ。
そうすればマイコンJWを助けられるでしょう。

やがて良い時が来ますよ。



ナアマンの場合は、多分死ぬまでバビロンと付合わされたと思いますが、彼の神はエホバでしたね。

列王第二 5:17-19
17 ついにナアマンは言った,「もし,だめでしたら,どうか,幾らかの土を,一対のらばの荷ほど,この僕に下さいますように。この僕はもはや,エホバのほか,他のどんな神々にも焼燔の捧げ物や犠牲をささげることは致しませんから。18 この事でエホバがこの僕をお許しくださいますように。すなわち,我が主がリモンの家に入って,そこで身をかがめるとき,彼は私の手に寄り掛かり,私もリモンの家で身をかがめなければなりませんが,私がリモンの家で身をかがめるとき,どうか,エホバがこの点でこの僕をお許しくださいますように」。19 そこで[エリシャ]は彼に言った,「安心して行きなさい」。それで,彼は[エリシャ]のところから去って,かなりの距離の地を行った。



わたしの会衆のある家族持ちの兄弟は、奉仕報告を出すのは「憐みのほどこしはひそかになされる」との聖書の原則に合わないということで奉仕報告を出しませんでした。それで「も塔」の特権をはく奪されました。その状態で数年間JWの活動をつづけ、今はご家族のために自然消滅しています。最近のたよりでは、奥さん姉妹が覚醒し始めているそうです。

会衆と問題を起こさないやり方はいろいろありますからね。
奉仕報告が聖書的な取り決めでないと思うなら、出さないというのも一つの選択ですが、いつも10hで報告するのも別の選択ですね。
そこら辺りは、各自でうまくやってください。

ガリレオくん
2015年05月09日 02:04:17

こんばんはsk兄弟、ご意見ありがとうございます。私事になりますが残念ながら身内の理解を得ることは今のところ難しく、「あなたにはサタンが付いているのではないか」とまで言われています。このような状態で事を荒立てると何かに理由をつけて一家離散になることが目に見えています。今突っ込むのは愚行だと思います。これまで何度かカミングアウトしたい強い衝動に駆られましたが、私の心の中で「ちょっと待て」と最後には言います。今までずっと背伸びしたような生活を送ってきましたが、それをしなくてもよい普通の自分でいられる場所が私の家庭です。失いたくはありません。そのような私は聖書的には「王国に十分な者」ではないと思いますが、救いを夢見ることも難しいでしょうか。昔の職場で事情で家庭を失った同僚が「人生捨てると楽だよ」と教えてくれました、でもその方の表情は幸せそうには見えませんでした。力の及ぶ限り、もうちょっともがいてみます。

sk
2015年05月08日 19:09:14

こんばんは、



へぇ~、いろんな意見があるもんですね。


大いなるバビロンは、主に国家と仲良しのキリスト教世界の教会組織でしょう。
その中に「も塔」も入っています。

単に予言がなされている順番にこだわって、そこから出るのをキリスト帰還直前まで据え置くことは、ある意味で愚かな適用でしょう。


啓示の書は、野獣崇拝のあとに、み使いの「神を崇拝せよ。」の宣言を記しています。
では、野獣崇拝がはじまる前はにそうすることはあり得ないのでしょうか。
本気でそういうなら、天才バカボンです。

啓示 14:6-7
6 また,わたしは別のみ使いが中天を飛んでいるのを見た。彼は,地に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれとして宣明する永遠の良いたよりを携えており,7 大声でこう言った。「神を恐れ,[神]に栄光を帰せよ。[神]による裁きの時が到来したからである。それゆえ,天と地と海と水のわき出るところとを造られた方を崇拝せよ」。

昔から、王国の子たちは、み使いの宣言と調和して神の崇拝を促進してきました。



大いなるバビロンを出るとは物理的な移動ではありません。
それは、あらゆる宗教組織の偽りの束縛から出ることであり、バビロンが滅ぼされる直前まで待たなければならないものではありません。


真の崇拝は既に聖書を通して確立されており、イエスの羊はイエスの声を知っておりその声に従います。
そうであれば、いつまでもバビロンの偽りの奴隷のままでいるはずはありません。

キリストは、わたしのことばのうちに留まるものは真理を知り、真理は人を自由にすると教えています。
そうであれば王国の子たちがバビロンの偽りにつながれたままであるはずがありません。

角笛さんの推論は聖書から立証できません。


ヨハネ 8:31-32
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。


啓示 18:4
4 また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい


昔から、真理を愛する人たちは、み使いの宣言と調和して偽りの宗教や偽りの教えを捨ててきました。



王国の子たちの会衆は神の神殿また真理の柱と言われています。
神の神殿、および真理の柱がバビロンの中にあるはずがありません。

コリント 3:16
16 あなた方は,自分たちが神の神殿であり,神の霊が自分たちの中に宿っていることを知らないのですか。17 もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら,神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその[神殿]なのです

テモテ第一 3:15
15 . . . それは生ける神の会衆であり,真理の柱また支えなのです。


真理を愛する多くの人はバビロンに捕らわれていますが、やがて真理への従順とキリストの声に従って偽りを排除しバビロンを出ます。それはインチキ宗教組織の拘束から出ることを意味します。インチキ宗教組織の権威は力を失い、そのインチキ崇拝の様式に拘束されない生き方を始めることを意味します。それは神とキリストに従う生き方です。


