エホバの証人レッスン

信仰の枠を超えた真理の探究

カテゴリー: 聖書の信ぴょう性 (1ページ/2ページ)

ライオンやヘビが草食だったという話

あなたがエホバの証人であるなら、最初の創造の際には動物は他の動物を捕食することなどせず、互いに平和のうちに生きるように神によって創造されたのだと教えられたことでしょう。そしてアダムの罪によってライオンやヘビが肉食になったのだと信じていることでしょう。ものみの塔出版物の中では動物がすべて草食であったことに関して以下のように説明されています。

*** 目83 1/8 10ページ 自然界すべてが調和するとき ***
動物は何を食べていたのでしょうか。霊感を受けた記録はこう述べています。「地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。あるいは,「今日の英語聖書」の翻訳によれば次のとおりです。「すべての野生動物とすべての鳥のために,わたしは草と葉の茂った植物とを食物として与えた」― 創世記 1:30。

このようにエホバの証人は人間が創造された約6000年前とされる年から、ノアの洪水に至るまですべての動物は草を食べていてと信じています(塔94 2/1 31ページ)。しかし事実はどうなのでしょうか?

人類が誕生する前から肉食動物は肉食であった

最近ドイツで4800万年前の地層からヘビがトカゲを丸呑みしている状態が綺麗に映し出されている化石が発見されました。しかも食べられているトカゲ(写真オレンジの部分)のほうも胃の中に昆虫(緑色の部分)が含まれていました。

「昆虫を食べたトカゲを食べたヘビ」の化石発見(ナショナルジオグラフィックの記事を参照http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/090900338/

このように人類が誕生するずっと前から肉食動物は他の動物を捕食して生きていました。そのことを示す証拠は他にも数多くあります。

”若い地球創造論者”はこの矛盾を解消するため、化石や地層はノアの洪水のときに出来たのだという非常に無理がある主張をします。若い地球創造論者がそのような主張をする理由は、その主張により化石の中に見られる数十億年に及ぶ捕食活動の歴史をアダムの堕落からノアまでの期間に閉じ込めることができるからです。

しかしエホバの証人は生物の歴史がもっと古いものであることを認めます。そして若い地球創造論者とは違い、恐竜が人類が誕生する前か、ノアの洪水時には滅んでいることを認めています(目83 6/8 15ページ)。それにも関わらず肉食恐竜が明らかに捕食活動をしていたことを示す証拠については完全に無視します。

 

記事の終わり

✅ノアの箱舟-要点まとめ

ここでは創世記が示す地球規模の洪水の話が真実であるのか、検証するポイントになる点をQ&Aのかたちで簡潔にまとめます。このページは随時更新する予定です。

地球規模の洪水を否定する証拠にについて

南極やグリーンランドの氷床には洪水の跡がありますか?
ノアの時代の氷床の年代は正確なのですか?
氷床コアの研究をインチキだとするクリスチャンがいるのですが
オーストラリアのコアラは洪水後に中東から移動して住み着いたのですか?
日本にノアの洪水の水が流れてきましたか?

地球規模の洪水を証明する証拠について

エホバの証人は世界的な洪水を示す考古学者の発掘があると言ってましたが
グランドキャニオンはノアの洪水の証拠ですか?
地層や化石が「何億年もかけて」出来たはずがない、だからノアの洪水が正しい
ある場所では地層をまたぐ垂直の木の化石が見つかっているそうですが
冷凍マンモスはノアの洪水の証拠だと聞きましたが
漢字の「船」はノアの箱舟から来ている聞きましたが
その他

漢字の「船」の語源はノアの物語ではない

エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)は「船という漢字が,「舟の中の8人」という考えに由来している」と述べ、ノアの箱舟物語が本当であることの証拠であるとしています。

*** 洞‐1 328ページ ノアの日の洪水 ***
船という漢字が,「舟の中の8人」という考えに由来しているのは興味深いことです。これは,箱船の中で大洪水を生き残ったノアとその家族の8人に関する聖書の記述と非常によく似ています(ペテ一 3:20)
舟  +  八  +  口(つまり人)    船

しかしこれはデマであり、事実とは異なります。

実際には「『㕣(エン)』yànは、川が低い所へ流れる様子を表す漢字(*1)」であり、「「船」は「沿」と同系で、流れに沿って下るふね(*2)」を表しています。そもそも漢字の「八」は他の数字を表す漢字と同じく”数字”を表すための象形ではありません。他にも四、五、六、七、九といった漢字が他の漢字の部に使われる場合は多々あるものの、それが文字通りに4,5,6,7,9という数字を表すわけではありません。

例えば「切」という漢字には「七」が使われていますが、別に数字の7を表すのではありません。これは四、五、六、七、八、九が漢字の部位に使われる場合も同じです。船の㕣をノアの家族の「8人」を表すなどと主張するのは論外です。

記事の終わり

(*1) http://gogen-allguide.com/hu/fune.html

(*2) http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-5351.html

(*3) http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-b4dc.html

凍結したマンモスはノアの物語とは無関係

エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)はシベリアのツンドラで見つかる凍結したマンモスをノアの洪水で溺れたものだとしています。ものみの塔協会の主張は温暖だった地球がノアの洪水がきっかけで急速に寒冷化し、「特に極地地方で,凍りつくような風が伴い」、大洪水で溺れたマンモスが急速に凍結されたというものです。(創 第17章 203ページ 10節)

以下はその説明の中で掲載されている写真です。

上記のマンモスはベレゾフカ マンモス(Beresovka Mammoth)と呼ばれ北シベリアで1901年に発掘されたものです。実際にはこれは頭部を含めかなりの部分が博物館のディスプレイのために復元されたものです(以下のカラー写真参照)。

このようなマンモスは本当にノアの時代の地球規模の洪水で溺れて凍結したものなのでしょうか?答えは「いいえ」です。その理由を以下にあげます。

溺死と急速冷凍では説明がつかない

まず第一に凍結されたマンモスで体の全体が残っているのはごくわずかで、他のケースでは体の一部だけが残り他は部分は腐肉食動物によってすでに食べられているなど、一様ではありません。これは突然の異変で溺死してマンモスの群れ全体が凍結したというストーリーとは違うものを描いています。

さらに体全体が残っているマンモスに関しても永久凍土の雪渓のクレバスに何らかの理由で落ちるなどして凍結したと考えるほうが自然です。実際上記のベレゾフカ マンモスも上腕骨と骨盤が砕けていました。川辺付近の絶壁で凍土の割れ目に落ちて死んだと考えるほうが合理的である状態です。その様子は溺死して急速冷凍したというものではありません(*1)。

さらにシベリアの永久凍土が広がるツンドラにはマンモス以外にもケブカサイ、バイソン、オオツノジカやネコ科の捕食動物など幾つも生息していたにも関わらず、凍結した状態で見つかるものがマンモスばかりであることにも注目できます。マンモスの生態は現存するゾウから判断するなら足を踏み外して体勢が崩れると立て直すのが難しく、他の動物よりシャーベット状の凍土に足を踏み外したり、クレバスに落ちる可能性が高いと考えられます。それに対してより身軽なシカやネコ科の動物は簡単にクレバスに落ちることはありません。これはマンモス以外の身軽な哺乳類が凍結した状態で見つかることがほとんどない事実と一致しています(*3)。もし動物たちが洪水で一斉に溺死したのであればこのようなバラツキが存在することは考えられません。