宗教組織に「皆さんは聖書的でないので、さようなら。」と言えばいいだけですよ。

それが、今出来ないとか、そうする必要はないとか言う人な何を根拠にそのような主張をするのだろうか。


真理を愛するものがバビロンの偽りにいつまでも拘束され続けることはあり得ません。


西暦1世紀に王国の子たちはバビロンの中にいませんでした。
でも、悪魔は直ちに背教を醸成し、キリストの使徒たちの死後キリスト教世界を造り信仰心のある人々を拘束しました。それが今日まで続いています。

しかし、キリスト教世界の外に王国の子たちは皆無であったとは言えないでしょう。
キリスト教史を調べれば、各地に国家宗教とは異なるクリスチャンのグループが存在していることが分かるでしょう。

小麦(本物)は、雑草(組織宗教)の中だけではなく、その外にもやはり存在しています。


ところで、この角笛さんはどんな立場なのかなぁ~
現役JWかなぁ~、教会信者かなぁ~、それともわたしと同じでクリスチャンかなぁ~。



クリスチャン(王国の子たち)は偽りの中にい続けることは出来ません。

エフェソス 5:10-11
10 何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめなさい。11 そして,実を結ばない闇の業に[彼らと]共に組するのをやめ,むしろ[それを]戒めることさえしなさい。

コリント第二 6:14-18
14 不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。15 さらに,キリストとベリアルの間にどんな調和があるでしょうか。また,忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか。16 そして,神の神殿と偶像にどんな一致があるでしょうか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神が言われたとおりです。「わたしは彼らの中に住み,[彼らの]中を歩くであろう。そしてわたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる」。17 「『それゆえ,彼らの中から出て,離れよ』と,エホバは言われる。『そして汚れた物に触れるのをやめよ』」。「『そうすればわたしはあなた方を迎えよう』」。18 「『そしてわたしはあなた方の父となり,あなた方はわたしの息子また娘となる』と,全能者エホバは言われる」。

ガリレオくん
2015年05月08日 17:02:27

ヨベルの角笛さんこんにちは。あとご挨拶が遅れました、初めましてm(_ _)m

ある人は、バビロンには留まるつもりなど毛頭無いと強く意識し、ある教団、宗教団体から脱退したから、自分はもはやバビロンの中にはいない。と思うかも知れませんが、「彼女から出なさい」と促される時、本当に神とキリストに従った生き方をしているクリスチャン(私の民)は、現にバビロンの中にいるのです。

これも然り、私にとって斬新な見方ですね、ありがとうございます。

ヨベルの角笛
2015年05月08日 15:06:30
ガリレオくん さんの発言:

私は現時点では静観の立場を取りたいと思っています。理由は1つです、大切な家族を守りたいからです。バラバラになることを神も望んではおられないと思います。でも「静観」はいつでも行動を起こせるように、無頓着にならないようにする姿勢を願っているものでして、こうして必死で情報をかき集めています。後悔のない決定をするためのいろんな考えを必要としています。

ガリレオくん さんが今、そう感じておられるなら、それが良いと思います。
人それぞれ、事情や環境、思いや感情は違います。他の人の良心を裁くことのないよう聖書は薦めています。
そのように舵を切り始め、改めて航路を見定める上で、神の導きがあるよう祈ります。

ちょっと話しは、ずれますが、一世紀当時のクリスチャンは、戦争の話しを聞いた時に逃げ始めたら、恐らく、山での生活は長くなりすぎ、より困難を極めたかも知れません。

体力の乏しい人は力尽きてしまったかもしれません。ですからイエスは、「慌てないように」と敢えて忠告されています。家族の中の小さな者まで共に安全に逃れる最善のタイミングを見計らう必要があったでしょう。
グッドタイミングは、荒廃をもたらす者が出現した時、でした。この時は逆にぐずぐずすべき時ではありませんでした。
イエスは、最も相応しい行動を開始すべきタイミングをあらかじめ示しておられました。

「あなた方は戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。(「慌てないようにしなさい」新改訳) これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです。 …荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,・・聖なる場所に立っているのを見かけるなら・・その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。(マタイ 24:15,16)

ある人は、バビロンには留まるつもりなど毛頭無いと強く意識し、ある教団、宗教団体から脱退したから、自分はもはやバビロンの中にはいない。と思うかも知れませんが、「彼女から出なさい」と促される時、本当に神とキリストに従った生き方をしているクリスチャン(私の民)は、現にバビロンの中にいるのです。

しかし実際のところ、「彼女から出なさい」といきなり言われても、それだけでは何の事か、結局どうすれば良いのか分かる人はほとんどいないでしょう。
当然、その時点で明確に識別判断できる情報が知らされているはずです。そして、「出る」とは具体的にどういう行動が含まれるのか、どんな態度を示すことが「出た」とみなされるのかも理解するように助けられるはずです。

(大いなるバビロンは滅ぼされる少し前に「バビロンは倒れた」と宣言されます。そのことこそが、その正体が白日の下にさらされ、真の信仰を抱く人々に啓発が与えられる時だろうと思います)