怪しい情報

”冷凍マンモス”の情報に関しては注意が必要です。それはノアの洪水を証明することに関心があるクリスチャンによって冷凍マンモスに関して確かではない情報が流されている場合があるという点です。例えばかつてはベレゾフカのマンモスに関連して、冒険隊によってマンモスの解凍肉で宴会が開かれたとか、マンモスの口の中に亜熱帯の植物が残っていたとか、いかにも温暖な気候にいたマンモスがノアの洪水によって急激に冷凍されたことを物語るような話が語られていたそうです。しかしこの問題を調査したWilliam R. Farrand (1961)はそれらの話がデマであることを明らかにしました。Farrandはマンモスの胃の中にあった植物を列挙し、それがすべて北極圏に生息する植物であることを示しています(*4)。ですからこの種の話を教会で聞いたりネット上で発見する場合、その出所をきちんと調査することも大切です。

(*1)https://palaeopathologyfiles.wordpress.com/2015/06/28/what-killed-the-berezovka-mammoth/

(*2) https://ncse.com/book/export/html/2842

(*3) 例外としては2015年に発見された絶滅したホラアナライオンの子どものケースがあります。この場合、巣穴が崩れて土に埋もれて死んだものと考えられています。http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/b/102900047/ 他にもケブカサイ(絶滅種)の例があります。

(*4) https://ncse.com/cej/1/2/common-creationist-attacks-geology

創世記の筆者はオーストラリア大陸の存在を知らなかった

聖書に書かれている物語を文字通りの真実と考えると様々な問題に直面します。その一つにオーストラリア大陸とそこに生息する特有の生物の存在があります。

聖書によると今から4400年ほど前に世界的な大洪水が神によって引き起こされ、その際に箱舟の中に集められた動物以外のすべての動物が滅び去ったということになっています。

(創世記 7:19‐23) …水は地に大いにみなぎって、全天下の高い山々がことごとく覆われるようになった。…そのため、地の上を動くすべての肉なるものは、飛ぶ生き物も、家畜も、野獣も、地の上に群れなすすべての群れも、そして人もみな息絶えた。…ただノア、および彼と共に箱船の中にいたものだけがそのまま生き残った。

このノアの洪水物語を真実とみなすのであれば、今から4400年ほど前に中東のどこかに集められた雄雌二匹ずつの動物(あるいは清い動物は七匹)以外の動物が絶滅し、箱舟の扉が開けられてそこから出てきた動物によって現在の世界の生態系が出来上がったということになります。

つまり、現在オーストラリア大陸に生息する大陸特有の生物たちも今から4400年前に箱舟から出てきてオーストラリア大陸に渡って増え広がったということになります。

これにはどんな問題があるでしょうか?生物学者のリチャード・ドーキンスは次のように語ります。

進化の存在証明 – リチャード・ドーキンス 387頁

これらの動物がすべてノアの箱舟から分散していったのなら、動物の地理的な分布はどのようになっていなければならないかを、考えてみてほしい。中心地-ひょっとしたらアララト山-から遠ざかるにつれて、種の多様性が減少していく何らかの法則性が存在するべきではないだろうか。それが私たちの目にしているものではないことは、あえて言う必要もないだろう。
なぜ、これら有袋類のすべて - 小さなフクロマウスからコアラやミミナガバンディクートを経て巨大なカンガルーやディプロトドンに至る幅をもつ - が、有胎盤類はまったくこないのに、アララト山からオーストラリアへ大挙して移住してきたのか?彼らはどのようなルートでやってきたのか?

ノアの時代にカンガルーやコアラが中東に生息していたのでしょうか?あるいは箱舟に乗るためにはるばるオーストラリア大陸から旅をしてきたのでしょうか?そのどちらも可能性は非常に低いと言えます。なぜならカンガルーは他の大陸に渡った形跡はなく、カンガルーの化石もオーストラリア大陸でしか発見されません。オーストラリアでは現在のカンガルーとは姿が異なる3メートルのカンガルーの化石が見つかっています。その他にもオーストラリア固有の生物の化石が幾つもあります。これはオーストラリア大陸が他の大陸から地理的に独立し、長い時間をかけて独特の進化や絶滅を経験し大陸の中で多様な種を生みだしてきたという推論と一致しています。その期間は4000年では足りないのです。