恐らくその最終局面で、単に「脱退届を出す」とか「断絶を表明する」とかいうような事ではないように思えます。

もっとも、当然そのような人は、自分の良心や、識別力のゆえに、義人ロトのように、自分の周りの状況に、大いなる苦痛や憤りを感じているはずです。しかし、だからといって、やはり何らかの「出る」という行動がその時に求められると言う事です。
ですから、大いなるバビロンの中にいるという状況は、何らかの団体に属しているとかいないとかという問題ではなく、恐らく、全ての人は、聖書の正しいとらえ方や、教理、解釈についての論争などに関してバビロン的な影響の囚われから完全に解放されてはいない。という現実があると言うことでしょう。

「…無法な人々の放縦でみだらな行ないに大いに苦しんでいた義人ロトを救い出された[のであれば]― 8 この義人は日々彼らの間に住んで見聞きする事柄により,その不法な行ないのゆえに,自分の義なる魂に堪えがたい苦痛を味わっていたのですが― 9 当然エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか,一方,不義の人々,10 わけても,肉を汚そうとの欲望を抱いてそれに従い,主たる者の地位を見下す者を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです。」…(ペテロ第二 2:7‐10)

神から「出なさい」と言われたときに、「何言ってるんですか。私はもうとっくに出てますよ」という感じではなく、素直に、直ちに出られるように備えをしておく、そして、「出る」と言う事の明確な理解を得られるように日々目覚めていることが大切だと思います。

ささらほーさら
2015年05月08日 14:33:16

ヨベルの角笛さん、こんにちは。はじめまして。

ヨベルの角笛 さんの発言:

無責任に聞こえるかも知れませんが、「脱塔、残留」について、余り深く考える必要はないと思います。
今後の気持ちや成り行きに任せるのが良いでしょう・・・

私は、むしろ個々の人々がその問題を軽視することがなければ良いが....と思っております。

sk兄弟は、聖句からそれが重要な問題を孕んでいることを説いておられます。
私は、今は未だJWの立場で協会に接しておりますので、その実態の面からお話しいたします。


現在、統治体は、JWBroadcastingや「音楽」を使うことによって(安価ということもありますが)
予想以上に「人の心を『虜』にできる」ことに目を付けたと感じています。

それ以前から、書籍や雑誌、パンフレットでは「挿絵」の占める割合を多くとるようになりました。
かなり有名なJW画家の絵画も(もちろん無料奉仕で)使っています。

そして、試験的に動画を用い、本格的にTV伝道師としてデビューしたわけです。

さて、集会ではどうでしょう。
先々週と先週の奉仕会では、いずれもスライド上映によってプログラムが扱われました。
先々週は「地区大会」のプログラムで、先週は「あまり奉仕されていない区域」で奉仕することを勧めるプログラムででした。
用いられるのは、アニメだったり実写だったりしますが、
決まって、背景には思いを高揚させる「音楽」と「ナレーション」が流れます。

おそらく、統治体は今後こういった動画を多用することになるでしょう。
既に、今年の地区大会で流される「音楽」には「映像」も伴う、と発表されています。

協会自身、以前から「音楽や映像の力」をいくつもの記事で認めていました。

(1999年10月8日号(目ざめよ!)P3,4からの抜粋)
「確かに,音楽は人の知能と心理に作用し,良くも悪くも,それらを操作するのに用いられます。
例えば,幼児にある種類の音楽を絶えず聞かせると,知能や感情面の発達を促すことができると考えられています。
吃音者でも,しゃべることのできない文句を歌える場合があります。」


また、私たちは目で「見る」ことが人の心に多大な影響を及ぼすことを
・エバが禁じられた実を見続けたために罪に至った。
・ダビデがバテ・シバを見続けたために姦淫に至った。
・イエスは「女を見続けて情欲をいだく」ことの危険について語った。
などの話を通して、耳にタコができる程学んできたのではありませんか。


以上の事は何を意味するでしょうか?

それらは、今まで以上に「人心に訴え」「感動を与え」
そして、自らが「考え」「自問自答し」「判断する」という機会を奪うことになるということです。


JWたちは、益々「何が聖書の教えで何がサタンの罠」なのか「何が真理で何がインチキ」なのかを判断する能力を奪われています?

そうであれば、仮に「彼女から出なさい」いう声がこれから先の出来事だとしても
その時、その推論不可能にされた「マイコン脳」で、どうやって判断するのでしょうか?


今でさえ、わたしの友人などは(覚醒している)
わたしが「変だ」と思う教理について矢継ぎ早に話すと
「脳が飽和状態で混乱する」と言います。


統治体は聖書的な取り決めではない....
教えられている教理は聖書的ではない....
この方法は少しおかしい....
そういった疑念を抱いたのであれば
長くそこに留まっていることは「危険」です。
マインドコントロールとは、無意識のうちに施されていくものだからです。



ないぞうさんが言われるように「良心」の問題もあります。
ガリレオくんさんが言われるように「ご家族」への愛故に時を待つこともあるかも知れません。
わたし自身、手順と時を決めて準備しています。

いずれにしても、サタンをバックにつけている「あらゆる組織」を甘くみるべきではないでしょう。
神とイエスのご意志を大切にしたいのであれば、
なおさら、
祈りと共に、
自分がどう行動するべきか真剣に考慮・行動すべきだとわたしは思います。

ないぞう
2015年05月08日 09:53:25

ヨベルさん、こんにちは。ホームページも時々拝見させていただいています。

実際にそこから出た者としては、やはり脱塔して良かったと思いますし、皆さんにも「早くそこから出る」事をお勧めします。

聖書的な根拠はもちろん一番大切ですが、その次の課題として、そこに留まり続ける事は自分の良心との戦いをずっと強いられる事になります。

わたしは壇上からインチキ年代計算を唱え続けることや排斥という人権を無視した取り決めに耐えられませんでした。人格的に問題のある人間が「霊にみちびかれた」と言ってやりたい放題なのも、小児性愛者をかくまいつつ寄付を懇願する組織にも嫌気がさしています。

正直、わたしは組織の中でとても居心地良かったですし、単なる高尚なサークルとしては申し分なかったと思います。かつての兄弟姉妹と呼び合った仲間達は未だに優しく接してくれています。「早く帰って来てね」とメールをもらったりもします。

しかし多くの事を知ってしまった今、そこに留まり続けるというのは、良心的に無理でした。ですから同じように「良心の危機」感じている方々には環境が許す限り、これからも「そこから出る」事をを勧めたいと思います。

ガリレオくん
2015年05月08日 08:48:49

皆様ご意見ありがとうございます。脱塔の件については「タイミング」「バビロンがその人を排斥するか、自らがバビロンを暴露糾弾して出る」辺りがキーワードになりそうですね。私は現時点では静観の立場を取りたいと思っています。理由は1つです、大切な家族を守りたいからです。バラバラになることを神も望んではおられないと思います。でも「静観」はいつでも行動を起こせるように、無頓着にならないようにする姿勢を願っているものでして、こうして必死で情報をかき集めています。後悔のない決定をするためのいろんな考えを必要としています。これからもバシバシ big_smile ご意見お願い致します。

sk
2015年05月08日 07:33:05

おはようございます。




角笛 さんの発言:

というわけで、未だ神は「彼女から出なさい」という声を出しておられないと言うことは、まだそれを容認しておられると言う事です。ですから、少なくとも神の側の見地から言えば、焦って自分の身の置き所をあれこれ模索する事には意味が無く、むしろ大切なのは、本当に神の望まれる生き方、そのご意志は何なのかを模索するという事に尽きるでしょう。


もし本当に神とキリストに従った生き方をすれば、バビロンには留まれないでしょう。
バビロンがその人を排斥するか、自らがバビロンを暴露糾弾して出るでしょう。

個々の人は自分でどうするべきか決めることになります。
王国の子たちには、すでに明らかにされている神のことばに従いバビロンを出るでしょう。


啓示 1:3
3 この預言の言葉を朗読する者,またそれを聞き,その中に書かれている事柄を守り行なう者たちは幸いである。定められた時が近いからである。



では、何から何まで指示されるJWたちについて書きます。


エホバの証人と聖書を勉強すると、聖書の基本的な真理とともに、「も塔」の解釈と指示も同時に受けることになります。
後者の「も塔」の解釈と指示は不要なものですが、やがてそれが主要なものとなります。

「も塔」の取り決めた集会、大会へ行くと、「も塔」の取り決めた秩序を体験することになります。それはきっと印象的で心地よいものだと思います。やがてエホバの証人の集会に定期的に出席するようになると、そのうち全てが「も協会」からの指示で営まれていることに気づくと思います。公開講演の筋書き、集会の仕方、ものみの塔研究は「も協会」が準備したもので、その他JWの生活のすべては、「も塔」の指示による方向付けを受けていることが分かるようになると思います。


書籍研究やものみの塔研究の資料は「も協会」が準備し「も塔」の意向に合わせて聖句が用いられ説明されています。信者は「も塔」の意向に沿った注解を求められ、それがおかしいと思える場合でも表明されている協会の見解に異議をさしはさむことは歓迎されません。

「も塔」への信仰の根拠は、

1 ものみの塔聖書冊子協会は地上における神の唯一の組織からスタートします。
2 「も協会」をとおしてでなけば聖書の正しい理解は得られない。
3 「も協会」の指示に従うことは、神とキリストに従うこと。

です。

また、現時点で神は不完全な人間を用いているので、「も塔」は完全ではないが神が用いている器であると、JWたちは言います。



「も塔」は、人々の心の中に上記の確信を築くために聖書研究の資料を準備し、集会や大会の取決めを作り、長老などの「も塔」信奉者を用いて人々が「も塔」を信じてその指示に従って生きるように指導します。


上記の3つの「も塔」信仰の根拠は、いずれも聖書の裏付を欠く「も塔」の主張に過ぎません。
聖書はむしろ「も協会」の主張の偽りを暴露しています。



まず1番目の主張である「神の唯一の地上の組織」について。

これまで、カトリック教会から始まり、キリスト教世界のさまざまな宗派の組織は同様な主張をしていますが、聖書は、律法契約の終了とともに神は地上の組織を廃止され、それ以来そのような取決めは存在しないことを教えています。全てのクリスチャンはキリストの王国の取決めの下に置かれ、そのキリストの王国はこの世のものではありません。キリストを信じるものたちは地上の組織に属するものではなく天に属するものです。そして天に属する王国の子たちは地上の特定の宗教組織の中にいるのではなく、雑草の中にいます。