marsupialmole2

オーストラリアにはコアラやカンガルー以外にも特有の有袋類が生息しています。この写真にあるフクロモグラもその一つです。このモグラはオーストラリア大陸にしか存在しません。フクロモグラがアララト山からオーストラリアに移動する姿を想像してみてください。しかもフクロモグラは目がないようなもので一日の大半を地中で活動します。大陸が分離する前にどれだけのスピードで彼らはオーストラリアを目指して進んだのでしょうか?何か月も海水に浸かった台地で餌になる幼虫や蟻も絶滅した道をオスとメスのつがいが食物のないままオーストラリアにどのようにたどり着いたのでしょうか?

ものみの塔の答え、そして文献の不正な引用

ものみの塔協会はオーストラリアにノアの洪水後にどのようにコアラが「どのように移動して」行ったのか、その答えは「陸橋によってです」と答えています。

ものみの塔1962年p127「読者からの質問」

ものみの塔はスウェーデンの地理雑誌「イメル」でレニー・マイレス博士が「大西洋を横断する陸橋」があったと発表しているので自分たちの主張が正しいと述べています。しかし引用されているニューヨーク・タイムス1956年9月23日にはヨーロッパからグリーンランドまでが湾のようになっていた時代があると主張されているだけで、オーストラリアに陸の橋が渡されていたことをほのめかすような主張は一つも見当たりません。しかもグリーンランドとのつながりも1万年以上前の話とされておりノアの洪水の話とリンクさせられるようなものでもありません。(資料:「ものみの塔協会との手紙のやりとり」英文)

New York Times 1956

答えなくてはならない疑問

コアラはオーストラリア原産のユーカリの葉だけを食するように進化してきました。あるいは「進化」したのではなく、コアラはユーカリだけを食するように神が創造されたと仮定してみましょう。いずれの場合もコアラの極端な食性には変わりはありません。ユーカリの葉はカロリー効率が悪く他の動物は食用にしません。コアラにとってはライバルがいない有利な条件ではあるものの、食物消化とカロリー消費のバランスを合わせるため1日のうち20時間は寝て過ごします。コアラがユーカリの木が茂っていない場所を長距離旅行をすることは考えられません。

ノアはコアラの存在と食性を知っており、1年分のユーカリとオーストラリアまでの移動のためのユーカリを箱舟に集めたのでしょうか?箱舟を出た後、海水に浸かった大地をコアラはどのように大量のユーカリを運びながら移動したのでしょうか?

創世記のノアの箱舟の話を擁護するためにあれこれ答えを探したとしても、屁理屈のようなものしか出てきません。むしろ中東に住んでいた創世記の作者は中東と近隣に生息する動物のことしか念頭になく、コアラやカンガルーの存在を知ることなく箱舟の物語を書いていたと考えるほうが自然です。

 

記事の終わり

 

 

 

 

グランドキャニオンはノアの時代にできたものではない

エホバの証人の主張

エホバの証人は紀元前2370年に全地を水で覆う大洪水が起き、ノアの家族と箱舟に入った全種類の動物のつがい以外はすべての動物が滅んだと信じています。そしてグランドキャニオンのような大峡谷も数日のうちに出来たと述べています。彼らがグランドキャニオンの地層全てを含めてすべてがノアの洪水で出来たと信じているかどうかは言及がありませんが、引用されている書籍が「若い地球創造論者」の出版物であることを考えると、大よそ他のプロテスタントの「若い創造論者」と同じことをグランドキャニオンに関しても主張していると考えられます。一例として1968年のものみの塔の説明を見てみましょう。

ものみの塔1968年10月15日p613

「何日かのうちに・・荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘りました。」

 

事実はどうか

すでに「ノアの時代に気象の激変はなかった」の中でも指摘している通り、グランドキャニオンのような1200メートルもある地層と渓谷が「何日かのうちに生じ」、世界中を「巨大な激浪が荒れ狂い」ながら、グリーンランドや南極の氷床に何の痕跡も残さないでいられることはあり得ません。