それで、地上の組織を「天を代表するもの」と言う人々は、単にそのように言っているだけで聖書から自らの主張を立証できません。

ヨハネ 4:21-24
21 イエスは彼女に言われた,「女よ,わたし[の言うこと]を信じなさい。あなた方が,この山でも,エルサレムでもないところで父を崇拝する時が来ようとしています。22 あなた方は自分の知らないものを崇拝しています。わたしたちは自分の知っているものを崇拝しています。救いはユダヤ人から起こるからです。23 とはいえ,真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。24 神は霊であられるので,[神]を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」。


マタイ 21:18-19
18 朝早く市に戻って行く途中,[イエス]は飢えを覚えられた。19 そして,道路のそばにある一本のいちじくの木を見つけて,そのもとに行かれたが,それにはただ葉のほかには何も見あたらなかった。それで,「もうお前からは永久に実が出ないように」と言われた。すると,そのいちじくの木はたちどころに枯れてしまった。

地的な取決めでは神が望む実を生み出すことは不可能なので、地的な取決めはユダヤ教とともに廃止されました。

マタイ 23:38
38 見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています。

キリスト教は地上に組織を持ちません。
クリスチャン会衆は、天に属しており西暦1世紀から今日までクリスチャンはキリストの帰還を待って活動しています。またキリストの天からの帰還は、「も塔」が教えるように目に見えないものではなく、全ての国民が見ることになります。そのときはサタンの体制が終わるときであり、天に属する王国の子たちが天の報いを受けるときとなります。「も塔」の教える1914年からのキリストの見えない臨在は聖書から立証できないインチキです。


ヨハネ 14:1-3
1 「あなた方の心を騒がせてはなりません。神に信仰を働かせ,またわたしにも信仰を働かせなさい。2 わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったなら,わたしはあなた方に告げたことでしょう。わたしはあなた方のために場所を準備しに行こうとしているのですから。3 そしてまた,わたしが行ってあなた方のために場所を準備したなら,わたしは再び来て,あなた方をわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなた方もまたいるためです。

啓示 1:7
7 見よ,彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであろう。彼を刺し通した者たちも[見る]。また,地のすべての部族は彼のゆえに悲嘆して身を打ちたたくであろう。しかり,アーメン。

マタイ 24:29-31
29 「それらの日の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月はその光を放たず,星は天から落ち,天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう。30 またその時,人の子のしるしが天に現われます。そしてその時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう。31 そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風から,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう。

啓示 11:18
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。




小麦(王国の子たち)は、収穫のときまで世界の畑で雑草(邪悪なものの子たち)と一緒に成長します。
ですからキリスト教において「神の唯一の地上の組織」は聖書的に存在しません。


マタイ 13:24-30, 37-43
24 [イエス]は彼らに別の例えを示してこう言われた。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになりました。25 人々が眠っている間に,その人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました。26 葉が生え出て実を生み出すと,その際に雑草も現われました。27 それで,その家あるじの奴隷たちがやって来て言いました,『ご主人様,畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか。それなのに,どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか』。28 彼は言いました,『敵である人がそれをしたのだ』。彼らは言いました,『では,わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか』。29 彼は言いました,『いや。雑草を集めるさい,小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。30 収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら,わたしは刈り取る者たちに,まず雑草を集め,焼いてしまうためにそれを縛って束にし,それから,小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい,と言おう』」。
37 [イエス]は応じて言われた,「りっぱな種をまく者は人の子です。38 畑は世界です。りっぱな種,それは王国の子たちです。それに対し,雑草は邪悪な者の子たちであり,39 それをまいた敵は悪魔です。収穫は事物の体制の終結であり,刈り取る者はみ使いたちです。40 それゆえ,雑草が集められて火で焼かれるのと同じように,事物の体制の終結のときにもそのようになります。41 人の子は自分の使いたちを遣わし,彼らは,すべてつまずきのもとになるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し,42 それを火の燃える炉の中に投げ込みます。そこで[彼らは]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。43 その時,義人たちはその父の王国で太陽のように明るく輝くのです。耳のある人は聴きなさい。




次に「も塔」をとおしてでなければ聖書の真理を正確に理解できないの主張について。

これも、聖書を用いて他の人をコントロールしたい者がよく用いるインチキです。

イエスは、わたしの羊はわたしの声を知っていると言っています。
つまり、キリストに従う上で誰の指図も必要ではなく信仰のある王国の子たちはキリストの声に自発的に従います。

さらに、イエスは助けてとして真理を霊を遣わすと約束されています。それは特定の弟子たちだけに対する約束ではありません。神の霊は教え手として全ての王国の子たちを教え導きます。

ですから、「も塔」のように聖書の正確な理解は自分たちをとおしてのみ得られると言うものたちは、教え手また指導者としてのキリストと神の霊の役割をあつかましくも奪っていることになります。



キリストの声

ヨハネ 10:14, 16, 27
14 わたしはりっぱな羊飼いであり,自分の羊を知り,わたしの羊もわたしを知っています
16 「また,わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとなります
27 わたしの羊はわたしの声を聴き,わたしは彼らを知っており,彼らはわたしに付いて来ます

ヨハネ 18:37
37 それでピラトは彼に言った,「それでは,あなたは王なのだな」。イエスは答えられた,「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」。



真理の霊

ヨハネ 14:15-18
15 「もしわたしを愛するなら,あなた方はわたしのおきてを守り行なうでしょう。16 そしてわたしは父にお願いし,[父]は別の助け手を与えて,それがあなた方のもとに永久にあるようにしてくださいます。17 それは真理の霊であり,世はそれを受けることができません。それを見ず,また知らないからです。あなた方はそれを知っています。それはあなた方のもとにとどまり,あなた方のうちにあるからです。18 わたしはあなた方を取り残されたままにはしておきません。わたしはあなた方のもとに来るのです。

ヨハネ 16:13
13 しかし,その者,すなわち真理の霊が到来するとき,あなた方を真理の全体へと案内するでしょう。彼は自分の衝動で話すのではなく,すべて自分が聞く事柄を話し,来たらんとする事柄をあなた方に告げ知らせるからです。


ヨハネ第一 2:27
27 そして,あなた方についていえば,彼から受けた油そそぎがあなた方のうちにとどまっており,だれかに教えてもらう必要はありません。むしろ,彼からの油そそぎがすべてのことについてあなた方を教えており,またそれが真実であって偽りでないように,そしてそれがあなた方に教えたとおりに,引き続き彼と結ばれていなさい。



いつの時代も王国の子たちは、キリストの声を知り真理の霊により教え導かれました。「も協会」のようなキリストの地上における代理人や代理機関は不要でした。ですから「わたしたちをとおしてでなければ、聖書の正確な理解は得られないと」と言うものは聖書を用いる詐欺師です。


不一致は、キリストの声に従わない人たちのものであり、キリストのことばと神の霊によって教えられた人たちの間に不一致や分裂はありません。西暦1世紀からキリストの帰還まで、どの時代の王国の子たちも同じ信仰と希望で結ばれており、地上に目に見える組織や代表者を持たず、キリストがそうであったように世のものではなく信仰によって歩みキリストの帰還を待っています。


聖書が一部の人しか理解できない書物であれば、すべての人に対する神からの手紙とは言えないでしょう。

信仰は神のことばと理解を助ける神の霊から得られるものであり、その経路となる人を聖書は重視していません。ですから、わたしをとおしてでなければ聖書の正しい理解は得られないと言う者は自らを他の全てのものの上に高めていることになります。それは不法の人の特徴といえます。


地上に統治機関を持たないクリスチャンたちを結ぶ手段は聖書そのものであり、霊感を受けた神のことばを読みキリストのことばによって生きる人たちは信仰の一致にいたります。イエスの羊はみなキリストの声を知っておりキリストの教えに従うのでひとつの群れになるといわれているとおりです。キリストの羊たちは、キリストの声を聞き分けることにおいて人に依存していません。




最後に、「も塔」に従うことは、神とキリストに従うことについて。

地上のいずれの宗教組織も神の器でないなら、「も塔」を含め不完全な人間がつくる宗教組織は神のものではありません。それら全てはこの世の神であるサタンのものです。

聖書の啓示の書のは、世の全ての宗教組織のことを緋色の獣の上に乗る「大いなるバビロン」と呼ばれる娼婦にたとえています。啓示の書が描いているように「も塔」も他の宗教組織と同様、この世の政治組織からの恩典を受けて宗教活動を世界中で展開しています。ですから、「も塔」もやはり人を欺く「大いなるバビロン」の支店のひとつと言えます。


では、神とキリストに従うことは宗教組織に従うことでない点を考えて見ましょう。

宗教組織の教えや指示が誤っているなら、あくまでも真理に従うことは神とキリストに従うことを意味します。現時点で過ちを犯さない不謬の宗教組織はありません。「も塔」も例外ではありません。

では、『「も塔」が間違っている場合、それでも神は「も塔」を用いているので「も塔」の指示に黙って従えば、神とキリストに従っていることになる。』と言えますか。

そのような見方は、神とキリストが偽りや誤りで人々を導いていると言っていることと変わりません。

「も塔」の過ちの故に多くの信者に実害が及ぶなら、その望ましくない結果をすべて神とキリストのせいにするつもりですか。

悪や偽りに従うことは、神とキリストに従うことではありません。
ですから、不完全な人や宗教組織に従うことは神とキリストに従うことではありません。


人間の不完全さを大目に見て許すことは、その不完全さから来る偽りを容認することでも、それに盲従することでもありません。偽りや誤りは正すべきものです。神とキリストに従う人は真理と真実のために声を上げるでしょう。

イエスや使徒たちは、神の組織であったユダヤ教の偽りを暴露し糾弾しました。
パウロは、ペテロの不完全さを許したとはいえ、彼の偽りに加担せず、ペテロを糾弾しました。
聖書は、偽りを容認するようなことを勧めていません。
むしろ、だれであれ、人を害し神を誤り伝える悪や偽りは糾弾されるべきであり、王国の子たちがそうするのは、宗教組織に従うからではなく神とキリストに従うからです。

不完全な、あるいはインチキ宗教組織に盲従することは、神とキリストに従うことではありません。

神とキリストに従う王国の子たちは、捕らわれ人の益のために神が用いていない宗教組織のインチキを聖書から強力に暴露します。



ユダヤ人の宗教指導者に対するイエスの糾弾
これは、「も塔」の宗教指導にもそっくり当てはまります。

マタイ 23:1, 13-15, 23-28
1 それからイエスは群衆と弟子たちに話して,こう言われた。2 「書士とパリサイ人たちはモーセの座に座っています。3 それゆえ,彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい。しかし,その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです。