グランドキャニオンは先カンブリア時代からペルム紀までの地層が重なる峡谷であり、ノアの洪水とは全く関係がありません。現在のロッキー山脈の東側は古代において浅い海が広がっていたエリアで、そこでは海進と海退が繰り返されていました。

図:白亜紀後期のアメリカ 浅い海が広がっていた

参考:http://www2.mcdaniel.edu/Biology/wildamerica/WApinyonpine/ppstrata1.html

このような地理的条件がそろっていたためにグランドキャニオン周辺の独特な地層が形成されています。地層を形成する原因として”洪水”も大いに関係していますが、1200メートルを超える地層の重なりは一度の洪水ではできません。なおグランドキャニオンは17億年から2億4,500万年前までの地質年代を網羅しており、コロラド川の浸食によって峡谷が形成されるにはさらに300万年以上が経過していると考えられています。

エホバの証人はグランドキャニオンのような渓谷が「何日かのうちに生じ」「荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘った(ものみの塔1968年10月15日p613)」と主張します。

しかし以下の写真からわかるようにコロラド川は蛇行するラインをとっており、荒れ狂う激流で出来るような直線的な流れではありません。この情景はむしろ300万年以上の長い年月をかけて川の浸食によって形成されたという科学的な見解と一致しています。もし一度の洪水でグランドキャニオンの地層が出来たのであれば、あらゆる低地で同じような地層が出来上がっているはずです。

地質学では何が明らかになっているか

日本地質学会のQ&Aのコーナーでは以下のような質問と率直な答えが掲載されています。

Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?

A:まったく関係はありません。

ノアの洪水というのは、キリスト教の聖書に出てくる概念で、実際におこった現象ではありません。グランドキャニオンの形成とノアの洪水はまったく関係はありません。

(瀬戸口烈司 京都大学名誉教授)

日本地質学会Q&A「Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?」

参考:http://ja.scenic.com/visitor-information/grand-canyon/geology

 

記事の終わり

 

「見よ!」のブロシュアーの引用は不正

ものみの塔協会はしばしば”学者”の言葉を不正な仕方で引用します。それはあからさまな「嘘」を伴う場合があります。例えば考古学上の発見で「世界的な大洪水があった」ことが証明されていると読者に信じさせるために「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」と題するブロシュアーの中で 以下のような説明を行っています。

*** 見よ! 7–8ページ 11節 ***
彼らはまた,世界的な大洪水があったことを示す数多くの証拠を発掘しました。聖書によるとその大洪水はいまから4,000年以上の昔,つまりノアの時代に起きました。このことについて,考古学者として広く知られている三笠宮は,「はたして大洪水はほんとうにあったのでしょうか。……近年考古学者の発掘の結果,洪水がじっさいにあったことが,りっぱに証明されました」と述べています。

では考古学者の三笠宮氏は本当に考古学者の発掘によって世界的な大洪水が証明されたと述べていたのでしょうか? 以下は実際の三笠宮氏の著書「帝王と墓と民衆 ― オリエントのあけぼの」からのページのコピーです。

黄色いマーカーの部分が協会が引用している部分です。ピンクのマーカーの部分は前の文章に繋がっており、本来は省いてはならない部分です。しかし協会は意図的に文章を切っています。文章は以下のように続いています。

「すなわち、エウフラテス川の川口に近いウルという町や、シュルッパクという町や、それからキシュという町を地下深く掘ったところ、洪水のために上流から運ばれてきた土砂の層がはっきりと現われたのです。」

明らかに著者はノアの洪水伝説が局所的なユーフラテス川の氾濫に基づいていることを指摘しています。発掘されたのはユーフラテス川の「上流から運ばれてきた土砂」です。さらに文の途中には「(地図Ⅰ参照)」と記載されています。参照されている巻末の地図は局所的な洪水が起きやすいユーフラテス川周辺のメソポタミアの地図です。三笠宮氏はノアの洪水の物語がメソポタミア地方特有の洪水、つまり川の氾濫の話をもとにしていたことを伝えていたのです。

このように 著者の意図や文脈を無視して意図的に不公正な情報を伝える  ものみの塔協会の行為は読者を裏切るものであると言えます。

「見よ!」のブロシュアーについて

この冊子は日本人を伝道の対象として作成されたもので、1970年から20年以上日本における伝道で用いられていた。

多くの日本のエホバの証人がこの冊子に書かれていることを信じて信者となっている。

 

記事の終わり

ノアの時代に気象の激変はなかった

ノアの洪水の前は地球が巨大な天蓋に覆われ地球全体が温暖だったという話

「ものみの塔 1968年10月15日号」はアダムの創造からノアの洪水まで地球全体が温暖であったと教えています。その「温室内の効果」によって雨が千年以上降らなくても世界中の植物が生きていけたと述べています。

ものみの塔1968年10月15日p611

確かにそのとおりです!」という表現に意気込みを感じる。原理主義的なクリスチャンはとんでもない主張でも気合で乗り切ることが多い。

では「ものみの塔」が述べている過去の気象変動の話は本当なのでしょうか?以下に示す客観的な証拠からすると全くの誤りであることが理解できます。

δ18Oの値で明らかになった過去の気温

18Oとは酸素の安定同位体と呼ばれるものの一つです。この18Oの比率(δ18O)は雪が降る地域周辺の気温と連動することが知られています。。「氷床の年代は正確 – 酸素同位体による年代カウント」の中で説明した通り、δ18Oの値を利用してグリーンランドでは冬季に降る雪とそれ以外の雪の違いを識別して年周期を割り出すことができています。この原則は長期にわたる過去の気温にも当てはまります。グリーンランドでは過去に積もった雪の安定同位体の比率(δ18o)はそのままの状態で保存されているため、氷床から切り出したコアを解析することで、古代の気温の変動を再現することができます。まずは以下のグラフをご覧ください。(*1)

 

 

氷床のデータが示している通り、4300年前(ノアの洪水)、6000年前(アダムの創造)の付近を見ても全くδ18Oの値に大きな変動が見られません。これは当時大きな気象変動が何もなかったことを示しています。エホバの証人はノアの洪水以前は地球は温暖であったと唱えていますが、上記オレンジ色のラインが示している通り、約1万年より前の年代にはむしろ今より寒冷な時代があったことを示しています。

 

記事の終わり

 

*1 データは米国 NOAAサイトの gicc05-holocene-20yr.txt を利用

 

 

氷床の年代は正確 – 酸素同位体による年代カウント

客観的なカウント方法  δ18Oの値

別の記事「地球規模の洪水はなかった-氷床は語る」の中で数十年の調査の結果、地球規模のノアの大洪水は完全に否定されてしまったという点を指摘しました。ここではそれらのデータがどのくらい客観的なものなのかを示したいと思います。

前の記事では氷床の年代は歴史に記録されている火山噴火の痕跡と照合することができるという点を紹介しました。しかし単独でも客観的で正確な年代のカウントを行うことができています。その一つの方法は氷床の中の酸素同位体の比率を使ったカウントです。酸素同位体には18Oと呼ばれるものがあり、周辺海域や陸地の気温が低いときは18Oは多く失われ、降り積もる雪の18O同位体の比率(δ18O)の値は少なくなります。逆に夏の時期に降る雪の中では18Oが多く含まれるようになります。下のグラフでは谷になっている部分の紫の帯の縦の破線の部分が冬を表しています。この1年周期のシグナルを確認することで掘り出した氷床の年代を正確にカウントすることができます