イエスは宗教指導者に盲従することを勧めていません。
宗教指導者の告げることが、聖書の真理であれば、その真理に従うことは神とキリストに従うことです。
同時に、イエスは歪(いびつ)な宗教指導者に盲従する必要がないことも教えています。
邪悪さは容認されるべきものではなく、暴き糾弾されるべきものです。


4 重い荷をくくって人の肩に載せますが,自分ではそれを指で動かそうともしません。5 すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです。彼らは,お守りとして身に着ける[聖句]入れの幅を広げ,[衣の]房べりを大きくしているからです。6 また彼らは晩さんにおいては最も目立つ場所を,そして会堂では正面の座席を好み,7 また市の立つ広場でのあいさつや,人にラビと呼ばれることを[好み]ます。8 しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。9 また,地上のだれをも父と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。10 また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです。11 あなた方の間で一番偉い者は,あなた方の奉仕者でなければなりません。12 だれでも自分を高める者は低くされ,だれでも自分を低くする者は高められるのです。

13 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は人の前で天の王国を閉ざすからです。あなた方自身が入らず,また入る途中の者が入ることをも許さないのです。14 ――
15 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は一人の改宗者を作るために海と陸を行き巡り,それができると,これを,自分に倍してゲヘナに行くべき者とするからです。
23 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は,はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら,律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです。これらこそ行なうべきことだったのです。もっとも,それら他方の事柄も無視すべきではありません。24 盲目の案内人,ぶよは濾し取りながら,らくだを呑み込む者たちよ!
25 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は杯と皿の外側は清めますが,その内側は強奪と節度のなさとに満ちているからです。26 盲目のパリサイ人よ,杯と皿の内側をまず清め,それによって外側も清くなるようにしなさい。
27 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。28 そのように,あなた方もまた,確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいです。


ヨハネ 7:7
7 世があなた方を憎む理由はありません。しかし,わたしのことは憎みます。わたしが[世]に関し,その業が邪悪であることを証しするからです。



パウロは割礼の問題で、他の人の偽りに迎合しませんでした。
個々のクリスチャンも同じように宗教組織の偽りに迎合する必要はありません。

ガラテア 2:11-14, 5-6
11 しかし,ケファがアンティオキアに来た時,わたしは面と向かって彼に抵抗しました。彼には責めるべきところがあったからです。12 ヤコブのもとからある人たちが来るまでは,諸国民の者たちと一緒に食事をしていたのに,彼らが来ると,割礼組の者たちへの恐れのために,身を引いて離れて行ったからです。13 残りのユダヤ人たちも彼と共にこの虚偽に加わり,その結果,バルナバさえも彼らと共にその虚偽に引かれて行きました。14 しかし,彼らが良いたよりの真理にしたがってまっすぐに歩んでいないのを見た時,わたしはみんなの前でケファにこう言いました。「あなたは,自分ではユダヤ人でありながら諸国民のように生活し,ユダヤ人がするようにはしていないのに,どうして諸国民の者たちに,ユダヤ人の習わしにしたがって生活することを強いているのですか」。


5 そのような人たちに対してわたしたちは屈服して譲歩したりはしませんでした。そうです,一時といえどもです。それは,良いたよりの真理が引き続きあなた方のもとにとどまるようにするためでした。
6 しかし,相当な人と思えた人たちとしては―それが以前どのような人たちであったかは,わたしにとって少しも相違を来たしません―神は人の外見にしたがって事を行なったりはされません . . .



神とキリストに従う人は、人や組織に盲従しません。


使徒 4:19
19 しかし,それに答えてペテロとヨハネは彼らに言った,「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。





神のことばから得られる疑う余地のない結論は、

神は地上の組織を用いていないこと、
イエスの羊はキリストの声を識別しキリストの従うこと、
真理の霊が王国の子たちを教えること、
また、神とキリストに従うことは、いつでも聖書の真理に従うことであり、宗教組織に盲従することではないこと、

です。

「も塔」は他のキリスト教会と同じく神とキリストの名を用いる人間の企てです。
神の権威を振りかざしているので最悪の詐欺師であるといえます。
神から裁かれるでしょう。



啓示 18:4-5
4 また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。5 彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の[数々の]不正な行為を思い出されたのである。

ヨベルの角笛
2015年05月08日 01:01:45

ガリレオさん こんばんわ

無責任に聞こえるかも知れませんが、「脱塔、残留」について、余り深く考える必要はないと思います。
今後の気持ちや成り行きに任せるのが良いでしょう・・・
と私が述べる理由、聖書的根拠を記したいと思います。

先ず、聖書的に言って「真のクリスチャンからなる会衆/教会」などと言うものは、一世紀の使徒たちの死後、存在しないということを理解する必要があります。
「小麦と雑草」の例えを今一度注意深く読まれたら、はっきり分かると思いますが、使徒たちの後、背教が始まりました。それは小麦と雑草の入り交じった状態がその後ずっと続くと言う事です。

そしてそれは、収穫の時まで続きます。「収穫」とは真のクリスチャンが天に招かれる事です。つまり、使徒以降、真のクリスチャンからなる会衆(他と異なる神に選ばれたグループ、神の地上の組織)などというものが存在するという認識は非聖書的です。

啓示18:4の「彼女から出なさい」という声が上がるのはいつですか?
これは預言です。そしてそれが成就するタイミングあります。
未だ、その声は上がっていません。それは、大患難の後であり、白い馬に乗ったキリストが、野獣と偽預言者に裁きを下す直前の時です。

天からあがる「彼女から出なさい」という声がまだ出ていないと言う事は、全てのクリスチャン(を自認する人)は全員残らず100%今「大いなるバビロン」の中にいる。と言う事です。これが聖書的な現状です。何らの区別は付けられていません。
今現在、「わたしの民」は地上のどのグループに属していたとしても、その声が上がるときにはそこから出なければなりません。

ものみの塔が100年も前から、「彼女から出なさい」という声を上げているのは預言の先取りであり、先走りです。その声は「み使い」からあがると聖書は述べています。

というわけで、未だ神は「彼女から出なさい」という声を出しておられないと言うことは、まだそれを容認しておられると言う事です。ですから、少なくとも神の側の見地から言えば、焦って自分の身の置き所をあれこれ模索する事には意味が無く、むしろ大切なのは、本当に神の望まれる生き方、そのご意志は何なのかを模索するという事に尽きるでしょう。

ガリレオくん
2015年04月29日 15:25:37

サンマルコさんお気遣いありがとうございます。真理への探究は現時点ではSKさんのスレを読んでいてスケールの大きさを感じました。井の中の蛙、大海を知らずですね、ただただ圧倒されています。環境を荒立てず進むにはかなり時間を必要とし、それはそれでやっていこうと思います。論題別の項目があると頭を整理しながら読みすすめることができますので助かります。

サンマルコ
2015年04月28日 17:56:16

ガリレオさん

初めまして。
私は友人が20年前にものみの塔に入信し、1世の本人と1世の友人の母親との関わり合いを持ちつつ、聖書を根拠としたみことばを伝えているプロテスタント系の教会に集うクリスチャンです。
私は友人から贈られた新世界訳聖書から真理を知り、ものみの塔に囚われている親族・友人を助けようと、日々活動をしているクリスチャンご夫婦に最終的に洗礼まで導かれた者です。
私が友人の脱会活動を始めた10年前からも多くの牧師やクリスチャンたちが活動をしています。
こちらのサイトで疑問に思われているそれぞれの問題について私たち側も勉強会や、すでに脱会した兄弟姉妹を交えて組織が作りだした偽預言、教理などにも触れつつ、私たちにできる活動が始まっています。

エホバの証人の方を組織から救い出す使命を持った牧師が全国を回っていますが、覚醒していない証人の方々を動かすには多大なる労力とまた、迫害もあります。

ガリレオさんはご自分で組織の間違いに気づかれ、大きな一歩を進み出、神の御心を知っておられます。
そして、少ないながらも教会でエホバの証人の方々に真剣に向き合うために努力しているクリスチャンもいます。

1人ではありません。
沢山の不安もありますが、あなたの不安を主が顧み、豊かな恵みを与えてくれます。
組織を脱会したことが始まりであり、本当の主と出会うはずです。

私は友人脱会の為に研究生になり色々な試みをしていますが、長老に止められ現在は研究を拒否されています。
月一回の訪問の際に冊子は渡されますが、質問等には全く答えてくれていません。
(実に不誠実な対応ですが、そこにも疑問を抱かないようです)
その友人も自身が抱える病気と闘いながらわずかなパート代を寄付し、懸命に伝道に励んでいます。
いつも友人はハルマゲドンの希望を私に話してくれます。希望がこの世の終わりとはいったいどのような信仰でしょうか・・・組織信仰とは本当に恐ろしいものです。

この世界は主が創られたものです。
神が私たちに与えてくれた聖書を自分の心で読むならば、そこには聖霊が力を注ぎ真理へと導く神の愛を感じられるはずです。
貴方の重荷をイエス様に渡し、間違った教会への見解が変わることを祈っています。

skさんが書かれているように、本当はどの地域にどれくらいの疑問を持った証人の方がおられるかを知ることが出来るなら、私たちもコンタクトをとりやすく、またお互いの信仰を通し、繋がることが出来るはずです。
ただ、教会に来られるものみの塔の親族(未信者)の中には牧師におんぶにだっこ状態の方もおり、脱会という問題を安易に捉えている方もいます。
(丸投げ状態になるほど難解な問題でもありますが。)
私も個人研究を10年続けていますが大変難しい問題であり、マインドコントロールの脅威を目の当たりにして一人の力の無力さを痛感しています。

ここに来て、これほど多くの善良な兄弟姉妹に出逢い、友人にもいつかこの日が来ることに大きな希望と神のご計画を信じ、私も違う角度からもう一度年台計算をしっかり調べ上げ、友人に聖書の真理を伝えます。

貴方の苦しみが他人事ではなく、本当に主を求める故に良心がこの組織に留まることを許さなかった結果であり、これから多くの証人の励みになると思います。
ですから無理をせず、しっかり静養してください。
こちらには特に年台計算や教理について専門的な知識を持っている牧師を紹介することが出来ますがメールでのご相談も可能かと思います。

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