下のグラフ:10メートルの間に19の年縞(ねんこう)を確認できる。

このグラフはグリーンランドのCrêteの氷床のδ18Oの変動の一部をグラフ化したものです。Crêteの場合は404メートル掘り進められ、およそ15世紀分、西暦534年までの氷床のサンプルがとられています。Crêteは表面は1年分の雪が70㎝ほど降り積もり、100メートルほど進むと1年分の雪は20㎝ほどに圧縮されています。このように十分な積雪量を記録している場所ではδ18Oの値測定によって正確に毎年のレイヤーを識別することができます。

DYE-3 過去8000年前まで正確にさかのぼる

例えばグリーンランドのDYE-3という場所では表面では1メートルほどの雪が積もるため、δ18Oの値で年代をカウントする十分な条件が揃っています。実際、DYE-3 では8000年分の深さまで安定同位体のデータによってレイヤーが識別できています(*1)。以下のグラフはグリーンランドのDYE-3(先ほど8000年分までほぼ正確に年代をたどれると指摘した場所)の1年毎の氷床の厚さをグラフにしたものです。(*2)

エトナ火山噴火からノアの大洪水までさかのぼると氷床の厚さは規則性をもって圧縮されていきます。表面近くは1メートルほど積もっている雪は100メートルの深さになると半分の50㎝になります。そしてBC425年は深さ924メートルになり1年分の厚みは27㎝です。さらにBC2370年は深さ1367メートルになり15㎝の厚みになります。アダムが創造されたとされているBC4026年(ものみの塔による)は深さ1558メートルの地点になります。しかしどこにも大洪水を示す跡はありません

神が証拠を隠蔽したのか?

このようにグリーンランドや南極での氷床の研究はノアの時代の大洪水を明確に否定しています。地球規模の洪水が起きながらグリーンランドや南極の氷床に洪水の跡を何も残さないということはあり得ません。

洪水の規模と破壊的な影響について、ものみの塔がどのように描写しているか見てみましょう。彼らは以下の記述にあるように世界中に「巨大な激浪が荒れ狂い」、グランドキャニオンのような大峡谷が「何日かのうちに」できたと述べているのです。

ものみの塔1968年10月15日p613

グランドキャニオンのような1200メートルもある地層と渓谷が「何日かのうちに生じ」、世界中を「巨大な激浪が荒れ狂い」ながら、グリーンランド、そして南極だけに証拠が残らないように隠ぺいしたと本当に信じられますか?

記事の終わり

*1 Centre for Ice and Climate – コペンハーゲン大学 – 「安定同位体データによる氷床コアの年代確定について」

*2(データは米国 NOAAサイトの gicc05-holocene-20yr.txt を利用)

 

氷床の年代は正確 – 火山噴火の跡と一致

氷床コアの研究によって数千年あるいは数十万年前までさかのぼっても、世界的な大洪水が起きた形跡がないことが明らかになっています(「地球規模の洪水はなかった – 氷床は語る」を参照)。それでも恐らく反論として”氷床コアの中に洪水の跡がないのは確かかもしれないが、その記録は正確な年代ではないかもしれない”という主張が出てくることでしょう。しかし氷床コアは数十万年までさかのぼる調査結果が出ているため、上記のような反論を有効にするためには、年代の桁を間違えるような誤差が存在していなければならないことになります。

火山噴火と氷床コアの一致

大規模な火山噴火が起きると大量の火山性物質が大気中にばら撒かれます。大きな灰は火山の周辺地域に降ることになりますが、微粒子は大気中を浮遊して火山から遠い場所でも観測することができるようになります。もし氷床コアの年代計算が正確なものであるなら、氷床の中に含まれる火山性物質の体積が各地で起きた大規模火山の年代と一致するはずです。

南極での調査

以下に示すのは南極のボストーク基地で掘り出された氷床コアに含まれている火山性硫酸塩含有量を示すグラフです。グラフの中の点線のラインを超えて上に突出している部分が大規模な噴火を示す火山性硫酸塩の層を含んでいる部分です。

図1:南極氷床コアの火山噴火活動を示す微粒子含有量のグラフ(過去900年分)

vostok

資料:http://www.the-cryosphere.net/8/843/2014/tc-8-843-2014.pdf

では氷床コアの中の火山活動の痕跡は実際の火山噴火の記録と一致しているでしょうか? 答えは「はい、確かに多くの既知の大噴火と一致してる」となります。以下はグラフの中の山の部分(V1~V24)の対応する歴史上の噴火を示す一覧です。

記号 該当する火山活動 場所
V1 ピナツボ火山(1991年) フィリピン
V2 アグング火山(1963年) インドネシア
V3 クラカタウ火山(1883年) インドネシア
V6 タンボラ火山(1815年) インドネシア
V11 不明
V15 パーカー火山+デセプション島(1641年) フィリピン、南極(確定はできない)
V16 ワイナプチナ火山(1600年) ペルー
V17 海底火山クワエ(1452年) バヌアツ
V19 不明
V20 不明
V22 エルチチョンあるいはサマラス火山(1257年頃) 記録なし
V24 不明

 

グリーンランドでの調査

南極と同様にグリーンランドでも氷床コアに含まれる火山性物質の調査が行われています。結果は南極と同じく過去に起きた大規模噴火の跡が表れています。南極との違いは図2で表れている通り北半球で起きたLaki(ラキ火山 アイスランド)とKatmai(カトマイ火山 アラスカ)の噴火で数値が大きく出ている点です。

図2:グリーンランドの氷床に表れている噴火の跡

volcanic_rel_icecore

https://www.projects.science.uu.nl/iceclimate/karthaus/archive/lecturenotes/2009/fischer/HubertusFischer.pdf

調査結果は客観的に検証されている

これらの証拠を科学者のねつ造であることはあり得ません。なぜなら、これらの結果は再現性があり、いくらでも検証が可能であるからです。実際下の図3が示す通り日本の共同研究チームが新たな基地のデータを加えて再び検証したときにも、細かな誤差を除けば過去の調査と同じ結果がでています。

図3:理化学研究所と国立極地研究所の精度を高めた調査結果(http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140722_2/

volcanic_japan

 

さらに過去までさかのぼる

ここまでのところで過去900年間のデータを紹介しました。しかし追跡可能な年代は900年分だけではありません。以下のグラフで示されている通り、現在から2500年前にさかのぼるまでの氷床の中の火山性硫酸塩含有量が調査されています。

図:グリーンランド(上段)および南極(下段)の火山性微粒子、そして木の年輪の成長率(中段)の比較

https://www.researchgate.net/figure/280714137_fig1_Figure-1-New-ice-core-timescale-of-Greenland-ice-core-NEEM-NS1-topand-Antarctica-ice

このグラフを見ると紀元前425年頃(グラフの左端の”-425″)にすべての折れ線に大きく影響を与えているポイントを確認できます。

ギリシャの歴史家トゥキディデスはイタリア南部シチリア島のエトナ火山噴火によってカターニア地方に大規模な災害があったことを記録しています( Thucydides 3.116)。ヒエロニムスのエウセビオス年代記(jerome-eusebii_chronici_canones_fotheringham_1923.pdf)はこの噴火をオリンピアード第88期の第3年の出来事として記録しています。これは紀元前426/425年を意味しており、グリーンランド氷床の大規模噴火の跡と一致しています。

図:エウセビオス年代記。オリンピアード第88期第3年「エトナ火山の噴火」

これによって少なくとも紀元前425年までは大きな誤差が認められないことがはっきりします。これより先は歴史書の中に大規模な火山噴火の明確な年代が記録されていないため照合させることはできません。しかしさらに下のほうの氷床の紀元前2370年(ものみの塔がノアの洪水の年としている年代)付近を見ても大洪水の跡は全く存在しません。火山灰の微粒子でさえとらえることができるのに、地球を覆いつくしていた大洪水の跡が何もないということはあり得ないことです。しかも聖書によると洪水の水は1年近くも地上を覆っていたと主張されているのです。

 

 

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エホバの証人レッスン